石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(二十一・完)

(日本古典文学大系「近世思想家文集」の原文を現代語訳しています)

「ある人、天地開闢の説を疑う」

(ある人)
「日本書紀の神代巻に、「天と地は未だ分かれず、陰と陽は分かれず、鶏卵ように混沌としていて、ぼんやりとしていて兆しを含んでいた。その清く陽であるものは天となり、重く濁っているものは地となった。その時、天地の中に一つの物が生まれた。形は葦の芽のようで、そのまま神となった。クニノトコタチノミコトと言う。」とある。これは奇怪な説である。天地開闢の前に生まれ、この時のことを詳しく見て、数百億万年生き続け、これを後の世の人に伝えた人がいたとでも言うのだろうか。そんな伝えなどはなく、元来跡も形も分からないことなのであれば、これは誠に奇怪な説ではないか。あなたはどう理解しているのか。」

(梅岩)
「あなたの言うように、この説を疑っている人は多い。けれどもここのところは、性(本来の心)理(天の理)を明らかにしていない者が、うかがい知るべきことではない。それなのにこれを奇怪な説と言うのは、聖徳太子や舎人親王よりも、あなたの考えの方が勝(まさ)っていると思っているのか。」

(ある人)
「我らごときが、その方々に及ぶはずもない。けれども天地開闢の説は、奇怪な説である。」

(梅岩)
「太子、親王は聖徳をもって、世にも賢くいらっしゃって、我が国の記録を書き伝えたのだ。そのことの意味を、よく考えてみるべきだ。この方たちは、天地開闢の時にも人がいたと思っていただろうか。今の世の愚かな人でもその程度のこと(天地開闢の時には人はいなかったこと)は知っている。そこをよく考えないのは愚か者である。「神がその中に生まれた」とあるその神は、今に至ってもいるのか、いないのか。もしいないのなら、今は神国とは言えないだろう。いるのであればどこにいるのか。その時には現れていて、今は隠れているのかと、じっくりと考えていけば、夜が明ける(悟る)時期が来るだろう。あなたは自分の本来の心がまだ明らかになっていないのに、心の明らかな親王の筆記した書を捨てるというのは、「暗夜に燈火をもって天を知ろうとする」ようなものだ。さて、私も以前は、天地開闢の説を非として、他人を迷わせたこともあるので、今になってみれば、愚かな考えで古人を非難したことを後悔している。けれども小賢しい者は、十人中九人までは(天地開闢は奇怪な説であるということを)納得してしまうので、あなたのように言う者を、かえって知識人のように思うものだ。あなたも世間の少し学問がある者にそれを言って聞かせれば、これは今までにない見識であると思って、あなたのことを知識人のように思うだろう。知識人として思われるあなたの愚かさは、思う方の愚かさよりさらにたちが悪い。今言ったところをじっくりと考えていけば、疑いが解ける時期も来るだろう。(中略)さて、古今において変わらないものは(天の)理である。理をもって言えば、天人一致にして今日に至り、人間畜類まで各々が継いで来たものは理である。それがどこから継がれて来たのかを知ることができれば、たちまちに疑いは晴れるものだ。天地開闢の説、また、「天は子に開け、地は丑に開け、人は寅に生まれた」などの説も、怪しい説に聞こえるけれども、みなどれも当たる所があるのだ。それを言葉にこだわってしまうと、書の心は見えなくなってしまう。易の卦をもって月を呼ぶときは、十月は純陰である。十一月の冬至の日、一陽来復するといえども、天地の間のどこを見ても、ここに一陽が来たというようなものは見えない。初陽は潜み隠れているために見えないと言うのなら、正月には三陽が生じて、花が咲き、鳥が鳴くといえども、その(三陽の)体(形)は見えない。また、乾は龍となし、坤は牝馬となし、陰陽を龍と馬に例える。これも文字にこだわって、陰陽はそのまま龍と馬のことであると言うべきだろうか。周公旦の例えは疑わず、親王の例えに「形は葦の芽のようで」とあるのを疑うというのはどういうことか。みな形を借りて義(心)を表しているのだ。その(本)体は微妙の(天の)理であって、見ることはできない。見えないならそれはないものだと言って、古人の書を破り捨てるのか。天地開闢の説、または天は子に開けるという説は、みな天地は自然の次第(生じたもの)であることを知らしめるためである、と知るべきだ。自分の性(本来の心)を知ってから万事の説を見れば、それは手のひらを見るように明らかであって、疑いようがないものだ。今、草木の生まれ出るのを見れば、初めは種が土の中にあって混沌として分かれていない。それから錐(きり)の先のように萌芽が出てくるのは、自然の陽の形であって、みな葦の芽のようである。二葉に分かれるのは平らで陰の形である。