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月裏のひみつ基地/エッセー


 家の裏で小さなガラスのカケラを、はがれ落ちたカラフルなタイルを、拾い集める。タイルは淡い水色で、ガラスは透明。小指の爪ほどのタイルには裏側には白いコンクリートのような石がくっついていた。たまにモスグリーンのタイルもあるけどほとんどのタイルは淡い色。白や、たまにもっと暖かい色もあったけど。それを小さな従姉妹たちと私は拾い続けた。家の裏側には、そんなのがいくつも落ちていた。

 大人たちはそこには来ないから。晴れた日はおもて側の内側で宴をしていて、小さな私たちにはちっとも気づかないのだ。いなくなっても気づくのは、ほろ酔い時にお財布を確認するときくらいだろう。もしかしたらそのときでさえ気づかないかも。

 まるで長のような私に続き、年下で小学生くらいだった2人の従姉妹たちがいた。家の裏側で、私たちに見つけ出された小さなタイルやガラスの破片は、じめじめしたコンクリートの塀のうえに並べられたりした。中でもきれいなタイルは「ランク」が1番上だった。裏側が白くなくて、汚れていたり表面が欠けていたりするとランクは下がる。ガラスは、多少濁っていても、大きいのが「良い」。どれも小さな手の中で溺れそうなカケラばかりだけれど、ガラスはたまに大きくて透明度の高いものも落ちているのだ。そんなものは私たちにとってまるでクリスタルだった!

 集めて、並べて、眺めた。そうして大人たちが私たちを呼んだら、それらのカケラは、蟻がのぼってこない、やっぱり湿気のある場所に置いて、私たちは、目に見えない重たいドアを閉めるのだった。カケラを宝物のように、貴重な研究材料のように扱う(次の週にはそんなことを忘れて、新しいカケラを探し始めるのだけれども)。それはまるで仕事で、私たちは気まぐれな研究者みたいに、実験好きな調剤師みたいに、いや、宇宙科学者みたいに大人のまねごとを楽しんでいた。

 そんなことがあったのだ。こそこそと。太陽じゃない、つめたい影が差す、月の裏側のような場所で。小さな従姉妹たちと私は、日曜日の夕方には必ずそれをした。日が沈む少し前、月が輝く前に。私たちにとってそこは、少なくとも大人たちが来ない秘密基地だった。
 3人にとってはそれだけで、そういう意味のない事実だけでも充分だった。だって、カケラはただのカケラではなくて、宇宙からの解析不可能な物質でできていたようだったから。あの場所は、私たちにとって、まるで現実とは違う月裏のひみつ基地か、そこにつながる、未知の世界の足跡が残る、誰も知らない遺跡だった。

 そんな場所に私はもう行けなかった。既にそこは、月の「おもて側」。家の中からその場所をのぞいて見ても、じゃりじゃりと石の上を歩いてみても、まったくなにもない、なにも思わない。へらへらと石たちがこうるさく酔っ払う、小さな宴会場でしかなかった。汚くて、やっぱりどこかじめじめしていたのはそのままに。
 ひとつ言えるのは、そこはある時には特別な裏側で、そこには3人の子どもがいたということだけ。そこにはたしかに秘密の時間が流れていた。そしてその時私たちは、月の科学者かなにかだった。それはどんな今の事実にも劣らない、本当の話。そしてきっと、誰も知らない、誰にも聞けない話だ。



エッセー:月裏のひみつ基地
isshi@エッセー

◎エッセーはここにまとまってるよ
https://note.com/isshi_projects/m/mfb22d49ae37d

◎前回のエッセー


たくさん書きます。描きます。たくさんの人の心に届きますように