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ぼくらは宇宙の星屑

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石田梅岩の悟りと実践

石田梅岩の悟りとは、簡単に言えば、我々と万物は一体であるということを知るということであり、また、我々の存在の本質は生死や時空を超越していて不生不滅であるということを知る、ということである。このこと自体は、太古の昔から、ウパニシャッドや仏教、禅、または老子や荘子等によって語られてきたことと大して違いはない。 石田梅岩の思想の特徴は、その悟りを得た後、実社会においてそれをどのように実践していけばよいのかということを、儒教を基礎として、極めて豊富な例を用いて具体的に述べているとこ

    • 石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(二十一・完)

      (日本古典文学大系「近世思想家文集」の原文を現代語訳しています) 「ある人、天地開闢の説を疑う」 (ある人) 「日本書紀の神代巻に、「天と地は未だ分かれず、陰と陽は分かれず、鶏卵ように混沌としていて、ぼんやりとしていて兆しを含んでいた。その清く陽であるものは天となり、重く濁っているものは地となった。その時、天地の中に一つの物が生まれた。形は葦の芽のようで、そのまま神となった。クニノトコタチノミコトと言う。」とある。これは奇怪な説である。天地開闢の前に生まれ、この時のことを

      • 石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(二十)

        (日本古典文学大系「近世思想家文集」の原文を現代語訳しています) 「ある人、主人の日頃の行いを問う(四)」 (ある人) 「親方は神社や寺への寄付は嫌いで、死後のことはどう考えているのだろうか。いまだに後世の(死後のための)善事をしたことがない。とかく今の世間の人と異なっている。」 (梅岩) 「いろいろな話を聞いていると、お前の親方の信心にかなうほどの、徳のある神主や僧がいないからだと思える。神社や寺への寄付を嫌っているようには思えない。まず古(いにしえ)の様子を考えてみ

        • 石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(十九)

          (日本古典文学大系「近世思想家文集」の原文を現代語訳しています) 「ある人、主人の日頃の行いを問う(三)」 (ある人) 「とにかく今の親方は、貧乏人が好きかと思えば、よく金銀を集め、その金銀で衣服でもこしらえ、美食でも好むかと思えば、日々の食事は飯と汁と漬物、三日、十五日、二十八日はカツオのなますに漬物、正月のお節はカツオのなますにイワシの焼物、大根汁に漬物、祭りのときは瓜なますにシイラの船場汁、ナスの汁に漬物。不意の客があれば茶漬けに漬物、だいたいこのようなものである。

        石田梅岩の悟りと実践

          石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(十八)

          (日本古典文学大系「近世思想家文集」の原文を現代語訳しています) 「ある人、主人の日頃の行いを問う(二)」 (ある人) 「親方は、親類一家の祝儀の贈り物は、やるのももらうのも三分の一に減らし、七日の法事は三日に減らし、一日の物忌み(身を慎み、けがれを取り除くこと)は三日に増やし、斎や非時(僧を招き食事をすること)も五十人の僧を二十人に減らし、一石の施行(僧へ施す米)は三石に増やす。これらのことはどうか。」 (梅岩) 「自分の身の程をよくわきまえて天を恐れる志、ありがたい

          石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(十八)

          石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(十七)

          (日本古典文学大系「近世思想家文集」の原文を現代語訳しています) 「ある人、主人の日頃の行いを問う(一)」 (ある人) 「あなたも知っているように、私の親方は今では裕福で、財産に何の不足もない。けれども金銀を貯めるばかりで、何を楽しむこともなく、ただ金銀の番をしているのみで、それでは暮らし向きは貧乏人と同じである。親の代には相応の楽しみもなされ、少しは奢り(贅沢)もあったために、借金もあったけれども、家業に決まった収入があったので、無理に返済を乞う者もなく、暮らし向きは財

          石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(十七)

          石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(十六)

          (日本古典文学大系「近世思想家文集」の原文を現代語訳しています) 「医者の心構えを問う」 (ある人) 「私は、息子たちのうちの一人を医者にしたいと思っている。医者として世を渡っていくためには、どのようにあるべきだろうか。」 (梅岩) 「私は医の道を学んでいないので、詳しくはないけれども、思うところを話してみよう。まず第一に、医学に心を尽くすべきである。医書の意味をしっかり理解せずに、人の命を預かるということは恐るべきことだ。自分の命が惜しいことを顧みて、他人にとってもそ

          石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(十六)

          石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(十五)

          (日本古典文学大系「近世思想家文集」の原文を現代語訳しています) 「ある人、お参りを問う」 (ある人) 「私は最近、親の年忌で田舎に帰った際に、産神(地元の鎮守の神)にはお参りしなかった。なぜかというと、今回はお墓参りが第一だと思って、最初にお墓参りをして身が穢(けが)れたので、産神にはお参りしなかったのだ。また、先に神にお参りするのは、親を粗末にするように思える。このようなことはどう考えたらよいか。」 (梅岩) 「親の心にかなうようにしたらよい。」 (ある人) 「親

          石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(十五)

