石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(十一)

(日本古典文学大系「近世思想家文集」の原文を現代語訳しています)

「性理問答(二)」

(ある学者)
「もっともらしく聞こえる話ではあるが、天人一致と性善ということは、それを聞いてもしっかりと理解することは難しく、どうにも腑に落ちない。これはどういうことか。」

(梅岩)
「いい質問だ。徒然草に、「伝え聞き学んで知るは真(まこと)の知にあらず」とある。今あなたは私の話を聞いたけれども、まだしっかりと理解はしていない。これをもって味わうべきである。性(本来の心)を知りたいと修行をする者は、知ることができないことを苦しみ、「これはどうか、これならばどうか」と、日夜朝暮に苦しむうちに、忽然として開けるものだ。そのときの嬉しさは、仮に死んだ親が生き返ったとしても、その喜びには及ばないほどのものである。昔から重荷を持った山の賤しい者が杖を懸けて休んでいるのを、安楽の至極であると描かれ伝えられてきた。それを描いた人は忽然と開けるこの楽しみを知らなかったのだろう。私に至極の楽しみを描けと望む人があれば、忽然と開けつつ、手を振り足を踏むことを忘れた者を描くだろう。このところは伝に、「豁(かつ)然として貫通するときは、衆物の表裏精粗到らざることなし」と書かれている。さて、このところは、自分の心をどれぐらい尽くすかによって、嬉しさが違ってくるものだ。何年もの間、あれこれ考え尽くして、忽然と疑いが晴れることがある。一ヶ月二ヶ月疑いを起こし、これにおいてもぼんやり開けることもあるが、喜びは少ない。少ないから勇気が出ない。また信心を堅固にしてこの境地に入り立つ時は、街角に立って演説をしてでも、この味わいを世に伝え残したいと思う勇気も出るものだ。自分の文学の拙さの恥を知らずに、このように教えているのは、片田舎の出の者ではあるけれども、私の志を人々に伝えたいからである。」

(ある学者)
「性理を第一のこととするのは私もそう思う。けれどもとにかく理解することが難しい。(孟子とは)雲泥の差がある告子を非であるとしっかり理解できれば、孟子を是とすることができるのだろうか。」

(梅岩)
「孟子の性善をしっかり理解できれば、真昼間に黒と白を見分けることができるようなものだ。性善は他の非を知らなくても明らかに分かることである。非を知る必要などどこにもない。性善を知れば、定規をもって曲がったものを正すようなものだ。孟子の性善というのは、「心を尽くして性(本来の心)を知り、性を知る時は天を知る」。天を知るのを学問の初めとする。天を知れば事の理は自ずから明白である。これをもって私なく公にして、日月が大地をあまねく照らすようなものだ。告子のように、生まれながらの性を見失い、私の思慮を用いるのは、真昼間に太陽の光を浴びずに、戸を閉じて燈(ともし)火を用いるかのようだ。照らすところはこのように違いがあるのである。よって雲泥の差と言う。天地は照々と明らかである。何の力を用いることもない。力を用いずに行われるために、安楽にしてしかも明らかなのだ。このために(性善は)天地の霊となる。(告子は)これを知らない。昏々と暗くして、私の思慮をもって苦しむのが告子の説である。孟子は性理に明らかであるので、義を積んで浩然の気を養い、至大至鋼にして天地に充満する徳に至ったのだ。告子はこの理を知らず、私の思慮をもって、恐らくこのあたりに答えがあるだろうと考えては問い、まだ決定的な会得には至らないため、手を替え品を替えて問うので、論議のたびに言うことが変わるのだ。自らに決断して言う言葉は変わらないものである。それなのに告子は、「言葉において理解できないときは、それを心に求めてはならない」と言う。「言葉において言えないことであれば、その言葉は捨て置くべきで、その理を心に求めることはよくない」と言う。心に求めることを嫌うのであれば、いつまでたっても悟ることはできないだろう。日常の些細なことでも、心を尽くして初めて知られるものである。また告子のぐるぐる回る水の例えについて言えば、告子が考えたのは、心は様々な思いを生じるけれども、これが心だと言って捉えることができないものなので、性(本来の心)は水が流れて淵にぐるぐる回るようなものだと言うのである。天はたちまちにして寒暑、雲霧、風雨を生じ、平坦清明の気によって、仁義礼智の良心を生じるということを知らないのだ。いろいろ様々に詮索し思慮するために、初めはただ紙一枚ほどだった違いも、とてつもなく大きな隔たりとなってしまう。例えば犬が自分の尻尾を食べようとすれば、身体が回るに従って尾も回るため、食いつくことはできない。告子もいろいろ思慮をするために、性善に及ぶことはできない。惜しいかな。悲しいかな。孟子は知を用いず、義を行うことによって、平坦清明の気を養うことを得たのだ。けれどもそれは一人で会得したものであって、形容しがたいことをもって「難言(言い難い)」と言った。程子曰く、「この一言を見れば、孟子が気を養っていることは明らかだ」。また程子のこの一言を見れば、程子もこの気を養っていることは明らかだ。よくわかっている人はこれを知るべきだ。性善を会得すれば、気もまた清明となって、仁義の良心を発する。常に仁義の良心が起こるのであれば、人としての生き方において、これを超えるようなものがあるだろうか。」

