石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(九)

(日本古典文学大系「近世思想家文集」の原文を現代語訳しています)

「ある学者、商人の学問を非難する」

(ある学者)
「私も学問を好む。あなたも学問の看板を掲げ、教えを広めている。道は聖人の道であれば変わることはないだろう。けれども宋儒は孔孟の心と異なり、老荘、禅学に似てとても理を高く説く。このためにやや理解しにくいところがある。あなたは宋儒の註(解釈)を用いて、おそらく孔孟の本意を広めようと思っているのだろう。あなたが教えとするところを説明してほしい。理解しにくいところは質問させてもらう。私の疑問が解決されれば、あなたの教えは学問と言える。まず人々を導くところとして、どういうところを至極としているのか。」

(梅岩)
「学問の至極というのは、心を尽くして性(本来の心)を知り、性を知れば天を知る、ということだ。天を知れば、天はすなわち孔孟の心である。孔孟の心を知れば宋儒の心も一(同じ)である。心は一つであるのでに註(解釈)も自ずから適切である。心を知るときは天の理はその中に備わる。その命(天命)に逆らわないように行う。その他には何もない。」

(ある学者)
「あなたは理をそのまま命であると言う。これは大いに間違っている。理は玉の理(すじ)である。また全ての理は物の理であれば通るまでのことであって、死物である。命は書経にも「命は時により変わる」とある。天の下す命であれば、活物の性である。このように理と命は別のものなのだ。それなのに、死物と活物をもって一致とするのはどういうことか。」

(梅岩)
「あなたが言うところは枝葉にこだわっていて、文字の論議になってしまっており、根本のところを失っている。「君子は本(もと)をつとむ」と言う。万事にわたってこのようなものだ。まず初学の者は、根本を知ることが大切である。初めから枝葉の部分にこだわると、繁雑なので理解がしにくくなる。天地があって物を生じ、物が生じて後に名が付く。名が付いた後に、文字を加えて名を記す。(中略)未だ名が付かず文字もなかった頃から、天の道はある。天道というのも人が付けた名である。私が言うところを、名にとらわれることなく聞くべきだ。すでに聖人は仁を本(もと)となし、老子は大道をもって仁の本となし、道と仁と名は二つである。文字によってどちらが本かを議論して決めることができるだろうか。「無声無臭」にして万物の体となる物を、仮に名付けて、乾とも、天とも、道とも、理とも、命とも、性とも、仁とも言う。全てこれらは一つの物なのだ。その一物を、体用(本体とはたらき)の体の観点から見て理と呼び、体用の用の観点から見て命と呼ぶ。文字を離れて見なさい。理と命と名は二つあるけれども、一であることを知るべきだ。例えば川と淵と、名は二つあるけれども、流れるところにおいては川と呼び、溜まるところにおいては淵と呼ぶ。理は淵のようなものであり、命は川のようなものである。動静あって一であるのだ。(中略)孔子孟子ともに、「道の行われるのも廃れるのも、治乱ともにみな命なり」と言うのだから、命は天の行いすべてを意味する名である。それに対して理は天の体である。(中略)天は陰陽、地は剛柔、人は仁義と分かれるといえども、天地人を究め尽くすときは一つの理である。この性命の理を究め尽くしたのが聖人である。このために「無為にして治まる」。それは天の道が行われるのと同じことだ。(中略)そうであれば天の理に従うほかに道はない。書経もまた、理に逆らうときは天命が変化して滅んでしまう、という教えである。よって「命は時により変わる」と言うのである。これを手本として、今でもなお、理に従えば天命にかなうことになるのだ。理というのは天地から人間、動物、草木に至るまでに行われる道のことであり、また、それぞれに分かれ備わっている体のことを、仮に名付けて理と呼ぶ。また文字というものは、天地開闢から数億万年の後に作られ始めたものである。その文字をもって天が生じる無数の物に合わせても、その一万分の一にも足りない。この理を知るべきである。文字にこだわるのは酒ではなく酒粕を味わうようなものだ。いろいろ理屈を作ったとしても、すべてを文字で説明し尽くすことはできない。元来天地の体は、文字を離れて死活を超越しているので、古今において変わることはない。命は用(はたらき)であるから動き、かつ変化する。理は体(本体)であるから動かず、変化することはない。その変化しない物を理と名付けているということを知るべきである。文字は事を天下に通す器のようなものである。理はその主(あるじ)である。(中略)ハカリやマスも天下に通用することをもって重宝される。学問の道もまたそのようなものである。理を究めて天道聖人の心を天下に通用することをもって宝とされる。聖人は「理を究めて性を尽くして命に至」ったので、古今に通用して宝とされているのである。この理を知ることを学問の本(もと)とする。このことをハッキリと思い定めるべきである。理が明らかになれば、その時々の状況において、適切な判断ができるようになるだろう。」

