教員生活の現実
新任のころ、毎日一生懸命に子どもたちと接し、つたない授業についても子どもたちに助けられていたんだということは今になって痛感します。
今思えば子どもたちは「知りたい、わかりたい、できるようになりたい」と純粋に誰もが思っているのだと考えます。ですから、その思いに対する「知らせたい、わからせたい、できるようにさせたい」の思いが強くあれば少々のミスは子どもたちによって救われていたのだと思います。
一方、何十年と教師生活を送られておりベテランと言われる先生の中にも学級崩壊を招かれるで学級にも残念ながらであってしまいました。逆に新任の先生でも様々な困難を乗り越えながら、クラスをまとめられる先生もいました。ここで言う「学級崩壊」とは、「クラスのメンバー同士の諍いが絶えない」、「授業中に別のことや私語が飛び交う。また歩き回る。」「教師の指示通りに動かない。」ことなどを指します。
その理由を考えるとき、まず「授業」にあると考えます。子どもたちは基本的に一緒に遊んでくれる先生が大好きで、年の近い、若い先生も大好きです。が、決して年配の先生が嫌いというわけではありません。
全く子どもたちと遊ばない先生であっても完璧にクラスをまとめられる先生もおられました。少し形こそ違うのですが、専科のプロフェッショナルな先生方です。
理科のN先生。私が新任の5,6年担任の際この先生に専科として理科の授業を受け持ってもらっていました。京都大学出身のこの先生は一見博士のような外見、しかし怒ると若かった私の声よりも大きな声で子どもたちを叱ります。しかし、子どもたちからこの先生の悪い噂を聞いたことはありません。
逆に理科の授業が好きな子どもたちがたくさんいました。
先生は信念をもって「仮説実験授業」という理科の授業法を実践されていたのです。私も多くの場面でご指導していただきました。(厳しく注意されたこともあります。)
ご在職中もご退職させた後にも、指導案という教師が書く授業の流れ示したものを添削していただきました。(いつもはじめは先生の赤ペンでまっ赤でした)今もなお、お手紙でやり取りをさせて頂いております。
次に3年生担任の時に音楽の授業を担当してくださったS先生。小学3年生はリーコーダーとの出会い。子どもたちは、はじめとても意欲的に吹けるようになりたいと願っています。しかし、音楽の授業には落とし穴が存在します。それは全体で演奏したり合奏したりするときにできてる子や、大きな声の子どもたちに隠れて、できていない子を把握することが難しくなるのです。しかし、このS先生は違います。授業中、1人1人のリコーダーの音色を確認していくのです。しかも他の子どもたちは待たせます。これは普段のから子どもたちと接していないと至難の業です。S先生の指導ははっきりしていました。「君たちが少しでも大きな音を立てると友だちの音が聞こえなくなってしまいます。」これは効きます。子どもたちは学級崩壊が起こっていない場合、基本的にクラスメイトのことを大切に思っています。そして、実際自分が上手になっていくことが実感できる授業なので子どもたちはリコーダーが吹けるようになっていきますから音楽の授業が好きになります。
このサイクルが出来上がると授業はしっかりと進んでいくのです。
この2人のベテランの先生方が子どもたちと外で走り回っている所を見たことはありません。お二方は長い教師経験の中で私たちの何十倍も経験されたくさんの省察されて来たのだということが、いつみても同じだという授業の中で分かります。S先生のリコーダーの授業を真似て、1度同じような指導を試みたことがあります。全く自分にはできませんでした。(1人1人聞いていく忍耐力が私になかったのとほかの児童の動きが気になるため)
私は幸運にもこの先生方に多くの授業を見ていただきました。S先生には学年のはじめ私の日常生活の指導に「先生、細かすぎるんと違う?子どもたちあまりわかっていないかもよ。」と言われました。しかし1年間の担任生活で授業も含めた多くの場面を見ていただく中で、学年の終わりに「先生が学年のはじめにあれだけ細かくしてた意味が分かったわ。あれが今になって生きて来てるんですね。」と言ってもらえたことは本当に嬉しかったことの一つです。
こう見ていくとやはり教師のパーソナリティというのは子どもたちのつながりと相関しえないのだという風に思えてきます。
次はその反対の先生の話ができればと思います。
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