石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(二十)

(日本古典文学大系「近世思想家文集」の原文を現代語訳しています)

「ある人、主人の日頃の行いを問う(四)」

(ある人)
「親方は神社や寺への寄付は嫌いで、死後のことはどう考えているのだろうか。いまだに後世の(死後のための)善事をしたことがない。とかく今の世間の人と異なっている。」

(梅岩)
「いろいろな話を聞いていると、お前の親方の信心にかなうほどの、徳のある神主や僧がいないからだと思える。神社や寺への寄付を嫌っているようには思えない。まず古(いにしえ)の様子を考えてみれば、神社や寺を建てたいと言って、奉加帳(寄付金帳)を旦那の家々に持ってきて、嫌がる旦那に寄付を勧めて金銀を出させ、その金銀をもって建立した神主や僧侶はいないはずだ。彼らはみな徳があったので、神道仏道の棟梁となったものだ。神の御心を言えば、「供し奉る(寄付する)者がなく、金石を食べることになったとしても、心の濁った穢(けが)れた人の捧げるものは受け取らない」と八幡宮の御神託にもあるではないか。それに氏子の志のない金銀を、慈悲正直の神が受けて喜ぶだろうか。また、皇太神宮の宝勅には、「人々が、偽りを謀って、たとえ良い結果になったとしても、必ず天の神の怒りを受けて、根の国に行くことになるだろう。正しい心を持って、たとえ結果が悪くなったとしても、必ず天の恵があるだろう」とある。神の御納受(聞き入れること)がないことに氏子を苦しめ金銀を出させれば、神の御心に背くことになる。神主となる人は、御神託によって神の御心を知るべきだ。何事も御心を知る徳によってなされるべきである。例えば禹王が苗を攻めたときも、軍を帰らせ、徳を広めるまでには至らなかった。何かが成就しがたいことは自分の不徳であるとして自らを顧みれば、恥ずかしいことも多いものだ。心を明らかにするために神に仕えて、かえって心が濁っていては、神罰を受けることになるだろう。さて、仏の道は五戒を保つことによって仏の弟子になるというものだ。寺の修復といえば、裕福な寺でも、世間に習って家々に奉加帳を出すことがあって、強く寄付を勧めれば檀家は迷惑し、出しかねる金銀を出させ、人を苦しめ痛めるのは殺生というものだ。一戒を破れば五戒はことごとく破れる。証拠をもって言おう。毘婆娑論に一人の在家の僧の話がある。仁の心を持ち、賢くて、五戒を受け、これをよく保っていた。仏の道をよく学び、戒めを破ることはなかった。しかしある時、喉が渇き、一つの器を見ると酒があった。水のようだったので取ってこれを飲んだ。その時飲酒戒を破ってしまった。その時、隣のニワトリが家に入ってきた。それを盗み殺して食べ、殺生戒と偸盗戒を破った。隣の女がニワトリを尋ねて入ってきた。これを強引に犯し、邪淫戒を破った。隣の人が役所に訴えた。これを拒み争って、妄語戒を破った。このように一戒を破ると、それによって五戒がことごとく破れて、仏の罪人となる。仏の心を悟った後は、たとえ寄付を勧めるとしても、その勧めがそのまま教えとなっているべきである。神仏ともにこのようなものだ。古(いにしえ)の神主や僧は道徳が明らかだったので、人々がこれに感心して神社や寺を建立したものと思われる。そうであれば今の世の中でも、道徳が明らかで人を教え導き、旦那もこの人の教えによって心が安楽になり、また生死の疑いがなくなるならば、その人は奉加帳を出さなくても、どのような神社や寺でも建てることができるだろう。古今ともに、人の心は天の命じるところである。何の変わりもない。また神社や寺に寄付をするというのも、ほんの少しでも自分勝手な欲があれば、これは不義の類である。お前の親方の正しい心が、その不義を行うだろうか。親方は寄付を嫌っているのではない。ただ不義を行いたくないだけなのだ。死後に何と生まれるかというようなことを、考える必要があるだろうか。今日の義の行いのみが大切なことであり、明日のことは天命に任せるという志のように見える。孟子も、「早死にするのも長生きするのも天命であり、身を修めてそれを待つのみ」と言っている。生まれるのも天に任せ、死ぬのも天に任せる。この間に私意を入れる必要はない。今の世間の人々と異なっているわけではない。今の世間の人々の方が、正しい道を踏み外し、聖人の教えと異なっているのだ。お前の親方は、聖人の教えをよく守っている人である。」