(ある学者)
「性理を知れば、その時々の状況において適切な判断ができると言う。しかし、それを実践することは難しいことである。それなのにあなたは簡単なことのように言う。それは自分にとって適切なのか、他人にとって適切なのか。」

(梅岩)
「適切な判断というのは、その場の双方にとって適切であるということだ。」

(ある学者)
「双方にとって適切ということはあり得ない。例えて言えば、まずここに木綿を一疋(二反)買い、あなたとこれを半分ずつ分けて取る時に、あなたも織りかけ(質)の良いところを望む。私も織りかけの良いところを望む。この理は木綿のことに限らず、万事にわたるだろう。また奉公人を抱えたり、あるいは役目等のことについても、同日に来る者に同じ役目を言いつけるときに、すべて一方を上に立て、もう一方を下に立てる。その上に立つ人は気分がいいだろうが、下に立つ方は快くない。不満に思うだろう。これをもって見れば、とかく双方にとって適切に、というのは不可能なことである。」

(梅岩)
「その時々の状況によって、適切な判断は毎回変わる。」

(ある学者)
「その毎回変わるというのは、どういうことか。」

(梅岩)
「その奉公人が双方同じ能力ならば、門口を先に入った方を上に立てるべきだ。二人とも同時に入ってくることはあるまい。能力に高低の差があれば、能力の高い方を上とするべきである。また役目の件で言えば、同日ではあっても、先に進む方を上とすべきである。これはみな天のなすところであって、私が決めているのではない。このように、その時々の状況によって、適切な判断は毎回変わるのである。」

(ある学者)
「先ほどの木綿の話はどうか。これは細かい話だけれども、まだ適切な答えが思いつかないので、答えなかったのではないか。」

(梅岩)
「それについては言うまでもないことである。だから答えなかったのだ。」

(ある学者)
「言うまでもないというのはどういうことか。」

(梅岩)
「孔子も「己が欲せざるところを人に施すことなかれ」と言っている。私が嫌だと思うことは人も嫌うものだ。私からその木綿を取るならば、あなたに良い方を渡そう。あなたから取るならば私に良い方を渡すべきである。またあなたの所に織りかけを取り寄せ、その奥の悪いところを私に渡すならば、あなたの世話になっているのだから、それは当然だと思う。このようにさばいていけば、ことごとく適切に判断することができる。あなたに良い方を渡せば、あなたは喜び私は義をもって仁を養う。これは双方によろしいことではないか。」

(ある学者)
「それではあなたは損をすることになるが、損を喜んでこれを義というのはどういうことか。」

(梅岩)
「いや、損ではない。大いに利がある。」

(ある学者)
「損を利と言うのはどういうことか。」

(梅岩)
「孟子も「君子は生を捨て義を取る者なり」と言っている。君子は命を捨てて義を取る。木綿の件は軽いことである。たとえ一国を得て、莫大な財産を得るとしても、道に外れていればどうして不義を行うだろうか。物で多少損をしたとしても、心を養って利を得ることができる。これ以上のことはない。」

