石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(十七)

(日本古典文学大系「近世思想家文集」の原文を現代語訳しています)

「ある人、主人の日頃の行いを問う(一)」

(ある人)
「あなたも知っているように、私の親方は今では裕福で、財産に何の不足もない。けれども金銀を貯めるばかりで、何を楽しむこともなく、ただ金銀の番をしているのみで、それでは暮らし向きは貧乏人と同じである。親の代には相応の楽しみもなされ、少しは奢り(贅沢)もあったために、借金もあったけれども、家業に決まった収入があったので、無理に返済を乞う者もなく、暮らし向きは財産がある人と同じであった。言ってみれば、金銀はたくさん使った方が得というものだ。一生それでも特に問題はなく、ただ幸せ者として終わったのだから。このような暮らし方は、どちらが是でどちらが非なのだろうか。」

(梅岩)
「総じて、身分の軽重を問わず、人に仕える者は臣である。臣たるものは善悪や是非を少しはわきまえておくべきだ。まず第一に、天下の御政道において奢り(贅沢)は固く禁じられている。「奢る者は久しからず」と世間でも言い伝えられ、また奢りによって流罪や追放となった者は数限りなくいる。高位高官の家で国や天下を滅ぼした者といえば、中世では平清盛を始め、相模入道(北条高時)、その他奢りによって国家を滅ぼした者は少なくない。唐土においても、秦の始皇は奢りによって天下を失った。お前の先代の親方も、奢りがあれば天下の御法にも背き、そのうえ家業に決まった収入があるなどと言うことは、奢りの第一とも言うべきものだ。上(武士)の命令を受けるのは民の常である。たとえ大名の御用達をする身になったとしても、こちらから報酬を決めることなどあってはならないことだ。あるいはそれ以下の市井の臣と生まれたとしても、主君の命令を知らないで、こちらから家業に決まった収入があるなどと思うことは、お上をないがしろにする罪人である。また借金の返済を乞う者もいないと言うのは間違っている。なぜかといえば、お前は今の親方に仕えていて、あと何年か勤めたなら、そのうち店を持たせてもらえるだろうと、おそらく期待しているだろう。けれども時期が来ても、お前が店を出ると言わなければ店は持たせてもらえない。いつまで使われたとしても、使えば使うだけ親方の得だと言って、済ましておけるだろうか。自分の身をもってよく考えてみなさい。お前が時期を待っているように、お金を貸した方も時期が来れば、利息を添えて返してくれるのを待つのが当然だ。それを乞う者がないからと言って、返さないという法があるか。それをお前の先代の親方は、借金を返さずに死んでしまった。それをお前は幸いであると思うのか。これは僥倖という幸いである。この僥倖という幸いは人の物を盗んでも、人を殺しても、その罪を知らないで逃れた者の幸いである。この幸いは望むべきものではない。それを幸せ者として終わったなどと言うのはどういうことか。(人のお金を)強奪しておいて、無事では済まないことの証拠がある。善悪二つの例を挙げて言おう。まず唐土の尭舜は天下を治め、仁と孝の手本となり、孔子は至徳をもってその道を後世へ伝え、今に至るまで唐土は言うに及ばず、我が国まで照らしている。また盗跖は大盗人であり、その悪名は今にも伝わる。天下の人がこれを憎む。聖人は不義の物はほんの少しも受け取らない。盗跖は人の物を強奪し、盗人の名は朽ちることがない。この二つも同じことで特に問題はないと言えるだろうか。借りた物は返し、貸した物は返してもらうのが人の道である。そのうえ孝弟忠信の徳があって、家業に疎いということはない。このようなことを善事と呼ぶ。道は天地に明らかである。それをお前の先代の親方は、奢りをなし、借金を返さず、返さないまま死ぬというのは他人のお金を強奪するのと同じである。その強奪は聖人に近いか、盗跖に近いか。その不義を行なった人を、一生問題なく、幸せ者と思うのは、盗跖の味方をするようなものだ。今の親方は身を慎ましやかにして親の借金を返済し、汚名をすすいで(返上して)いるのだ。これは人の道である。范氏の言う、「子よく父の過ちを改め、悪を変じて美となす。これをすなわち孝と言う」とはこのことである。」

