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長崎の水運についての雑感

 江戸以前の長崎県を紐解く上で、重要になるのは「陸運」よりも「水運」。それも特に「海運」だった事は想像に難くない。なにせ今のように新幹線も飛行機もなく、整備された高速道路もないのだから。
 また、長崎県の歴史は干拓の歴史でもある。干拓以前の大村湾や有明海は現代より遥かに広大であり、駅馬を使った陸運は現代人が思ってる以上に過酷だったのではなかろうか。現に史家たちによる研究でも、古代の諫早市域の陸運ルートの選定には諸説あるようで未だ定まってない。

 対馬の「宗氏」、佐賀北部・長崎北部の「松浦党」がメジャーどころなのだろうが。他にも大村湾の「小佐々水軍」、長崎市域の「深堀水軍」、あるいは五島列島・平戸などの「倭寇」など各地に痕跡はある。
 なれど、こと「有明海の水運」に関しては情報が少ない様に感じる。

 「海岸線の流さが全都道府県の中で第1位の長崎県」などと言いつつも、それは海水浴やサイクリングの客の誘致に使われるだけ。世界的な捕鯨などの問題で「クジラ細工」や「べっ甲細工」などは過去の物になりつつあり、芸術に限らず営みに直結した海にまつわる文化は衰退に任せるままとなっている。それがフェリーや定期船の減便や廃止に関係していて、離島地域の人口減少やら活力の減退に繋がると感じるのは愚考だろうか?
 政治経済、あるいは炭坑の閉山や働き手の流出ばかりが問題ではないと感じてしまう。

 確かに俵物やチリンチリンアイスは美味いし、カステラやちゃんぽん或いは角煮など、長崎の食文化に関してはメジャーと言えるだろう。長崎MICEや新幹線などの新しい魅力も生まれていく。「観光は食と交通にあり」と言っても過言ではない。なれども、自分たちの足下、特に海の文化に関しては疎かにはしてられないなと最近よく思う。
 栄枯盛衰は世の常だから仕方ない、だとしても「こんなものがあったんだよ」「こういう人も居たんだよ」という痕跡くらいは遺しておきたい。

 何かのついででもいい、それに触れたときに個々人にとって、「おいもがんばらんばたいね」って思わせてくれるふるさとであればいいな。