(ある学者)
「あなたは財宝を捨ててただ義を尊ぶと言う。それなら不義を嫌って、利があっても決して不義を行うことはないのか。」

(梅岩)
「不義を行えば心の苦しみとなる。苦を離れるためにするのが学問なのであるから、不義をして心を苦しめるようなことをするはずがない。」

(ある学者)
「商人などは常々、偽りをもって利を得ることを仕事としている。それであれば学問とはまるで相反している仕事であるのに、あなたの所へは多くの商売人も来ているそうだ。あなたはある人にはその人に合わせ、また別の人にはその人に合わせて教えているので、孔子の「道徳家を装う者は、かえって道徳を損なう」と言うのはあなたのことである。学者ではないのに学者のふりをして、世間に迎合し媚びへつらって、人を迷わせ自分の心を欺く小人である。あなたの所に来ている人たちはこれを知らない。あなたも学者の一人だと思われていることを恥ずかしく思わないのか。」

(梅岩)
「「君子は知らないことについては口出ししない」と孔子も言っている。すべて知らないことは除いておくべきことである。この理を知らないでいろいろと言い散らすのは卑しいことである。さてあなたの言うところは、世間の人も疑っているところである。大きな観点から言えば、人の道は一つである。けれども士農工商ともに、各々行う道がある。商人は言うに及ばず、士農工商の他、乞食にまで道がある。」

(ある学者)
「そうであれば乞食にも道があるのか。」

(梅岩)
「こんな話を聞いたことがある。ある人が江州(今の滋賀県)に行ったところ、一つの非人(乞食)の村があった。そこに橋が新しくかけられ、渡り初め(完成したとき行う式典)をしていたので、立ち止まって見ていると、非人頭(村の長)と思われる者が、座布団に座っていた。村の者たちが、橋の渡り初めの祝儀を持って来ていた。その中から痩せて顔色の悪い男が一人、茄子を三本持って来て(非人)頭の前に進んだ。頭(かしら)はそれを見て、「お前はこの頃患っていると聞いているが、どうやってこの茄子を持って来たのか」と聞いたら、「そうだ。長い間病気をして難儀しているところに、今度橋の渡り初めがあるので、頭殿へ祝儀を出すよう、小頭から言われたので、昨晩よその畑へ行き、盗んだのだ。」と答えた。頭が言うには、「乞食をするのは盗みをしないためだ。盗みをするのであれば乞食はしなくてもよい。お前はもう村に住むことはできない」と言って、小頭を呼んで、「彼が回復したらすぐ、村から追い払うように。病気のうちは見張りを付けておけ。」と言い渡したそうだ。飢えて死ぬとしても盗みはしないというのが乞食の道である。(中略)困窮しても正しさを守るなら君子である。困窮して心が乱れるのは小人である。小人となって乞食に劣るというのでは、あまりに悲しいことではないか。」

(ある学者)
「商人は貪欲な者が多く、常々貪ることを仕事としている。そういう者たちに無欲を教えるというのは、猫に鰹の番をさせるのと同じである。商人たちに学問を教えるというのは、辻褄の合わない話だ。それを承知で教えるあなたは曲者ではないのか。」

(梅岩)
「商人の道を知らない者は、貪ることを努めて家を滅ぼす。商人の道を知れば、欲心を離れ仁心をもって努め、道にかなって栄える。これを学問の徳とする。」

(ある学者)
「そうであれば売り物に利益を乗せず、元金で売り渡すことを教えると言うのか。ここで学問を習う者は外では利を取らぬことを学び、内緒で利を取るというのであれば、真の教えではなく、かえって偽りを教えるというものだ。元はと言えば、本来学ぶべきでない者たちに学問を強いるようなことをするから、このように辻褄が合わなくなってくるのだ。商人が利欲なく商売をするなどということは、今まで一度も聞いたことがない。」

(梅岩)
「偽りではない。偽りではない理由を説明しよう。ここに君に仕える者がいるとする。奉禄(給料)を受け取らずに仕える者があるだろうか。」

(ある学者)
「それはいないはずだ。孔子孟子といえども、「禄を受けざるは、礼にあらず」と言っている。いるはずがない。禄は受ける道によって受ける物だ。受ける道によって受けるのを欲心とは呼ばない。」

