教育って

10年間の教師生活を終え、今自分の考える教育施設を創業融資を受け、開園した。

今資金難の真っ中にいる。

しかしながら、行動を続けると光は見てて来るものだ。経営してみて、当たり前のことだけど自分の経営のわかってなさに、取り返しのつかないところまで迫っている状態になって初めて気づくことがある。

それは、

「世の中に正解なんてない。」

ということである。

教師の頃、自分は傲慢であった。学級崩壊を迎えている先生に、自分が悪い。子どもは悪くないんだ。と本当に思っていた。

今もこの考え(子どもの幸せを阻害する要因は大人の無理解、不勉強にあるある)に大きな変わりはないが、その先生にも大切な家族がいて、考えがあったのだということだ。

その当時そこまで考えが及んでないかといえばそうでない。

「それにしても」と思っていたのであった。

当時の私の口から出てくる言葉は自分の違う考えをもっている人の批判ばかり。それは愛する家族にさえも。

今私は、その当時の自分の愚かさにお金、安定すべてを失って気づくことになる。

しかし希望を捨てたわけではない。

実は、お金と安定以外の素晴らしいものを自分はいつしか手に入れてのだった。

愛する人の優しさ。共に生活できることの幸せ。

同じ方向を見てくれている、唯一の従業員さん。

世の中の潮流は、合わなかったらやめろ。上司が悪いのだ。人生は何度でもやり直せる。行動しないことにははじまらない。

その通りの部分とそうでない部分があると思う。

今の自分の状況に聞こえのいい言葉をどこか自分は探していないだろうか。

自分にとって今、何が大切なのか。そして多くの人たちが悩んでる、仕事、家族。選択した時の自分の気持ちをどうか思い出してほしい。今自分の手にしているもの大切さを。

いっぱい、いっぱいになったらひとまず休もう。1日2日心を休めて、そして考えこまずに考えよう。時間は取り戻すことは出来ない。

でも未来は変えられる。そして退屈な毎日も自分の考え方次第で変えられると信じよう。

自分の生きる時間は限られている。明日生きられなかった人々のために自分の人生を全うしよう。

そう自分に言い聞かしているのでした。


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