伊佐 絃史

他者評価:「野生の哲学者」「触れたら被れるが触れずには居られぬ漆」「是も非も総てに噛み…

伊佐 絃史

他者評価:「野生の哲学者」「触れたら被れるが触れずには居られぬ漆」「是も非も総てに噛み付く胃中のアニサキス」「一見謎だが触れ合うと更に謎」

マガジン

  • 絃史の書斎

    メインでまとめてる記事とは別の、ひとことに収まりきらない雑感やメモなどを置いておきます。

  • 絃史の姓氏抄録(簡易版)

    諸氏の家系図の簡易版を載せています、需要があって意欲が向けばより詳細なものを作ろうと思います。

最近の記事

長崎の水運についての雑感

 江戸以前の長崎県を紐解く上で、重要になるのは「陸運」よりも「水運」。それも特に「海運」だった事は想像に難くない。なにせ今のように新幹線も飛行機もなく、整備された高速道路もないのだから。  また、長崎県の歴史は干拓の歴史でもある。干拓以前の大村湾や有明海は現代より遥かに広大であり、駅馬を使った陸運は現代人が思ってる以上に過酷だったのではなかろうか。現に史家たちによる研究でも、古代の諫早市域の陸運ルートの選定には諸説あるようで未だ定まってない。  対馬の「宗氏」、佐賀北部・長

    • 東純量 について(簡易版)

      東純量東純量  東純量(ひがしすみかず或いはひがしすみはるカ)、読みを表記する参考文献は見つからず、恐らくながら「すみかず」「すみはる」ではないか。有馬貴純養女は娘であり、その実父。『大村市史』によれば有馬貴純の養女となったあと、大村純伊の室になった様である。大村純伊には大村良純・大村純前・有馬晴純室らの子がいるため、その外祖父である可能性がある。 娘・大村純伊室  有馬貴純養女となり大村純伊に嫁ぐ。 娘婿・大村純伊  肥前大村氏当主。 関連項目姓氏抄録 姓氏抄

      • 有馬貴純女(大村純伊室) について(簡易版)

        有馬貴純女(ありまたかずみのむすめ)有馬貴純女(大村純伊室)  有馬貴純女或いは大村純伊室とも、読みは「たかすみのむすめ」「たかずみのむすめ」両方見受けられる。東純量の娘で有馬貴純の養女。大村純伊の室。また、大村良純・大村純前・有馬晴純室らの母か。 実父・東純量 養父・有馬貴純 母・不明 夫・大村純伊 子・大村良純 子・大村純前 子・有馬晴純室 関連項目姓氏抄録 姓氏抄録 人物名鑑 肥前有馬氏(簡易版・正式版) 肥前大村氏(簡易版・正式版)

        • 西郷純久 について(簡易版)

          西郷純久(さいごうすみひさ)西郷純久  西郷純久(さいごうすみひさ)。有馬尚鑑の子で、肥前西郷氏の西郷尚善の養子となる、肥前西郷氏は幕末の薩摩藩・西郷隆盛や会津藩・西郷頼母と同族。肥前有馬氏の最大版図を築いた同家当主の有馬晴純の弟。西郷純堯・西郷純門・深堀純賢の父。西郷純尚(西郷信尚)は孫。 父・有馬尚鑑 母・不明   義父・西郷尚善 長男・西郷純堯 次男・西郷純門 三男・深堀純賢 内孫・西郷純尚  西郷信尚とも。 関連項目姓氏抄録 姓氏抄録 人物名鑑

        長崎の水運についての雑感

        マガジン

        • 絃史の書斎
          8本
        • 絃史の姓氏抄録(簡易版)
          7本

        記事

          長崎康純 について(簡易版)

          長崎康純(ながさきやすずみ)長崎康純  長崎康純(ながさきやすずみ)。有馬貴澄とも、読みは「やすすみ」「やすずみ」両方見受けられる。 有馬賢澄、有馬左近将監、有馬肥前守とも。肥前屋形と称す。有馬貴純の子。有馬尚鑑・有馬氏某の弟、 応永十年癸未生~文正元年丙犬十二月三日卒。1403年~1466年。年六十四歳。 父・有馬貴純 義父・長崎純俊 長兄・有馬尚鑑(有馬純鑑) 次兄・有馬氏某 長男・長崎純方 関連項目姓氏抄録 姓氏抄録 人物名鑑 肥前有馬氏(簡易版・正式

          長崎康純 について(簡易版)

          有馬貴純次男 について(簡易版)

          有馬貴純次男(ありまたかずみのじなん)有馬貴純次男  調査中につき、詳細不明。有馬貴純次男。有馬尚鑑の弟で、長崎康純の兄。 父・有馬貴純  有馬貴澄・ 長兄・有馬尚鑑(有馬純鑑) 三弟・長崎康純 関連項目姓氏抄録 姓氏抄録 人物名鑑 肥前有馬氏(簡易版・正式版)

          有馬貴純次男 について(簡易版)

          島津久豊女(有馬氏澄室) について(簡易版)