(梅岩)
「売利を得るのは商人の道である。元銀(仕入れ値)で売るのを道であるとは聞いたことがない。売利を欲と言って道ではないとするなら、まず孔子が子貢をどうして弟子にしたのか。子貢は孔子の道をもって、売買の上に用いられたのだ。子貢も売買の利がなくては富をなすことはできない。商人の売利は武士の禄と同じである。売利がない商売というのは武士が禄を受け取らずに仕えるのと同じだ。あるところに大名の屋敷に出入りする商人が二人いた。また他からも出入りを望む者があって、買物方の役人が「二人の商人から買い入れる物はことのほか高値に見える」と言って、かの出入りを望む者の絹と見合わせてみたとき、随分値段が違ったので、役人はたいそう機嫌が悪くなり、二人の商人のうちの一人を呼んで、「その方から買い上げた呉服、ことのほか高値につき、他をも見合わせたところ、格別の相違があり、不行き届きである」と言われたので、商人は、「拙者どもは御用を粗末に仕えたことは少しもございません。初めて出入りを望む者は、損をしてでも(値段を下げて)最初は差し上げる(売る)でしょうが、後が続かないものでございます。」と答えた。その口書(供述書)をとって商人は帰された。もう一人の商人も呼ばれて、不行き届きの旨を言い渡したところ、「仰ることはごもっともでございます。拙者どもは、去年までは愚父が御用達をしておりましたが、愚父が亡くなった後、御用を拙者に仰せつけられ、不慣れなもので経営が困窮し、現金で仕入れができず、先方より高値で買うことになってしまい、誠に申し訳なく思っております。その呉服が証拠でございます。今しばらく御扶持(大名からの給金)で生活をしながら、一、二年のうちには家屋敷諸道具を売り払い、借金を返済して、そのうえでまた御用を勤めたく思っております。」と答え、口書をとって帰された。その後評議があって、一人の商人は高利を取り、そのうえ役人を口先でごまかそうとしたということで、出入りができなくなったそうだ。もう一人は正直な申し分であり、そのうえ彼が貧乏なのは亡父が贅沢をしたことが原因で、彼の責任ではないということがわかった。亡父の贅沢による困窮を身に受ける孝行の心、殿への忠義、かれこれ後々に至ってもためになるべき者であるということで、借金を調べ、その返済のために金を貸し、出入りの商人としてこれまで通り用を申し付けることになったということだ。これは正直によって幸いを得たというものだ。殿様の御恩を忘れず、高値な物を差し上げるべきではない思う誠と、父の贅沢を隠す孝と、正直なところを言って役人を口先でごまかす心がないことと、この三つの徳により我が身の幸いとなったのだ。また、もう一人の商人が、「全く御用を粗末に仕えず。また初めての者は損をしてでも差し上げる」などと言ったことは、世間一般でもよく言われていることであるけれども、それを聞く方の身になって考えてみなさい。目に余るほどの値段の違いがあれば、もっともなことに聞こえるはずがない。その場しのぎの嘘を言うと思って当然である。いよいよその言い訳を話せば話すほど、聞く人はこれを憎むものだ。世間の人々は賢いようでいて、真の道を学ばないために自分の過ちを増やしてしまっていることを知らない。ここをよく味わって考えてみれば、真実がなくては道(天命)にかなわないということがわかるはずだ。タバコ入れ一つ、キセル一本を買うとしても、善悪は見えるものなので、儲けようと思ってある事ない事を言い回し、高値で売ろうとするのは良くないことだ。ありのままに正直に言うことは良いことだ。人は他人を見て、誠実かそうでないかを判断しているが、他人もまた自分をよく見ているということを知らない。(中略)この理を知れば、言葉を飾らずありのままを言う者は、正直者であるとして何事も任され頼まれることになり、自然と人一倍物を売るようになるものだ。商人は、正直に思われて打ち解けることは、お互いにとって良いことであると知るべきである。この味わいは、学問がなくては知ることができないものだ。それを商人には学問はいらないと言って嫌い、これを用いないというのはどういうことか。」

