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エッセイ | 夏祭りは感傷的になってしまう

今日はどこへ出かけても浴衣を着た人を目にする。駅にいても、電車の中でも、街を歩いていても。ちょうど夏祭りの時期なのだろうと思いながら用事を済ませていた。

ひととおりの用事が済んだ頃には夕方となっており、喉が渇いた私はカフェに寄ってコーヒーを買い、自分の家へ向けて歩いていた。本当なら電車に乗った方が楽なのだが、外の空気も涼しくなり始めたため「散歩しながら帰ろうか」と思えた。

あまり汗をかきたくないためコーヒーを飲みながらゆっくり歩いていると、前を歩く人が浴衣を着ていることに気付く。近所でも夏祭りがあるのかと思い、昔を思い出す。

夏祭りといえば子供の頃は一大イベントだった。お小遣いをもらい、友達と街へ繰り出していく。何をして楽しんでいたかは覚えていないが、お祭りの雰囲気を楽しむのがだいごみだった。

屋台で遊ぶにも手持ちの資金では足りないし、何かを食べながらフラフラしていることがほとんどで、だけどそれが楽しかった。あの場にいる人がみんなそうなのではないかと思う。みんな非日常を楽しんでいるのだ。

散歩は続き、だんだんと浴衣姿の人や子供たちが増えていく。なんとなくどこで夏祭りをやっているのかも見当がつき始める。みんなが同じ方向へと消えていく。遠くから見ても、その方向だけ何だかオレンジ色に明るい気がする。

私が歩いている道が交通量の多い道路であるためお祭りの音は聞こえないが、1本離れた道では祭ばやしが聞こえるのだろうなと考えていた。
ちょっとお祭りの様子を見に行こうかとも思ったけれど、1人でウロウロするのは勇気が出ない。

私が最後に行ったお祭りはいつだったかと考えても思い出せない。高校生の頃に行ったお祭りが最後だったか、それとも学生の頃にも行ったことがあったのか。社会人になってからはお祭りには行っていないはずだ。行こうとしたけれど豪雨で中止になったことはあった。

お祭りから自分が遠ざかっていることに気付くと、私のお祭りに対する悲しい感情の理由が分かった気がした。

前方から楽しそうに走ってくる子供たちとすれ違いながら、私は感傷的な気持ちを抱えて家路をたどる。



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