(ある人)
「中庸には、「聖人は夷狄の地にあっては夷狄の風習を行う」とある。また、「君子は争うところなし」ともある。それなのに親方は親類中とことごとく争い逆らっている。これらはどうか。」

(梅岩)
「お前は儒教の書を読んでも、何一つ理解していない。程子は、「私は十七、八より論語を読む。その時すでに意味を理解した」と言った。書を読むということは、自分で書の心を会得するためである。「聖人夷狄にては夷狄を行う」というのは、夷狄の法に背かずに、しかも道にかなうようにすべきということである。また、「君子は争うところなし」というのは、不義を持って人と争うことはないということであって、義をもって他の不義を正すことはあるべきことだ。これゆえに湯王は義をもって桀を南巣に放ち、武王は紂を伐つ。これが自分に義があれば争うところの証拠である。お前の今の親方は、天下の御法に背かず、義をもって行うゆえに、法に背いて奢る不義の者と争う。けれども親類から奉公人まで、一人として親方を肯定する様子も見えない。見えないけれども、自分が治める一家のことであれば、本(もと)を正し、奢りを退け、倹約を守り、礼儀の本(もと)を知らせたいと思い、下々の者まで捨てず、世話をされるということは、神妙の至りである。その正しい人が一家の主人であるということは、親類中の宝である。このことがわからないというのは、まことに「宝の山に入って手を空しくして帰る」というものだ。それほどの徳のある人が、どうして世の中に知られていないのだろう。親類や家内の人々は、それを知らないだけでなく、不義をもって義に勝とうと思うのは間違っている。お前は賢徳のある親方の仁愛を知らないで、間違ったことを言う者の味方をして、親方を非難する。けれども、愚かさから言うことであるので、親方は心広くそれをも許しておかれるのである。その心を会得し、これまでの誤りを改め、忠義を尽くそうとするべきだ。大勢の家来がいる中に、それほどの徳を持つ親方の味方になり、助ける者がいないというのは、惜しいかな。悲しいかな。」

「客が退いた後、ある人が、」

(ある人)
「先ほどから客との問答を聞いていたが、あなたの言うところは一通りは理解できたし、正しい決まりに背くことはないように思える。けれども、時代による移り変わりを知らないところがある。今の世の中と合わないのは、(親方は)世間との交わりを断つというところだ。世間との交わりを欠いては人の道ではない。孔子も、「鳥獣とはともに群を同じくすべきではない。私は人間とともに行いをするのだ」と言い、人との交わりを断つことを嘆いた。客の言う、先代の親方が借金を返さずに死んだのを、「幸せ者として終わった」と言うのは極めて非である。また、今の親方の仕方は、たとえ法には背かずとも、人と違う行いをするので世間との交わりを断つ。これはまた、「是に似て非なり」。中庸をもって見れば、過不足あって双方ともに中(あた)らないことである。二人の行いを合わせて、その中を取って行えば可と言うべきであろう。そうであれば木綿布子に生布の帷子、高宮羽織は質素すぎる。そのような身なりでは今の世の中で人々と交わることはできない。そのできないことを尊ぶと言うのはどういうことか。」