(ある学者)
「けれども俗に言う「商人と屏風とは直ぐにては立たず」とはどういうことか。」

(梅岩)
「世間の人の言うことは、そのような聞き誤りが多い。まず屏風は少しでも歪んでいればたたむことができない。また地面が平らでなければ立たない。商人も同様に、自然の正直さがなければ、人と並び立って通用しない。これを屏風の真っ直ぐな様子に例えたものである。屏風と商人は真っ直ぐであれば立つ。歪めば立たないということを取り違えているのだ。(後略)」

(ある学者)
「商人が屏風に並ぶほど真っ直ぐであるということは、どういうことか。」

(梅岩)
「貨(たから)を売るを商いと言う。そうであれば貨を売る中に禄(報酬)があるということを知るべきである。だから商人は左の物を右に取り渡しても、直ぐに利を取るのだ。曲がって取るのではない。口入(紹介、斡旋)ばかりする商人を問屋と呼ぶ。問屋が口銭(手数料)を取るのは、書付(手数料の一覧表)を出しておけば人々はみなこれを見る。鏡に物を映すのと同じで明らかである。何も隠し事はしていない。直ぐに利を取る証拠である。商人は直ぐに利を取ることによって立つ。直ぐに利を取るのは商人の正直である。利を取らないというのは商人の道ではない。これをもって正しい武士は、この売り物は売ったら損になるけれども、負けて(値引きして)売りましょうと言われたときは買わない。私が買うのはあなたに利を得させるためである。あなたの助力は受けない、と言う。利を取らないのは商人の道ではない。」

(ある学者)
「それであれば天下一様に、仕入れはいくらで利はいくらと決めておくべきではないか。それに偽りを言い、負けて売るというのはどういうことか。」

(梅岩)
「売り物は時の相場によって、百目(銀百匁)で買った物を九十目でなければ売れない、ということもある。これでは損をすることになる。よって、百目の物を百二、三十目で売ることもある。相場の上がるときは強気になり、相場の下がる時は弱気になる。これは天下の為すところであって、商人の為すところではない。天下の御定めの物以外の物は、価格に時々狂いがある。狂いがあるのは常である。今朝まで金一両で米一石を売っていたのが九斗になり、小判は下がり、米は上がり、また小判は上がり、米は下がり、というように変化していくものだ。天下第一の売買物(米)がこのようなものなのだ。その他何に限らず日々の相場に狂いがある。それは公正さを欠いているわけでもなく、私欲によって狂いが生じているわけでもない。それなのに自分一人が天下の商人に背いて、仕入れはいくら、利はいくらと決めることはできない。それを偽りと言うのはおかしい。これを偽りと言うなら商売は成り立たない。商売が成り立たなければ買う人は物が手に入らなくなり、売る人は売ることができなくなる。そうなっていけば商人は生きていく手段がなくなり、農工となるしかない。商人がみな農工となれば、財宝を通わせる者がいなくなり、万民が難儀することになる。士農工商は天下の治まる助けとなっている。どれか一つが欠けてしまったら助けが無くなってしまう。四民(士農工商)を治めたまうのは君(主)の職である。君を助けるのは四民の職分である。士はもとより位のある臣である。農人は草莽(草むら)の臣である。商工は市井の臣である。臣として君を助けるのは臣の道である。商人が売買をするのは天下の助けである。細工人に工賃を払うのは工の禄(報酬)である。農人に作問(収益)を下さることは、これも士の禄と同じである。天下万民の産業なくしては、世の中は成り立たない。商人の売利も天下御免(おゆるし)の禄である。それをあなた一人が、売買の利ばかりを欲心であり道ではないと言って、商人を憎んで断絶しようとする。何をもって商人ばかりを卑しめ嫌うのか。あなたがもし、売買の利は渡さないと言って利を引いて代金を支払えば、天下の法を破ることになる。大名から御用を仰せ付けられる際にも、利をくださるものだ。それであれば商人の利は御免(おゆるし)のある禄のようなものだ。けれども田地の作得と、細工人の作料と、商人の利とは、士のように何百石何十石とは決めることはできない。日本唐土(もろこし)においても売買に利を得ることは当然のことである。当然の利を得て職分を務めれば、自ずから天の用をなす。商人が利を受けなければ家業を務めることはできない。商人の禄は売買の利だからこそ、買う人がいれば、それを受け入れ、物を売るのだ。買う人に呼ばれて行くのは、役目に応じて行くのと同じことだ。欲心から行くのではない。士の道も君より禄を受けることがなければ務まらない。君より禄を受けるのを、欲心と呼んで道ではないと言うなら、孔子孟子を始めとして、天下に道を知る人は誰もいなくなってしまうだろう。それなのに士農工と区別して、商人が禄を受けるのを欲心と呼び、道を知ることはできない者と言うのはどういうことか。私が教えるところは、商人に商人の道があることを教えているのだ。士農工のことを教えているのではない。」