(ある人)
「今の親方の日頃の様子は、前にも言ったように、今時の日雇いの者にも劣る身なりである。親の代には衣類も華美を好まれていたのに、今の親方は風変わりな粗末なものを好む。これはどういうことか。」

(梅岩)
「まずお前の心に大きな奢りがある。なぜかと言えば、同じ下々の者であるのに、自分と日雇いの者とは全然別だと思っている。これはすなわち彼を卑しめ自分を上だと思う奢りである。農工商は一列に下々である。日雇い者と我々ごときとどれほどの違いがあると言うのか。それを卑しいと見るのは心が狭い。今の親方はしっかりとした考えがあって自分を上だと思わない。上を恐れ身をへり下る、世に稀な者である。貴いものと賤しいものとの区別を知るのは礼である。すべて衣服に羽二重より上はない。それから木綿までどれだけの種類があるだろうか。貴賎の詳細をもって言えば、上から下に至るまで、その種類はいくつぐらいとするべきか。衣類は細かく分けても、十段階ほどにしかならないものだ。身分に従って衣服を選べば、下々は薦(こも)を着てもいいだろう。それでなければ木綿を普段の衣類となし、暮らしが豊かな者は、祝日などには、衣類に絹紬までは、農工商ともに用いるものだ。その定めをありがたいと思って背かず、しっかりと守って、自分の賤しさを知り、その区別をつけることは頼もしいことだ。お前も親方が木綿を着るならば、普段は木綿のつぎはぎのあるものを着るべきだ。お前はこれを風変わりな衣服と言う。(中略)それは道理に合わないことだ。」

(ある人)
「親方は時々近所で工事があると手伝いに行ったり、番頭や奉公人の代わりに働くこともある。このようなことはどうか。」

(梅岩)
「それを聞くとなお、親方の心がけは、実に素晴らしいものだ。お前は常識を知っているだけで臨機応変を知らない。格式の高い武家をもって考えてみるべきだ。平和な世の中であっても、軍事を忘れないのが武士の常である。唐土では狩をして軍事を習う。自分の家の家業を習うのは人の常である。どれほど奉公人がいたとしても頼みにはならない。もし奉公人がいなくなってしまったら家業を捨てるのか。家業のことを知らないで、何をもって商売を取り締まり、家を保つことができると言うのか。(中略)お前の親方は自分の職分を疎かにすることがない。聖人の道をよく聞き理解している人である。」

(ある人)
「親方は勘定が細かく、お金を集めることを好み、散らすことは嫌うので、奉公人も綺麗に着飾る者は親方に嫌われる。倹約家の見苦しい身なりを好んで、その者にやる給金(給料)も安いのかと思えば、それは他の者と変わらない。このように辻褄が合わないのはどういうことか。」

(梅岩)
「お前の親方は世の手本となるべき人である。すべて下々の者は言うに及ばず、たとえ二万騎三万騎の大将であったとしても、計算が苦手では兵の進退や陣形を整えることがうまくいくはずがない。もとより商売人として、算盤を知らずに何をもって勘定をすべきと言うのか。奉公人を抱えるにも、この奉公人の給金は十枚、あるいは五枚、下男は百目、彼は五十目と、人それぞれに違いはある。その者の働きを見て、功労があった者には給金を増やすべきだ。その目利きができれば、自分の代わりに仕事をしてくれる者が何人もできるだろう。(中略)これは君に誠があって臣を養う道である。この道に背くべきではない。唐土の項羽は人を使うのに、功労者には国を与えるべきところを、惜しんで報酬を与えず、ついに漢の高祖のために滅ぼされた。これは臣から君に恨みがあるために、臣が裏切って高祖のもとに行き、かえって自分の敵となってしまったものだ。これは功績と報酬との計算を知らないことから起きたことだ。たとえ項羽に無礼があったとしても、高祖のもとへ行くのは臣の道ではない。しかし不忠の者も、仁をもって忠臣のように使いこなすのが君の道である。このためにお前の親方は、義理があって出すべき給金はこれを出し、集めるべきお金はよく集め、散らしては集め、集めては散らす。この二つは義にかなっているので、たとえ家や国を治めたとしても、何も難しいことはないだろう。奉公人も、倹約家は給金を貯めて主人の恩を知る。奢る者は給金を鼻紙代にしてしまい使い果たす。足りないところは盗んで使いながら、「うちの旦那は何年勤めても勤め甲斐がない」などと言う。お前の親方はこれを知っている。ここをもって、給金を値切らない。見苦しい身なりをかえって喜ぶ。このように誠の道をもって人を使うならば、忠ある者を求めて得ることが多いだろう。孔子は、「倹約をもって失う者は少ない」と言った。倹約家を好むのはもっともなことだ。国家を治めるにも、倹約を本(もと)とするではないか。たとえ財産があっても、善人を得ることができなければ、何をもって家を治めると言うのか。」

