いたけん

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2019年4月1日

8年間の教員生活を終え、新たな「旅」を始めた。しかし何をするか。どの方向に進むのかはっきりと決まらない日々。凡庸のような日々。朝の情報番組、昼のワイドショー。流れてくる情報は自分の欲しいものとはかけ離れた同じようなもの。 私は3日間で発熱し体調を崩した。結局立ち止まっても、環境を変えても、自分には前を進むことしかないのだと気づかさた瞬間であった。 公務員としての安定の日々を捨て、全ての退路を断ち、自らの人生を輝かせるために行動をしていくのみ。 そう決意した。これから地獄

    • 新たな道

      小学校教員時代、新任の頃は本当に何もわからず、がむしゃらにただただ走り続けました。 大学院で得たものは絶対に証明したかった思いを抱き続け、どんなに下手くそでも何でも誠心誠意子ども達と向き合う覚悟を決めました。 それ以上に子ども達は反応してくれ、たくさんの不遜な私の授業にも我慢をしてくれ、優しい言葉をかけつづけてくれ、大人になった今でも関わらせてもらった彼らと繋がれていることが、私の宝物です。 しかし、時が過ぎるにつれて現実をつきつけられました。 職員室では、子ども達の問

      • いじめとデジタルコンテンツ

        「いじめをなくそう」「いじめはいけない」そう思わない人はいない。戦争は何があってもいけないんだと同義のように。 しかしながら「いじめ」はなくならない。 ある人の教育講演会で「大人のいじめがなくならない限り、子どものいじめもなくならないだろう。」との話があった。 また「子どものいじめの現場」の最前線にいる大人は教師であるということは言うまでもない。 その先生が大人同士でいじめをしているのである。神戸市の教員同士のいじめは記憶に新しい。 残念ながらいじめに気付かない教師

        • これからの教育

          3年間の修士課程での研究生活と8年間の教員生活を経て、今、幼児教育に志して3年目を迎えようとしている。 現在も尚、未曽有の新型コロナウィルスによる影響により、世界中で亡くなられた方々、そしてそのご家族ご友人に謹んで哀悼の意を表したい。 また経済活動における飲食業や観光業をはじめとした中小企業や大企業の方々の今後の不安に心を痛める。 その中で「教育者」というような偉そうなことは言えないが、「保育・教育」に携わる身として、この様な時期だからこそ、今後の子ども達の成長、これか

        2019年4月1日

          教育って

          10年間の教師生活を終え、今自分の考える教育施設を創業融資を受け、開園した。 今資金難の真っ中にいる。 しかしながら、行動を続けると光は見てて来るものだ。経営してみて、当たり前のことだけど自分の経営のわかってなさに、取り返しのつかないところまで迫っている状態になって初めて気づくことがある。 それは、 「世の中に正解なんてない。」 ということである。 教師の頃、自分は傲慢であった。学級崩壊を迎えている先生に、自分が悪い。子どもは悪くないんだ。と本当に思っていた。

          教育って

          学級崩壊

          子どもたちの学びの場が子どもたちの規律をなくした状態になってしまう。 なぜそうなってしまうのか。私の小学校教員生活の経験で感じたそれを完全な私的意見で見ていこうと思う。 学級スタート 新年度になると1年間過ごして慣れ親しんだ友人や先生と別れ、新たなルールの中で子どもたちは慣れない環境のもと新年度を迎える。そこでまず大切なのが前年度の先生の方針である。前年度の先生が怖い先生で子どもを縛り上げ恐怖感でのみ子どもたちをまとめ上げていたり、逆に全く注意せず子どもたちの思う欲求充

          学級崩壊

          教員生活の現実

          新任のころ、毎日一生懸命に子どもたちと接し、つたない授業についても子どもたちに助けられていたんだということは今になって痛感します。 今思えば子どもたちは「知りたい、わかりたい、できるようになりたい」と純粋に誰もが思っているのだと考えます。ですから、その思いに対する「知らせたい、わからせたい、できるようにさせたい」の思いが強くあれば少々のミスは子どもたちによって救われていたのだと思います。 一方、何十年と教師生活を送られておりベテランと言われる先生の中にも学級崩壊を招かれる

          教員生活の現実

          やめ先!!

          毎日が本当に怒涛の日々であった。しかし、坂倉は子どもたちの成長に憑りつかれていく。 日々の授業は格闘で準備を怠ってはいけない。国語、算数、社会、図工、体育(音楽と理科は専科の先生が担当)その他にも学級活動、道徳、総合、外国語活動などがある。 勿論、新任といっても40人の子どもたちの前に立てばそんなことは言ってられない。 本当に毎日12時間以上、学校にいた。強制されるわけではない。自らの準備に納得がいくまcで取り組んでしまうのである。 4月は特に会議や検討案件が多く、自

          やめ先!!