(ある学者)
「そうであれば商人が売買において利を得ることはあるべきことだ。その他に商人の曲がった(間違った)、非道な行いはあるのか。」

(梅岩)
「今日の世間の有様を見ると、曲げて非なることは多い。実際の商人には慎みを知らない者もいる。例えをもって説明しよう。私が小さい頃聞いたことがある話だ。昔、ある国に、いつ頃からか浸水地帯となり、農作ができなくなった田地があった。その昔水が入っていなかった頃に年貢をかけられていたために、今でも少しずつ年貢をかけられていたので、その田地に果物を植え、稲作よりも収穫できるようになったのだが、先代の殿様の頃からその果物にも運上(税金)がかけられることになったそうだ。君(今の殿様)はこれを気の毒に思い、この新法を止め、民が損われることを救おうと志したけれども、親の時から始められたことであるので、子の身として改め変えることもできず、嘆いていたが、やはり止めるべきであると思い直し、ある時家臣を呼んで、「城下を見れば二階作りの家を建てる者がある。二階作りの家はことごとく運上(税)を取るべし」と言われた。家臣はこれを難儀に思って、相談して示し合わせ、殿様に、「先日二階作りの運上を取るべしと仰せ付けられたことですが、昔から例のないことでございます。御免(ゆるし)くださいますように」と申し上げた。殿様は、「昔から例がないことだろうか。我はその例をもって言い付けるのだ。かの水入りの田地は、下にては年貢を取り、果物にても運上を取るのであれば、二階作りの運上と同じである。例のないことではない。」とお答えになった。それより果物に運上を取ることを止め、田地の年貢のみに戻ったそうだ。「御仁愛の及ぶところ、誠に民を子の如くに思う政(まつりごと)、世にありがたきことかな」と言われたそうだ。商人もこのようなことを手本とするべきである。それなのに、二重の利を取り、甘い毒を食べ、自ら命を絶つような者が多い。例を挙げて言えば、絹一疋、帯一筋でも、長さが一、二寸も短い物があれば、織屋の方では、短いことを言いたてて値段を引かせる。けれども一、二寸短いぐらいでは何も問題はない。絹は一疋、帯は一筋で、一疋一筋の札を付けて売る際に、ほんの少し短いということで値引きをさせた利を取り、また長さの足りている物と同じ利も取れば、これは二重の利であって、天下御法度の二升を用いる(仕入れの時と売る時で別の升を使う)ことに似たものである。また染物などは、染め違いがあれば、少しのことを大きく言いたてて値引きをさせ、職人を痛めつけ、買った人からは染め代を受け取り、職人へは渡さないなどということもある。これもまた、二重の利を超えた悪事である。すべてにおいてこのようなことが多い。また経営が行き詰まり、代金未払いの取引先に、三割や五割の割銀(代金)を払ってお詫びをして、借金を済ませることもあると聞く。またその債権者の中には債権高の多いものもいて、ずる賢い者は、詫び人から礼銀を密かに受け取り、同じように損銀(損失)があるように見せかけて、自分だけは損をしていない者もあるという。このような紛らわしい盗みをする者を非道の者と呼ぶ。」

