学級崩壊

子どもたちの学びの場が子どもたちの規律をなくした状態になってしまう。

なぜそうなってしまうのか。私の小学校教員生活の経験で感じたそれを完全な私的意見で見ていこうと思う。

学級スタート

新年度になると1年間過ごして慣れ親しんだ友人や先生と別れ、新たなルールの中で子どもたちは慣れない環境のもと新年度を迎える。そこでまず大切なのが前年度の先生の方針である。前年度の先生が怖い先生で子どもを縛り上げ恐怖感でのみ子どもたちをまとめ上げていたり、逆に全く注意せず子どもたちの思う欲求充足型のみのような1年間を過ごさせていた学級や学年には注意が必要となってくる。

子どもたちははじめから悪いことをしてやろうと思って学校に来ることはそうない。心機一転、頑張ろうと思っている子どもはたくさんいる。

私は学級崩壊は「教師の責任」であると確信している。

1番は「指導力不足」

新任の先生の失敗は子どもは笑い飛ばしてくれる。むしろ先生も人間なんだと共感してくれるのである。きちんと先生も「教師」の前に「人」であるということが大切なんだと思う。その反対に教師経験が有るが故に失敗を認めずに子どもを子ども扱いし続け、ごまかしを続けるといくら優しい子どもたちでも我慢の限界がある。

授業の準備を怠ったり、子ども同士の些細なトラブルを解決せず、保護者にはうまく説明したりしたとしても純粋な子どもたちをだますことができない。子どもは「大人の嘘」をしっかりと見抜いている。それはどんない幼くてもである。

ある学級のサポートに入った時、定年間近の女性教諭は初めて会った時から少し違和感があった。担任外の先生を雑用係とみなし、宿題プリントのコピーや丸つけまで担外の先生にさせていたのである。また、先生が多い学校だったのでそれが当たり前となりその校風に慣れてしまったせいもあったのかもしれない。

まず、学校行事のことをしっかりと理解しておらず、子どもが把握しておらず動けないことがたくさんあった。遠足では、行きの先頭を私が行き、帰りの先頭はその先生だったのだが(道がわからないと言い)とにかく歩くのが早すぎて、子どもが転んだのでさすがにスピードを落としてほしいとお願いした。

そんな調子で日々を生活するので子どもたちは次第に疑問符を抱き始める。私は小学校だったのだが5年生にはその先生の指導力不足を具体的に説明することはできない。また、ごまかすのが得意なので保護者には理解されない。

私はすぐに管理職の先生にこのままだと黄信号が灯ることを伝えた。

2番「授業力」

学校の先生は「授業」が1番大切である。当たり前といえば当たり前のことであるがこれを理解されていないことが多いと思う。これは前にも書いたのだが、授業をするためには子どもたちの実態を把握しそれに合わせた授業プログラムを構築していく必要がある。普段の指導がしっかりとしていないとここで支障が出てくる。だんだんと先生の指導に疑問を感じ始めて大人のずるさで子どもを丸め込んでいると子どもたちはその反抗として授業で考えなくなる。参加しなくなる。他のことをする。他の児童の邪魔や一緒に別のことをしてしまう。これが学級崩壊の始まりである。

それには早く気づきその先生が是正するか、管理職(上司)が入って指導するしか方法がないと考える。他の先生が入ったり、大勢で囲っても根本的な解決は絶対しない。

また、逆に若手の先生で遊んだり怒るだけでのり切った3年目以降の先生も注意が必要である。授業の準備や研究の方法を学んでおらず独自の授業スタイルでおこなってしまい、また、他の若手の先生と協力ではなく競争してしまうことにより、問題の隠蔽をしたり報告を怠ってしまうことがある。

これらの先生の共通点は「怠惰」と「プライド」であると考える。毎日の生活を目的をもって子どもたちと真正面から向かいあえば突破口は必ず見えてくる。私自身のたくさんのピンチに遭遇した。それでも最後に助けてくれたのはやはり「子どもたち」なのであった。

#教師 #小学校#教員#学級崩壊#指導力#先生#子ども

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?