マガジンのカバー画像

絃史の書斎

8
メインでまとめてる記事とは別の、ひとことに収まりきらない雑感やメモなどを置いておきます。
運営しているクリエイター

記事一覧

noteはじめました。続けられるかなと不安であるw
(゚ロ゚;))((;゚ロ゚)ドキドキ

noteでやりたいこと、その方針について。

noteでやりたいこと、その方針について。

ご挨拶 初めまして、伊佐絃史です。今回noteを始めるにあたりましてやりたい事は2つ。

簡易版でもいいから姓氏をまとめたい

〃でもいいから人物録をまとめたい

その範囲や方針につきましては

室町時代後期~江戸時代初期。専門分野ですし。

所謂戦国武将を中心とする。専門分野ですし。

更新は不定期、暇を見つけてやる。予定は未定、未定が予定。

地域に関しては九州に関しては氏や家ごと、ただしその

もっとみる

Wikipediaによれば有馬貴純は生没年不詳となっている、ここは有馬家世譜の記載に合わせた。

感情だけでは人間では居られぬ、されど感情無くては生き物ですら居られぬ。

ならば喜怒哀楽を大切にしつつ、理性と向き合わなくては。

薩摩島津氏の島津久豊だと思われるが、肥前有馬氏との繋がりを示す参考文献を見つけれてない。調査中。

肥前屋形号は1539年、有馬晴純が征夷大将軍・足利義晴に許されたのが正式。だが、有馬貴純が有馬屋形を改めて肥前屋形と称したとするものがある。

メモ「異説:有馬貴純・有馬晴純親子説」

従来説 有馬貴純と有馬晴純の関係は、有馬尚鑑を通じて、祖父と孫の関係である。

異説 つまり、有馬貴純と有馬晴純を親子とする異説である。

長崎の水運についての雑感

長崎の水運についての雑感

 江戸以前の長崎県を紐解く上で、重要になるのは「陸運」よりも「水運」。それも特に「海運」だった事は想像に難くない。なにせ今のように新幹線も飛行機もなく、整備された高速道路もないのだから。
 また、長崎県の歴史は干拓の歴史でもある。干拓以前の大村湾や有明海は現代より遥かに広大であり、駅馬を使った陸運は現代人が思ってる以上に過酷だったのではなかろうか。現に史家たちによる研究でも、古代の諫早市域の陸運ル

もっとみる