(ある学者)
「性善を知ることは至極のことなのだろうけれども、我々ごときではどれほど聞いても会得することはできない。孟子のような器量があればこそ善と言えるのであって、後世の者は、所詮そこまで及ぶことはできない。また世界数万億人のうちにわずか二十人、三十人、たとえ九十人、百人が会得することがあっても、いわばほんの少しのことである。聖人の教えを分かりやすく人々に説明することによって、世渡りをよくすることの方が、善と言えるのではないか。仏者ならば極楽へ往生すると言って喜ばせたり、儒者ならば天地に昇り降る(魂は天に昇り、魄は地に降る)と言ったりすることの方が、世の人のためには有益であるように思える。たとえ(性善を)悟ったとしても、同じ天地であれば、苦しむだけで利益は何もないのではないか。」

(梅岩)
「あなたも利益があると思っているからこそ、苦しんで学んでいるのではないのか。学ばなければ無知な田舎の人となる。無知な田舎の人となる恥を嫌うから学ぶのである。学問の第一のところは、聖人賢人に至ることである。性善を知ることは、聖賢に至る門である。門戸がなければどうして聖人の道に入ることができるだろうか。孟子曰く、「尭舜の道は孝弟のみ」。苦しんだとしても人の道をよく行うことを利益とする。人の道を捨てれば禽獣となる。心が禽獣に陥って不孝不弟をなし、親子兄弟の心を隔てることほど悲しいことは世の中にないだろう。これゆえに孝経に、「天子から庶民に至るまで、孝なくして憂いの及ばざる者はいまだにいない」と書かれている。よって、「不孝より重い罪はない」と言うのである。このように罪人となり、人倫(人の道)を破っても恐れることなく、孝行をしても損だと思って、死んだら君子(孝行者)も小人(不孝者)もどうせ天地に散り散りになるので、結局みな同じことである、とでも考えているのか。」

(ある学者)
「人倫を捨てるべきなどとはもちろん考えていない。また、死んだら天地に散り散りになるということは、そのように決めつけることはできない。けれども地獄や極楽に行くものとも思っていない。また、三世(前世、現世、来世)のようなものは恐らくないと思っている。これは私だけではない。世間にも死んだらどうなるのか、考えが定まっていない人が多いだろう。あるところに儒教をもっぱら学び、仏教を非難し、かつ神社仏閣へ友達に誘われて行っても、一度も拝んだりはしなかった人がいたが、あるとき病気にかかり、もはや九死に一生と見えたときに、親類なので日頃から来ていた僧がいたのだが、その僧に向かって、横になりながら手を合わせ、涙を流し、「後世(死んだ後)のことをくれぐれもよろしく頼む」と言ったという。自身の最期に臨んでは、何となく不安になって、日頃血気に任せて仏教を非難していたときとは、考えが変わるものと見える。また私も実はまだしっくり来る考えに至っていないのだが、仏者に聞くのも口惜しく、そのうえ仏者にも、正しく悟った僧も見当たらない。あるとき田舎の禅僧に出会い、これ幸いと思って、「仏教では生死の一大事を説明していると聞いている。これはどういうことか。今夜は心静かにお聞かせ願いたい」と言ったら、その僧は払子(禅僧が煩悩等を払う標識として使用したもの)を立てて見せられたけれども、何とも理解できなかったため、しばらく他の話をして、後でまた「先ほどの生死のことを、もう一度わかりやすく、聞いて理解できるように説明してほしい」と言ったところ、「今夜は茶が濃くて寝苦しいだろう」と言われたので、聞こえなかったのではないかと思って、「先ほどの生死のことを、もう一度説明してほしい」と再び言ったところ、その僧は、「もはや四つ(午後十時ごろ)の拍子木が鳴る」と大声で言い、また、「あなたは学問もありそうだが、気の毒な聾(つんぼ)のようだな」と言われた。このようなことでは、聞いても理解することができない。聞かなければしっかりと考えを定めることができない。どのようにしたら疑いなく、最期に至って泣かないようになるだろうか。」