          島津久豊女(しまづひさとよのむすめ)島津久豊女  調査中につき、詳細不明。島津久豊の娘。有馬氏澄の室。有馬貴純の母。 父・島津久豊 母・未調査  薩摩島津氏の島津久豊の娘とされる。有馬氏側の文献では『有馬家世譜』に記載アリ。 夫・有馬氏澄 長男・有馬貴純  両者共に肥前有馬氏当主。 内孫・有馬晴純 有馬貴純の長男。家督継承して肥前有馬氏の当主となる。 内孫・西郷純久 有馬貴純の次男。肥前西郷氏に養子入りし家督継承する。 外孫・長崎純方 外孫・大村純前

          島津久豊女(有馬氏澄室) について(簡易版)

          メモ「異説:有馬貴純・有馬晴純親子説」

          従来説 有馬貴純と有馬晴純の関係は、有馬尚鑑を通じて、祖父と孫の関係である。 異説 つまり、有馬貴純と有馬晴純を親子とする異説である。

          メモ「異説:有馬貴純・有馬晴純親子説」

          有馬尚鑑 について(簡易版)

          有馬尚鑑(ありまひさあき)有馬尚鑑  有馬尚鑑(ありまひさあき・ありまひさみ)または有馬純鑑(すみあき、すみもろ)。有馬左衛門尉、有馬左衛門少尉。鑑は元の字は「鑒」であり、「鑑」「鍳」の異体字。よって元々は「有馬純鑒」「有馬尚鑒」と書く、読みは同じ。「伊東系図」には久彌(ひさや)。初め、島原越前守尚鑒。右衛門大夫純茂の名アリ。老後は号・入道観惠と称す。死後は法号・南昌院殿天巌宗堯居士。有馬貴純の子。有馬氏某・長崎康純の兄。有馬晴純・西郷純久の父。長崎純方・大村純前は甥。  

          有馬尚鑑 について(簡易版)

          肥前屋形号は1539年、有馬晴純が征夷大将軍・足利義晴に許されたのが正式。だが、有馬貴純が有馬屋形を改めて肥前屋形と称したとするものがある。

          肥前屋形号は1539年、有馬晴純が征夷大将軍・足利義晴に許されたのが正式。だが、有馬貴純が有馬屋形を改めて肥前屋形と称したとするものがある。

          薩摩島津氏の島津久豊だと思われるが、肥前有馬氏との繋がりを示す参考文献を見つけれてない。調査中。

          薩摩島津氏の島津久豊だと思われるが、肥前有馬氏との繋がりを示す参考文献を見つけれてない。調査中。

          島津久豊 について(簡易版)

          島津久豊(しまづひさとよ)島津久豊  調査不足につき、詳細不明。(※註01) 娘・島津久豊女(有馬氏澄室)   娘婿・有馬氏澄  『有馬家世譜』に記載アリ。 内孫・有馬貴純  『有馬家世譜』に記載アリ。 関連項目姓氏抄録 姓氏抄録 人物名鑑 島津氏(簡易版・詳細版)

          島津久豊 について(簡易版)

          有馬氏澄 について(簡易版)

          有馬氏澄(ありまうじすみ)有馬氏澄  有馬氏澄(ありまうじすみ)、読みは「うじすみ」「うじずみ」。有馬左近将監(さこんのしょうげん)、有馬肥前守。父とされる人物には有馬満澄・貝津俊澄の2説ありそのどちらかの子とされる。島津久豊の娘婿。室は島津久豊女。有馬貴純の父。某年二月五日卒去。法号・大通寺殿眞源宗貞大院主。 父・有馬満澄 叔父・貝津俊澄  有馬満澄は肥前有馬氏の先代当主、貝津俊澄は貝津氏の開祖。『有馬家世譜』によれば有馬満澄が祖父で先代当主、貝津俊澄が父となる。有

          有馬氏澄 について(簡易版)

          感情だけでは人間では居られぬ、されど感情無くては生き物ですら居られぬ。 ならば喜怒哀楽を大切にしつつ、理性と向き合わなくては。

          感情だけでは人間では居られぬ、されど感情無くては生き物ですら居られぬ。 ならば喜怒哀楽を大切にしつつ、理性と向き合わなくては。

          姓氏抄録 人物名鑑

          姓氏抄録 人物名鑑とは 人名名鑑は投稿記事を整理し索引するためのものとして用意してあります、適宜ご活用くださいませ。 あ行ありま 有馬 ありま-たかずみ 有馬貴純(簡易版・正式版) ありま-たかずみのじなん 有馬貴純次男(簡易版・正式版) ありま-はるずみ 有馬晴純(簡易版・正式版) ありま-はるのぶ 有馬晴信(簡易版・正式版) ありま-ひさあき 有馬尚鑑(簡易版・正式版) おおむら 大村 おおむら-すみあき 大村純前 (簡易版・正式版) おおむら-すみこれ

          姓氏抄録 人物名鑑

          Wikipediaによれば有馬貴純は生没年不詳となっている、ここは有馬家世譜の記載に合わせた。

          Wikipediaによれば有馬貴純は生没年不詳となっている、ここは有馬家世譜の記載に合わせた。