二葉の中から心(本葉)が立ち出てくるのは、陰から出る陽である。その草木の梢(こずえ)に至るまで、陰陽陰陽と生々する。易の繋辞伝に、「天一、地二、天三、地四、天五、地六、天七、地八、天九、地十」とある。これをもって陰陽陰陽と生成して止むことがないことを知るべきだ。天は一、地は二、万物は三。天地あって後の万物である。「人は万物の霊」であるがゆえに、万物を人に統合し、三に生まれる。ゆえに「人は寅(三番目の干支)に生まれる」とも言うのだ。また人は、胎内に宿るときは一滴の水である。これは鶏卵のようで兆し(気)を含んでいる。その中の清く陽であるものが、虚(形のないもの)として心となるのは、天が開けるのだ。重く濁ったものが形となるのは、地が開けるのだ。頭の形が高くなるのは、葦の芽のようだとも言えるだろう。このように見れば、天地開闢の理は、自分の身体にも備わっている。これをよく味わって見れば、天地の始終は古今において同じである。それを今、「目の前のこの空と大地が太古の昔は一つのもので、それが天と地に開けて世界が始まったのだ」と考えたり、また、「天は子に開け、地は丑に開け、人は寅に生まれた」というものを、言葉の一つひとつにこだわっていては、書を見ても不審な思いばかりが出て、心の疑いを解く楽しみとはならないだろう。理解が滞って苦しむのは、自分の考えが未熟だからなのだということを知るべきである。中庸には、「天は明らかで大きい。その極まりない大きさは、日月星辰がその中に懸かり、万物を覆い尽くすほどである」とある。この味わいを見て知るべきだ。天は広大であるけれども、少しばかり明らかな器の中の天を見て、それをもって広大な天を知るべきである。聖人も実際に天地の外を巡って見てそう言っているわけではない。(中略)前から推測して後ろを知り、現在から推測して初めを知る。人と生まれれば、仁義礼智の性(本来の心)は古今において変わることはない。これを天地においては元亨利貞と言う。名は変わるけれども、万物の理は一つである。一つの物を知ることができれば、一つの物の中に万物の理はこもっている。けれども、この微妙の理というのは、容易く知ることのできるものではない。一度自分で徹底的に疑って、その疑いを晴らした後に味わうことのできるものである。それなのに今の世間の人々は、文字にこだわり、いろいろと理屈をこねるために、心を明らかにすることができず、古人の心を知らないために、和漢ともに文学が他の者より勝っていれば、これを徳と勘違いし、自分を誇る者が多い。文学に誇る者を例えて言えば、世間の人が財産を比べて、彼は劣っている、私は勝っているなどと誇るのと同じである。学者においては恥ずべきことの第一のものだ。なぜかと言えば、財産は稼いで儲けて支出を減らせば貯まるものである。文字も同じで、年を重ねて油断なく学べば、他の者より勝るようになるものだ。その中にあって記憶がよく多く書くことができる者は、世間の人の中にあって幸運にもよく富める者と同じである。また、学者も文字を読むだけでは、聖人の心や神書の奥深いところを知ることはできない。文字を滞りなく読んで、この他には何もないと思ってしまっては、文字から推し量って至る理解とは雲泥の差ができてしまう。ある儒者が、田舎に通う商人と親類で、互いに親しくしていたが、あるとき、儒者が「あなたも少しは学問をされた方がよい。何と言っても文盲(無学)では困るだろう。」と言った。商人は、「私は少しも文盲ではない。このように絹布に値札を付け、どこで売れるかは心当たりもないけれども、売買して父母妻子を養い、家内を治めている。あなたのように文字を習えば文字を読む。私に代わって一日これ(商売)を務めてみなさい。「売買のことは知らない」と言えば私と何も変わらない。私は自分の職分を知れば十分である。そのことも知らないで、あなたは学者だと言えるのか」と答えた。この儒者も、最近世間に知られるようになった人であるけれども、商人の理が明らかであることにかなわず、何も答えることができなかった。学問はなくとも、足ることを知る者はこのような者である。性(本来の心)理(天の理)に明らかである者が文学に達するならば、速やかに聖学が興ることだろう。孟子の言う「七、八月の間日照りが続けば苗は枯れる。天が悠然と雲を作り、沛然と(盛んに)雨を下せば、苗は勃然と(元気に)興(おき)る」である。このように興り起きて、聖学は天下に広く行き渡ったのだ。このために博学豪傑の士は、性理に明らかな者でありたいということを切望する。あなたも一理を明らかにして会得するならば、その時にこそ、「その中に神が生まれた。クニノトコタチノミコトと言う」ということを知覚し、天の与える楽しみを得て、まことの道に入るべきである。」

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