(梅岩)
「その僧が最初に払子を立てて見せられたのを、あなたが見て理解できなければ、盲(めくら)と言うべきところを、また品を替えて説いて聾と言うのは、少々甘すぎる教え方である。孔子は「私はあなたに隠すことはない」とただ一言にて尽くした。また「季路が死について聞いた。孔子は、いまだに生を知らないのに、どうして死を知ることができるだろう、と答えた」。今のこの身を知れば、死の道は目の前に明らかである。なぜ他の者に頼ってそれを求めようとするのか。生死のことは論語に明らかである。これを残さず教えるのを真の儒者と呼ぶ。あなたも疑いを隠したりせずに、教える人のもとで学び、早く生死の疑いを晴らすべきである。自分自身の一番身近なことを知らないで、聖人賢人の教えの違いに心を苦しめ、それでも儒者としての世渡りに都合がよいと思って自分の心を欺き、我こそは孔子の弟子であり真の儒者であると言っていられるというのは、一体どういうことか。」

(ある学者)
「古歌に、「心の問はばいかが答へん(心に問えばどう答えるだろう)」とあるように、自分自身の心に問えば疑いがないとはとても言えない。人に問われたなら、「儒者というものは奉禄(収入)や渡世のことを思い悩むような者ではない」であるとか、「(人の生死とは)もとより天より来て天に帰るのみである」などとキッパリと言うけれども、実際の心の中は疑いが多い。心は糞土に蓋をしておくようで不安であり苦しい。けれどもどうともしようがない。これは儒者ばかりでもなく、仏者も前に言った通りであれば、世間並みのことだと思う。もっとも仏者の世界は広いので、千人に一人くらいは心を会得している僧もいるだろうけれども、儒者は数も少ないので、(心を会得する者は)いよいよまれであろう。」

(梅岩)
「私はそうは思っていない。仏者には(心を会得している者は)まれであろう。儒者には数も多いと思われる。儒者というのは学者のことであるけれども、儒は濡であって身を潤すということであれば、この身にて満足した者を儒者と呼ぶべきである。孟子曰く、「人々おのれに貴いものあり」。おのれに貴いものとは心のことである。心を会得して満足し、身を潤す者は儒者である。どれほどに仏教の出家者が多いと言っても、俗人(一般人)の十分の一にも満たない。人数が少ないのであるから、道を悟る人はまれであろう。俗人は多数であるから、身を潤す人も多いだろう。」

(ある学者)
「それであれば修行の功を積み、心を会得して、道を疑いなく知るほどに至ったとして、どれほどの優れたことがあるというのか。」

(梅岩)
「孟子曰く、「我四十にして心を動かさず」。国天下のことに携わって、恐れたり疑ったりすることなく、身を修めることは優れて良いことだ。それなのに世の中には、道を教えるために弟子を取り、教えることを知らないで、弟子に養われているような者も多い。これは例えて言えば、男が自分の女房を養うことができなくて、逆に女房に養われるようなものだ。心を知らないで教えるときは、このように逆さまになってしまう。「大学の道は明徳を明らかにするを本(もと)となす。民を新たにするを末となす」。学者たる者は、心を知ることを先とすべきである。心を知れば身を慎む。身を慎むゆえに礼にかなう。ゆえに心が安心する。心が安んじていればこれは仁である。仁は天の一元の気である。天の一元の気は万物を生じ養う。この心を会得することを学問の初めとし、終わりとする。呼吸が存在する(生きている)間は、心をもって性(本来の心)を養うことを自分の任務とすることだ。たとえ少しだとしても仁愛を行い、義にかなえば安楽である。自分の心が安楽になることより他の教えの道はない。自分の心に会得していないことを、偽りをもって会得しているような顔つきをしても、それは偽りであると、心が受けつけないために苦しむのだ。これは先ほどあなたが言った古歌の「偽りも人には言ひてやみなまし(偽りを人に言ってもその場では何も問題は起こらないが)心の問はばいかが答へん(心に問えばどう答えるだろう)」というところである。孔子曰く、「君子は恐れず憂えず」。また曰く、「内(心)に省(かえり)みてやましいところがなければ、何を恐れ、何を憂えるというのだろう」。私が言うところはこの他にはない。日々憂えず恐れず、心に省みてやましいことなく、心が静々として安楽ならば、これに勝ることはない。」