(ある商人)
「その詫び人から礼金を受け取り、事を取り持つ(不正に利益を得る)のは商人ばかりではないか。商人ではなくてもそのような事はあるだろうけれども。」

(梅岩)
「商人の多くは道というものを知らないので、このようなことが多い。また道を知って取りさばく者は、このような不義はしないものだ。御領(幕府の領地)、家領(大名の領地)の庄屋、年寄にしても、お上の正しい御政道を受けて取り持つ身として、小百姓より礼金などを受け取ることはあるべきではない。また士(さむらい)と言われる身分の者が、下々より内密に礼金などを受け取ることがあれば、不公平な政治が行われることになってしまう。下々の者たちと並んで、何事も取り持つような人を士と呼ぶべきだろうか。それは盗人という者であって士ではない。上に立つ人は、下より賄賂などを受けては政道が成り立たない。たとえ当分の間は知られずに済んだとしても、「天知る、地知る、我知る、人知る」のであれば、ついには露見して天の罰を受けるだろう。天罰を知らない者は、天下泰平の世の中に有るべきではない。けれども商人は士ではないので、このような不義が残念ながら多くある。ほんの少しでも道に志があれば、なすべきことではないのであるが。」

(ある学者)
「その詫び人が礼金を出し、事の解決を頼むのが悪いのか。それとも礼金を受け取って、事の解決を頼まれる方が悪いのか。」

(梅岩)
「その時は頼む人は下である。頼まれる者は上である。頼む者も頼まれる者も罪がある。けれども七分の罪は上にあり、三分の罪は下にある。昔から「知ある者は上に立ち、下を治める。無知なる者は下に立ち、力を労して上を養う」と孟子も言っている。上の清潔を法とするのは古(いにしえ)よりの道である。その正しさを守らずに、詫び人と並んで不義の礼金を受け取り、これも財宝などと思うのは浅ましいことだ。下々に生まれたからといって人間であることに変わりはない。経済的に行き詰まった者は、大人しく金銀を払って詫びることだ。貸した方は、身分相応の損を抱えているものだ。その中にあって、取り持つ顔をして礼金を受け取る者は、盗人と同じである。このようなことをする者は、甘い毒を食べて自ら命を絶つのと同じである。また、商家の番頭や奉公人にも、このような不正をなす者が多い。これは主人の思いもよらない悪を迎え入れ、主人に甘い毒を食べさせて家を絶やす者と同じである。(中略)それを主人は、金銀の損さえ少なければ忠義のある者と思い込んで、我が身を滅ぼされることを知らずにこれを喜ぶ。その根本には、商人には学問は必要ないものだと言って(学問の道を)聞こうとせず、かえって聞く人を笑うという問題がある。(中略)私は賢い、などと思って不善の道に陥れば、その家はついには災いが来るということを知らない。悲しいことだ。(中略)二重の利を取り、二升の真似をし、内密の礼金を受け取ることなどは、危い浮き雲に乗るようなものだと思うべきである。これをよくよく慎むのは学問の力である。世間の有様を見れば、商人のように見えて実は盗人という人が多い。まことの商人は先方も立ち、自分も立つということ考えるものだ。紛い物は人を騙してその場をごまかす。これを一列に言うべきではない。」