          やめ先!!

          クラス発表が終わり子どもたちを連れて教室に入っていく。ここからはもう1人だ。 子どもたちにお決まりの、黒板に自分の名前を書いてあいさつした。 「坂倉圭祐です。よろしくお願いします。」 「先生はこの春大学を卒業して初めて先生になりました。皆のこと、この学校のこと、みんなより知らないことが多いのですが精一杯頑張るのでよろしくお願いします。」 と挨拶をし、その後子どもたちに一人ずつ自己紹介してもらった。子どもたちは5年目の慣れ親しんだ友達に何度目かの自己紹介を、何も言わずに

          やめ先!!

          やめ先!!

          いよいよ、始業式の日がやってきた。 ほとんどの不安と少し、ほんの少しの楽しみとで胸がいっぱいになった。 我々新担任教師は校長室にて待機。子どもたちの元気な声が校舎に響いてくる。 前の学年の担任が次の新学年の教室に待機している児童を迎えにいく。 そして、講堂での始業式が始まった。 校長先生の話、生活指導の先生の話、子どもたちはそれらの話を聞きながら、自分の学年の先生のことが一番気がかりでそわそわしている。 新担任の教師の紹介に移る。 舞台に我々が立つと、新6年生の

          やめ先!!

          やめ先!!

          入学式。かわいい新1年生が保護者の手を引かれ初々しく門をくぐる。私は受付で提出物のチェックと名札を手渡す係であった。 毎年、この門出を見届けることになる。先生は毎年だから感動しないと巷では言われているが、卒業式と入学式は教師にとってもとても大切にしている行事なのである。 入学式が始まり、いつも通りの式。日本全国同じように毎年行われている。 もちろん、私の学校も同じであった。 入学式はとどこりなく終わり、その後も仕事は終わらない。新学期の準備は本当にやることが多く、その

          やめ先!!

          やめ先!!

          2日目の出勤日、あわただしく新学期の準備は続く。この時期は担任は帰宅が8時9時になるのは当たり前のことで、一気に時間が過ぎていく。 しかし、これには裏話もある。普段昼食は、教師は子どもたちと一緒に給食を食べる。給食指導である。この時期は子どもたちも登校しないので当然給食なく、先生は外に食べに行くことになる。 普通のサラリーマンであれば日々の日常の光景であるが、教師にとっては束の間のランチタイムなのである。 そこで、つい話に花が咲いてしまい、食事後喫茶店に行って話をして帰

          やめ先!!

          やめ先!!

          4月1日、ついに初出勤の日、スーツとネクタイを身にまとい、電車の中で同じ初出社であろう新入社員の人々の気持ちに共感しながら、あの面談の日以来の学校に出向いた。 職員室には通されず、直接校長室に入るとそこには私と同じような新任の先生、転勤されてきた先生が7,8人座られていた。もちろん皆さん初対面で会話が弾むわけでもなく、気まずい静かな空気が流れていた。 すると、教務の先生が、 「先生方、どうぞ」といわれ全員が職員室に入る。 初めての職員室。ここから教師人生が始まった。

          やめ先!!

          やめ先!

          面接日当日のことははっきりと覚えている。 実家近くのワンルームマンションの自宅から1回の乗り換えで駅につくと、学校までの道のりが結構遠い。それでも3月の夕方の陽は温かく落ち始めたころで、少し気持ちを落ち着かせてくれた。 学校につくと、入り口付近で人当たりの良さそうな私と同世代の男性の教諭と思しき方が、 「こんにちは!」と声をかけてくれ、 「校長室はこっちです。」と案内してくれた。 校長室の入ると思っている校長先生のイメージとは真逆の、女性のお世辞にも優しそうな風貌と

          やめ先!

          やめ先!!

          8年間にわたる小学校教師生活を終了し、2018年4月、35歳の男はついに旅立つ決心をした。 といっても、どこかに行くわけじゃない。自分の本当を見つける旅に出かけるのだ。 教師生活の中で得たことは、子どもの純粋な気持ちと、教育によって歪められてしまった教師という職業の困難さである。 2010年春 あの頃は純粋であった。 中学校・高等学校の保健体育教師を目指し、大学院の教員養成講座を3年かけて修了し、念願の故郷で教職につくこと、希望に満ち溢れていた。しかしながら中高の保

          やめ先!!