(ある人)
「親方は前回の飢饉の年に、親類中、その他支店の者や奉公人たちへ、米穀を買う金銀を貸し、それを翌年から取り返すと言った。借りる者たちの中には、こちらが楽になるばかりになってしまうから、今日からは利息をつけて借してほしいと言った者がいたけれども、それを聞き入れずに利息なしで取り返し、内に積んでおいて番をしている。このように取ってもよい利息を取らずに、損をしているのはどういうことか。」

(梅岩)
「これはひときわ面白い。親類や奉公人たちは、先代の親方の人の物を返さずに奢っていたことを見習って、奢ることを知り、まさかの時のために蓄えをすることを知らなかった。それを教えるために、急々に取り立てられたのであろう。また貸した物を取り返すのは古今の常識である。孟子は、「道にあらざれば何一つ与えず、何一つ取らず」と言った。心が正しい親方で、貸して取ることの他に余計な心はなかったのだろう。人を不義に陥れることなく、かつ救うための行いである。」

(ある人)
「そうかと思えば、出入りの日雇いの者などの何のゆかりもない者には、多くの米穀を施し、それはやったままにして返してもらわない。そのうちの誰かがお礼に来ても、特別喜ぶ様子も見えない。「結局やるだけ損である」と言う者がいたが、「いや、物を施すのは礼を受けるためではない。当然のことである」と言われる。またケチなことは、シラミの皮を千枚に薄く剥がすかのようである。これらはどういうことか。」

(梅岩)
「さてここに至ってなお一層感心するところである。なぜかと言えば、金銀は天下の御宝である。我々は世にあってお互いに、救い助け合う役人なのだということを知っているように見える。これゆえに困窮にあっては多くの人を救い、また救われた人からは、「かたじけない」としみじみお礼を言う者もいないけれども、それも厭わないというのは、聖人といえどもこの上はないというほどの行いのように思える。孟子は、「民には不変の職業や財産はないので、不変の心を持たない」と言った。民に知がないのは常である。その愚かなることを知って、その者が自分の慈悲の心を知ることはないけれども、それを厭うことなく他者の憂いを救い、自らこれを任務とする。よく蓄えよく施す今の親方は、学問も好まれると聞いているが、たとえ一字も学んでいなかったとしても、これぞ真の学者であると言えるだろう。先人は、天地が物を生じる心を会得して自らの心とし、人物を育み養うことをもって要(かなめ)とする。孟子は、「君子の性とするところは分が定まっていて、大いに行われても加えられず、狭いところに閉じ込められても損なわれない」と言った。これをもって見れば、人は貴賎にかかわらずことごとく天の霊である。貧窮の人といえども一人で飢え死にするときは、そのまま天の霊を断つのと同じことだ。これゆえに聖人は民を養うことをもって本(もと)とする。これをもって飢饉の年には、お上より飢えた人を救えと言われたことであれば、お前の親方は天下の御法をよくぞ行い、また力を尽くしたものだ。その志は誰もがそうありたいと言うほどのものだ。」

(以下私見)
我々は今でも、世にあって、お互いを助け合い、救い合うという使命を帯びた役人なのだ。。もしもの時のために、普段は倹約を守り、蓄えを増やしておくことも大切ですな。。また、平時においても、財産や精神的な余裕を持っている者は、それらを人々と分かち合わなければならない。。何の見返りを求めることもなく。。

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