石田梅岩「都鄙問答」現代語訳(十五)

(日本古典文学大系「近世思想家文集」の原文を現代語訳しています)

「ある人、お参りを問う」

(ある人)
「私は最近、親の年忌で田舎に帰った際に、産神(地元の鎮守の神)にはお参りしなかった。なぜかというと、今回はお墓参りが第一だと思って、最初にお墓参りをして身が穢(けが)れたので、産神にはお参りしなかったのだ。また、先に神にお参りするのは、親を粗末にするように思える。このようなことはどう考えたらよいか。」

(梅岩)
「親の心にかなうようにしたらよい。」

(ある人)
「親は死んでいるので聞くことができない。親の心をどうやって知ればよいのか。」

(梅岩)
「すべて親の心は、子の暮らしが安楽であることを願うものだ。「親の心は、子を思うのに至らないところはない」。それであれば身に穢れがないときに産神にお参りすればよい。親が生きていたときにあなたが田舎に帰ったなら、「まず産神にお参りしなさい」と言われていたのではないか。それであればまず神社にお参りして神を敬えば、これは親の心にかなうというものだ。父母の心にかなうことほど良いことはない。范氏は、「子、よく父母の心をもって心となせば、すなわち孝なり」と言った。中庸には、「死者に仕えるのは生きている者に仕えるようなもの」とある。今は父母がいないといえども、この意味を理解して仕えれば、孝行となるだろう。」

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