(ある学者)
「聖人はそれを生まれながらにして知っているのだ。我々ごときが推察して知ることのできるものではない。それなのに心易く聖人の知だとか私の知だとか言って判断するというのは、どういうことか。」

(梅岩)
「あなたも黒と白は容易に見分けることができるだろう。聖人の知と私の知を見分けるのも同じようなものである。例えば禹が治水をしたときは、あそこは高い、ここは低いということを知っていたばかりのことであって、その代わりになるような知があったわけではない。私知というのは、様々な思慮を加えたために、自然の知とは異なってしまっているもののことを言う。これは聖知とは異なる。聖知を身近な例で知りたければ、程子曰く、「今の人は馬具を使って馬に乗る。これをもって牛に乗ることはない。人はみな馬具を人が作ったということを知っているが、馬具は馬がいることによって生まれたものであるということを知らない。聖人の徳化もまたそのようなものである」。聖人は馬を見た後に馬具を作って、馬にはめて使う。これは母の胎内にいる頃から知っていた知ではない。向かって見る物を、そのまま心とするのである。これが聖知の優れたところである。向かって見る物を映して曲げないというのは、明鏡止水のようだ。人たる者は、元来心は変わらないけれども、いろいろな感情に覆われて本来の心が見えなくなってしまっているために、聖人の知を、自分の外にある別の心のことのように思い、ますます心が見えなくなって、様々に疑いが起こるものなのだ。そもそも形のあるものは、形がそのまま心なのだと知るべきである。また、ボウフラは水中にいるときには人を刺さず、蚊となってたちまちに人を刺す。これは形による心なのである。鳥類や哺乳類などもよく観察してみなさい。カエルは自然にヘビを恐れる。それは親ガエルが子ガエルに、「ヘビはお前を取って食べる。恐ろしいものだぞ」と教え、子ガエルがそれを学んで、代々伝わってきたものだろうか。カエルの形に生まれればヘビを恐れるというのは、形がそのまま心であるところのものなのだ。その他に身近な例で言えば、ノミは夏になれば、人の身に従って出てくるものである。これもノミの親が「人を食って世を渡っていけ」と教えただろうか。「人の手を食う時は、気をつけて早く飛ぶべきだ。飛ばないと命を取られる」とでも教えたか。飛んで逃げるのは、誰から習ったわけでもなく、みな形によってなすところである。孟子曰く、「形色は天性なり。ただ聖人だけが形を実践している」。形を実践するとは、五倫の道を明らかに行うことを言う。形を実践して行うことができないのは、小人である。哺乳類や鳥類には私心はない。だからこそ形を実践する。みな自然の理である。聖人はこれを知っている。日本書紀には、「オオアナムチノミコトとスクナヒコナノミコトが力を合わせ、心を一つにして天下をつくる。また美しい人や家畜の為に、その病いを治療する方法を定める。また鳥獣昆虫の災いを払う為には、そのおまじないの方法を定める。これをもって百姓は今に至るまで、ことごとく恩恵をこうむっている。」と書かれている。どこの国でも道は同じなのであって、唐土にも伏義はよく家畜を養ったと史記にある。まず第一に、人と畜類とは種類が異なるので、鳥獣は人を恐れて近づくことはないが、それを、聖人は私心がないために、鳥獣が恐れるのを見て、これを心とする。それゆえに牛は彼を好む、羊は彼を好む、豚は彼を好む、馬は彼を好む、これは強くてあれは弱い、これは荒くてあれは静かであると、向かうところのものを自らの心として、動物の気質の性のままをよく知って、人に馴れさせ従わせるようにしたので、多くの動物を馴れ従えて、後世に鬼神に諸肉を献上するようになり、また老人を肉食で養うことを教えたのだ。」

(以下私見)
蚊には蚊の形があり、それがそのまま蚊の心である、と言うときの心というのは、機能(はたらき)という意味なのかな。。それで言うと、人には人の形があり、それがそのまま人の心である、ということになる。。その、ありのままの心のことを、本来の心と呼ぶのだろう。。心とは機能(はたらき)のことなのであれば、人の本来の機能(はたらき)とは何か。。それを孟子は仁義であると言っているのかな。。私としては、それは真心(まごころ)である、と言いたい。。

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