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【作家名鑑#1】たった三作で、ごく普通の専業主婦からカリスマ的作家に。

1.はじめに

今回紹介するのは、「グレイス・ペイリー」。
言わずと知れた、戦後のアメリカのカリスマ的女流作家だ。

また、二児の母であり、教師でもあり、政治活動家でもある。
まさに4足の草鞋を履く作家だ。

そんな彼女の人生遍歴と作品に関して、今回は紹介していく。

2.主な著作

・「人生のちょっとした煩い」(1959)
・「最後の瞬間のすごく大きな変化」(1974)
・「その日の後刻に」(1985)

上記の三作は全て短編小説集であるが、彼女はこの三作しか世に出していない。
長編小説は一作も書いておらず、非常に寡作な稀有な作家だと言える。

3.人生遍歴

1922年、グレイス・ペイリーはアメリカのニューヨーク州で生まれる。

両親はロシア出身のユダヤ人で、ロシア語・イディッシュ語(ドイツ語に近い言葉)・英語が飛び交う家庭で育った。

グレイスは3番目の末っ子で、一番上の兄とは16歳も離れていたことから、小さな頃から周りの大人との知的な会話に興味を持つようになる。

1942年、19歳のときにカメラマンのジェス・ペイリーと結婚。
2人の子を授かったが、後に離婚。
その後は、詩人で戯曲家であるロバート・ニコルズと再婚する。

ジェス・ペイリーとの結婚生活の中で、2人の子を育てながら、暇を見つけては台所のテーブルに向かって、短編小説を書き始める。
(小さい頃から詩は書いていたらしい)

書いては出版社に送って、を繰り返していたが、全て返却(後に本人は、「あの日々は辛かった」と語っている)。

1959年、彼女の作品がある編集者の目に留まり、「人生のちょっとした煩い」が刊行。
鮮烈なデビューを飾り、彼女の名が広まるきっかけとなった。
(当時、彼女はすでに40歳手前で、遅咲きの作家だと言える。)

その後も執筆を続け、1974年刊行の「最後の瞬間のすごく大きな変化」が最大のヒット作となる。
1985年には「その日の後刻に」を刊行し、たった三作で名声を確立。

晩年は、大学でライティングなどの創作や教育学を教え、また、平和主義を訴える政治活動家としても活躍。
あらゆるシーンで彼女は注目され、戦後アメリカの象徴的な存在となった。

2007年、84歳でこの世を去る。

4.作風

グレイス・ペイリーの作風に関して、訳者の村上春樹はこのように語っている。

「ストレートにタフだけれども、温かく、ちょっとはぐれたおかしさがたまらない。どの場面も熱い血が脈打っていて、いったんはまりこむと、もうこれなしにはいられなくなる」

あの村上春樹さえも虜にしてしまうほどの中毒性を彼女の作品は持っている。

彼女の作品は分かりやすく独特である。
文章の流れ方も、物語の進み方も。
時によっては理解しがたい部分もある(村上春樹も彼女の翻訳には非常に手間取ったと語っている)。

独特でありながも、彼女の作品には確かなユーモアがある。物語全体としての可笑しさもあるが、彼女が綴る一文一文にちょっとしたアクセントがあり、それがやみつきになる要因になっている。

作品によって彼女の作風は少し違いがあるが、彼女の描く物語は自由奔放そのものである。
登場人物がリアリティを帯びたキャラとして確立し、彼らが自由に踊り狂っているのである。
彼女の想像力の高さが伺える。

5.おわりに

今回は、戦後アメリカのカリスマ的作家であるグレイス・ペイリーに関して紹介した。

彼女が描く独自の文体、独自のキャラ、独自の世界観は、これまで男女問わず多くの人々に愛されてきた。
そして、これからもきっと愛され続けるだろう。

彼女の想像力・熱量には計り知れないほどの価値がある。
その価値を私たちが受け継いでいかなければならないと思う。

ぜひみなさんもグレイス・ペイリーの作品を読んでみてはいかがでしょうか。



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