やめ先!!

8年間にわたる小学校教師生活を終了し、2018年4月、35歳の男はついに旅立つ決心をした。

といっても、どこかに行くわけじゃない。自分の本当を見つける旅に出かけるのだ。

教師生活の中で得たことは、子どもの純粋な気持ちと、教育によって歪められてしまった教師という職業の困難さである。

2010年春

あの頃は純粋であった。

中学校・高等学校の保健体育教師を目指し、大学院の教員養成講座を3年かけて修了し、念願の故郷で教職につくこと、希望に満ち溢れていた。しかしながら中高の保健体育科の正規採用の壁は厚く、採用試験にパスすることは叶わなかった。そこで、講師として市に登録を済ませ、委員会からのオファーが来るのを待つ。

純粋さを履き違え、当時男は大リーグに挑戦し、日本に帰国する際の元プロ野球選手の新庄選手を見習い、1番初めにオファーのあったところに行く。そう決めていた。必要とされるところで力になりたい。そう考えていた。忘れもしない3月の下旬頃、教育委員会から1本の電話がかかってきた。

「坂倉先生、小学校で講師をしてみませんか。」

「えっ!?」

「ご登録は中・高の保健体育となっていましたが、先生は小免(小学校の教師の免許)お持ちであると履歴書を拝見いたしました。」

「そうなんですが。希望は保健体育でして。少し考えるお時間をください。」

「承知しました。しかし新年度が迫ってきておりますので明後日までにお返事の方をお願いいたします。」

どうしよう…。小学校の先生なんて自分に務まるのだろうか。中・高の保健体育の教師になり、体育授業の楽しさ、部活動での仲間との絆を深めてほしいという願いから希望した保健体育教師。

初めにオファー頂いたところに決めてしまっている。それが小学校。

これも運命なのだ。そう考えた。

翌々日、返事の期限の日。担当者に電話を掛けた。

「小学校の講師としてお世話になることに決めました。よろしくお願いします。」

「そうですか!ありがとうございます。きっと大丈夫ですよ。先生なら。ただ、配属先の学校なのですが、少々元気のいい子どもたちが多いようですが頑張ってくださいね!!」

嫌な予感がした。26歳の若造でもわかるニュアンスである。

しかし、時間は待ってくれない。よし、小学校の世界に飛び込んでみよう。何事もやってみないとわからないことがある。

そうしていよいよ、T小学校にて面接の日がやってくる。

#先生 #教師#小学校#講師




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