(梅岩)
「あなたが言うように、世間との交わりを断つのは大きな罪である。私が言うところもことごとく世間との交わりのことについてである。孔子が「鳥獣と群を同じくすべきではない」と言ったのは、「道が廃れた世の中だけれども、今の世の人々と交わって、乱れているのを正し、古(いにしえ)の道に返そう」という意味である。それをあなたは無道の人を正すこともできずに、交わることのみを良しと思うのは間違っている。礼があることをもって人とする。礼がないときは人ではない。孟子は、「養って愛さないのは豚の交わりである。愛して敬さないのは獣の養いである」と言っている。これは礼というものがなければ、人々と交わっても、人と交わったことにはならないという意味である。木綿布子に生布の帷子は、上下の身分の区別をわきまえたものであって、法に背いていない。ことごとく礼にかなっている。また、例えば、ここに主君を倒そうとする家臣がたくさんいたとしよう。心を合わせて敵を倒すのが武士の道である。それなのにみな心が一つにならず、「大勢には逆らえない」と言って、主君の敵を見逃し、武士の道を捨てると言うのか。大勢の人に逆らってでも、敵を倒すのが武士の道である。今の世の中の交わりもこのようなものだ。悪口を言う人がいても、上下の礼を乱すべきではない。例えば加賀絹は羽二重に似ている。紬は木綿に似ている。よって聖人の教えを聞き会得したものは上を恐れ、紬を着て貴賎を分けるところの礼を貴ぶ。教えを聞かないと、加賀絹を着て上を犯し、貴賎尊卑の礼を乱し、思わぬところで罪人となる。これは教えを知らないから起こることである。教えを知るときは、交わりを断つことなく、奢り(贅沢)をなさない。自らをへりくだるので、人に憎まれず気楽に交わることができる。また、教えを知らない者に財産が多いと、身の程を知らない使い方をするものだ。自らを驕(おご)り高ぶるので世の人から憎まれ、表向きには交わるが、心は常に離れている。孔子は、「君子は豊かにして驕らず、小人は驕り高ぶって豊かならず」と言っている。総じて奢る者は貧しい身となったときは恥を知らず、盗みもするようになる。また、身の程を知って倹約を守るときは、法にかなっているので安心できる。(中略)また、天地において、冬になると枯れたり屈したりするのは、春になって伸びることの兆しである。聖人が倹約を本(もと)とし、奢りを退けたのは、凶作の年などのときに、貯めておいた財産を国々へ施そうと思って行った、民のための倹約であることを知るべきだ。このようなことを手本として、一家の頭たるものは、親類中を我が家のように思い、難儀があれば救うことを自分の役目であると思う者であれば、常日頃から倹約を思うより他に心はないだろう。倹約ということを世間の人はケチくさいことだと思っているが、それは間違っている。聖人が倹約と言うのは、奢りを退け法に従うことである。先ほどの客の言う今の親方の行いは、みなどれも法にかなっている。聖人の行いにかなえば中庸とも呼ぶべきだろう。それなのにあなたは、善悪を選ばず、二人の真ん中と取ると言う。善悪を選ばずに中を取るのは、「一つを挙げて百を捨てる」ことになる。これは時の中(時の変化にふさわしい対応)を害する。孟子が、「子莫が中を取ったのは道を損なう」と言ったのはこのことである。客の言う今の親方の行いを、細かくよく見て考えてみるべきだ。一つとして自分勝手な行いをしていない。親類から奉公人までを、親が子を思うように扱っている。聖人が「民を子のように思う」政治と、大小の違いはあってもその志は同じである。それを知らずに、世間と異なる人だと思うのは、大きな間違いである。世の中の裕福な者が、自分の親類をそれぞれに引き受けて世話をすれば、飢えるほど困窮する者はいなくなるのに、かえって道のある人を非難するというのは、悲しいことではないか。」

(以下私見)
世の中から距離を取って清貧を気取るよりも、たくさん働いて稼いで世の中に貢献する生き方の方が、何倍も素晴らしい。。私ももっと働かないとな。。

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