          石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(十四)

          (日本古典文学大系「近世思想家文集」の原文を現代語訳しています) 「浄土宗の僧、念仏を勧める」 「ある浄土宗の僧が常々(梅岩のところに)来ていたが、ある時来て、」 (ある浄土宗の僧) 「あなたは儒者であるので、仏教を勧めるわけではないけれども、世の中は常に移り変わるものでもあるし、時間のあるときなどに、百回や二百回ずつでも念仏を勤めれば、死後の頼りともなるだろう。儒教においては聞いたことがないような生死に関する大事(秘伝の奥義)も、仏教にはあるから言うのである。」 (

          石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(十四)

          石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(十三)

          (日本古典文学大系「近世思想家文集」の原文を現代語訳しています) 「学者の日頃の行いが理解しがたいことを問う」 (ある人) 「あるところに幼い頃から学問をし、四書五経は言うに及ばず、どんな書物でも暗記してしまうほどの徳のある人がいる。けれども理解できないことが多い。一例を挙げれば、お金を借りたりするときにいい加減なことが多い。自分でも倹約を守り、それでもどうしようもなく足りないと言うのであれば分からなくもないが、自分の生活はだらしなくて人に金を借り、そのうえ親との関係もな

          石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(十三)

          石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(十二)

          (日本古典文学大系「近世思想家文集」の原文を現代語訳しています) 「性理問答(三)」 (梅岩) 「天地に生を受ける物は、弱い者が強い者に従うのが、天の道である。聖人や神々は徳を持っているので、無益のものを殺すことはない。理を尽くして、祭祀、賓客、老人の養い等には、やむをえずその時に必要な分を殺してこれを用いる。無用のときは虫一匹も殺さない。また、いろいろな草の中にあって、五穀は優れていることを知り、麦は夏にできるものであれば、いつ蒔きいつ植えたら実りがよいか、稲はいつ頃種

          石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(十二)

          石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(十一)

          (日本古典文学大系「近世思想家文集」の原文を現代語訳しています) 「性理問答(二)」 (ある学者) 「もっともらしく聞こえる話ではあるが、天人一致と性善ということは、それを聞いてもしっかりと理解することは難しく、どうにも腑に落ちない。これはどういうことか。」 (梅岩) 「いい質問だ。徒然草に、「伝え聞き学んで知るは真(まこと)の知にあらず」とある。今あなたは私の話を聞いたけれども、まだしっかりと理解はしていない。これをもって味わうべきである。性(本来の心)を知りたいと修

          石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(十一)

          石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(十)

          (日本古典文学大系「近世思想家文集」の原文を現代語訳しています) 「性理問答(一)」 (ある学者) 「孔子は三綱(君臣、父子、夫婦の恭順)五常(仁、義、礼、智、信)の道を説き、性(本来の心)理(万物の本体)については述べなかった。孟子に至って「人の性は善なり」と言われ、また「我浩然の気を養う」と言われるようになった。告子は「生これを性と言う」と言い、また「性は善なく不善なし」と言った。あるいは「性はこぶ柳の如し」、「性はぐるぐる回る水の如し」などとも言う。また韓退之は「性

          石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(十)

          石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(九)

          (日本古典文学大系「近世思想家文集」の原文を現代語訳しています) 「ある学者、商人の学問を非難する」 (ある学者) 「私も学問を好む。あなたも学問の看板を掲げ、教えを広めている。道は聖人の道であれば変わることはないだろう。けれども宋儒は孔孟の心と異なり、老荘、禅学に似てとても理を高く説く。このためにやや理解しにくいところがある。あなたは宋儒の註(解釈)を用いて、おそらく孔孟の本意を広めようと思っているのだろう。あなたが教えとするところを説明してほしい。理解しにくいところは

          石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(九)

          石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(八)

          (日本古典文学大系「近世思想家文集」の原文を現代語訳しています) 「ある人、親へ仕えることを問う」 (ある人) 「私の祖父の時代に私の家に勤めていた奉公人が、今では僧侶をしている。この者が常々私を不孝者のように言い、孝行しろと度々言ってくるけれども、私はそれほど不孝者だとは思っていない。孝行とは、どのようにするべきか。」 (梅岩) 「孝行というのは、ただ志を養うことを本(もと)とする。昔、曾子という人が、その父を養うのに必ず酒と肉を用いたという。食べ終わって食器を下げよ

          石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(八)

          石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(七)

          (日本古典文学大系「近世思想家文集」の原文を現代語訳しています) 「禅僧、一般人の殺生(肉魚を食べること)を非難する」 (ある禅僧) 「今日ある家に行ったら、その家の息子の婚礼ということで、魚類等を使い生き物を殺し、殺生戒を破り、めでたい席なのに物の命を取る。誠に一般の家は浅ましいことをして、これを喜ばしい儀式とする。哀しいことだ。」 (梅岩) 「あなたは仏法を学ぶといえども、小乗を知って、仏の大乗を知らないというのは惜しいことだ。」 (ある禅僧) 「知らないというこ

          石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(七)