(ある学者)
「商人の道は大体そのようなものと考えてもよいか。」

(梅岩)
「これは売買の道を説明したものだ。細かいことを言えばキリがなく、説明し尽くすことはできない。」

(ある学者)
「この他にも何か難しい教えはあるか。」

(梅岩)
「難しい教えというものはない。けれども五常(仁、義、礼、智、信)五倫(父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信)の道は、商人においても、天下国家を治めるにおいても同じである。そのため小家といえども教えがある。例えて説明しよう。ある田舎に大仏殿を見たいという老衰の人がいた。その子は孝行者だったので、近所の大工に「親に見せたいので、大仏堂の雛形を建ててほしい」と頼んだところ、大工は「私は大仏堂の雛形は建てることができない」と答えた。「いや小さくていいのだ。ただ四、五尺ばかりの物でいいから建ててほしい」と言うのだが、「すべて本堂作りは、法を知らなければ雛形も建てられるものではない。堂には大小あるけれども、仕様はみな同じであるからだ。」と言う。天下を治めるのは大仏殿を建てるようなものだ。小家を治めるのは雛形の小堂を建てるようなものである。家一軒には君臣がいて、父子がいて、夫婦がいて、兄弟がいて、朋友の交わりがある。人倫の道がなければ、小家といえどもどう治まるというのだろう。小家を治めるのも仁、国天下を治めるのも仁、仁に二つはない。商人の仁愛も間に合えば(うまく状況が揃えば)、飢饉の際に、救い米を出すというものだ。飢える人を救って人を殺さないということは人の道である。」

(ある学者)
「どうすればそのような商人の道を会得することができるのか。」

(梅岩)
「先ほど言ったように、「一事によって万事を知る」を第一とする。例を挙げて言えば、武士たる者は、君のために命を惜しまないというのでなければ士とは言えないだろう。商人もこれを知るならば、道は明らかである。我が身を養う売り先を、粗末にせずに大切にすれば、十のうち八は売り先の心にかなうものである。売り先の心にかなうように商売に精を出し努めるならば、世を渡るのに何も心配することはない。そのうえ第一に倹約を守り、これまで一貫(千)目の費用がかかっていたのを七百目で賄い、これまで一貫目あった利を九百目あるようにするべきだ。売り上げ十貫目の内に利益が百目減少し、九百目取ろうと思えば、売り物が高値であると咎められる心配はない。心配がないから心を安んじることができる。そのうえ前に説明したように、尺が足りないなどと言って二重の利を取らず、染物屋の染め違いを言い立てることなく、経営に行き詰まった人から礼金を受け、債権者仲間の取り分を盗まず、収入と支出を計算し無理をせず、奢りを止め、道具に凝ったりせず、遊興を止め、建築に凝ったりもしない。このようなことをことごとく止めることができれば、一貫目儲けるところを九百目の利しか得なかったとしても、家を心易く保つことができる。さて、利を百目少なく取れば、売買の上に不義はたいていないものだ。例えば一升の水に油を一滴入れるときは、その一升の水一面が油のように見える。これをもって水の用をなさなくなってしまう。売買の利もそのようなものである。百目の不義の金が、九百目の金をみな不義の金にしてしまうのだ。百目の不義の金を儲け増し、九百目の金を不義の金とするのは、油一滴によって水一升を捨てるかのように、子孫を滅ぼすことになるということを知らない者が多い。二重の利や、経営に行き詰まった者からの礼金や、支払いの際の手の込んだ策略などの無理をしても、ことごとくそれらを集めたとしても、その金で世帯が保たれるものではない。この理は万事にわたっているだろう。けれども欲心が勝って、百目のところが気になってしまい、不義の金を儲け、愛すべき子孫が絶え滅びることを知らないというのは、悲しいことではないか。前にも言った通り、とかく今の世の中においては、何事にも清潔であることの鏡として士を手本とすべきである。(中略)商人も二重の利や内緒の金を取るのは先祖への不孝不忠であると知り、心は士にも劣らないと思うべきである。商人の道といえども、士農工と変わるものではない。孟子も「道は一なり」と言っている。士農工商はともに天の一物である。天に二つの道はない。」

(以下私見)
士農工商がそれぞれの職分を真っ直ぐに務めることで、国家が成り立ち、繁栄していくという考え方は、現代にも十分通用するものだと思われる。。あらゆる職業の人たちが、自分さえ良ければ良いではなく、自分と顧客の双方に利益をもたらすよう仕事に励むことができたなら、その国はますます発展して豊かになっていくだろう。。そのためには、道徳の規範を、国民全体で共有する必要がある。。江戸時代はそれが、儒教であったわけだが、今の日本の道徳の規範とは何か、と考えてみると、甚だ心もとないな。。

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