石村利勝

詩人・翻訳家・雑文書き。1968年生まれ。詩歴三十二年(うち十一年休眠)。作品少数。著…

石村利勝

詩人・翻訳家・雑文書き。1968年生まれ。詩歴三十二年(うち十一年休眠)。作品少数。著作「小詩集 愚者のルフラン」(KDP)、『詩集 ソナタ/ソナチネ』(幻冬舎)をささやかに刊行中。

最近の記事

“ドイツ・ロマン派のポエジー”って?

 今日、さる文藝評論家氏と話していて何かの拍子に“ドイツ・ロマン派のポエジー”という言葉を使ったのだが、自分の言葉ながら「それっていったい何なのかしらん?」とひとしきり首をひねってしまった。  もちろん「ドイツ・ロマン派の美学的定義とは」なんていう話に入り込む気は元より私にはなくて、自分が「ああ、これぞドイツ・ロマン派!」と感じる表現の質や人間的属性とは何なのだろう……ということでしかないのだが、ざっと挙げてみるなら―― 夢追い人。屈折して見えたり毒を吐いたりもするが、根

    • 「バッハはこうだ」という揺るぎない感覚

       とある雑誌の編集作業が追い込みで、普段怠け者の小生が珍しくも労働させられて疲労困憊だったが、大詰めの難所を突破したところで今日はエアポケットのように何もすることがない時間が取れた。それで聴いているのがこれ。ランドフスカのバッハ《ゴルトベルク変奏曲》1933年録音。  誰も知らなかった、あるいは存在は知っていても聴いたことは一度もなかったバッハの秘曲を蘇らせ、世界に紹介した最初の録音として名高いが、戦後のグレン・グールドによるセンセーショナルな録音と、その後の歴史主義・実証

      • “決定的名演”の虚しさ

         コルトーはショパンの《24の前奏曲》に特別なこだわりがあったようで、1926、1933、1942、1957年と、壮年期から晩年に至るまでに計4種のスタジオ録音を残しているのに加え、1955年のミュンヘンでのライブ録音もある。今回シェアしたのは1926年の最初の録音で、希少な英His Masters Voice オリジナルの78回転盤から収録した再生音である。  これは戦前の日本の愛好家たちを狂喜させ、日本でのコルトーの名声を決定的なものにしたエポック・メイキングな演奏だが

        • 《本物》の「バイロイトの第九」

           今年も、YouTubeのマイチャンネルで年末恒例「フルトヴェングラーの第九祭り」を開始。その一環として、バイロイトの第九の最初期盤の一つである東京芝浦電気/エンジェル・レコード HA1012/1013から収録した音声を公開した。昭和三十一年二月、我が国では最初のリリースで、昨年の暮れに幸運にも入手できた《重要文化財》クラスのレコードである。  この最初版レコードには、後年のLPやCDに聞かれるような演奏終了後の「拍手」がない。冒頭の「足音と歓呼」もない。これは独盤、仏盤、

        “ドイツ・ロマン派のポエジー”って?

          《忘れられた》初録音

           フルトヴェングラーが手兵ベルリン・フィルを率いて独ポリドール社との初めての録音セッションに臨んだのは96年前の今日、1926年(昭和元年)10月16日のことである。この録音時、40歳という若さですでにトスカニーニと並び称されるスーパースターとなっていたフルトヴェングラーが満を持してレコード・デビューを果たす機会。しかも吹き込む曲目はドイツ音楽の真骨頂、ウェーバー《魔弾の射手》序曲とベートーヴェン《運命》だから、大々的な成功を誰もが期待していたろう。  ところが、当時のポリ

          《忘れられた》初録音

          “ブラームスはお好き?”――いえ、もう沢山です

           私は若い頃からブラームスが好きで、あれこれの曲をさまざまな演奏、録音で聴いてきた。今もそうなのだが、若い頃と比べると(当たり前のことだが)聴きたい曲の趣味・嗜好が幾分変わってきたように思う。  昔好んでよく聴いたのは、交響曲第1番、2番、4番、ヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲第2番、ヴァイオリン・ソナタ第1番、2番、ピアノ・トリオの1番といったところだろうか。ご覧の通りその大半が通俗とは言わないが定番の名曲で、今でももちろん嫌いになったわけではないが、最近はどうもすぐに聴

          “ブラームスはお好き?”――いえ、もう沢山です

          ビジュアル・リリックプレゼンテーション「春風」

           拙詩集『ソナタ/ソナチネ』収録の作品「春風」を素材に、動画クリエイターの橋本美千夫さんが素晴らしいビジュアル・プレゼンテーションを制作して下さった。  「ビジュアル・リリックプレゼンテーション」なる覚えにくい名称はどなたも初耳だろうが、ただの私の思い付きである。  このまるでセンスのないネーミングはともかく、詩作品を立体的に表現する試みとして、オリジナルの《文字》そのものが持つ表現力と、人間の肉声、音楽、視覚的イメージを融合させるという発想は、もしかしたら、これまでにな

          ビジュアル・リリックプレゼンテーション「春風」

          「ルガーノのフルトヴェングラー」復刻顛末記

           このところ多事多端で音楽を聴く時間もその意欲もない索漠たる日々が続いていたが、それもようやく一段落し、私のささやかな趣味であるアナログレコード(LP盤やSP盤)の復刻をこのところいくつか手掛けている。  今回ご紹介するのは日本Cetra SLF 5017/8「ルガーノのフルトヴェングラー」という音盤。1954年5月15日にフルトヴェングラーとベルリン・フィルがスイスのルガーノで行ったコンサート全曲を収めたもの。収録曲はリヒャルト・シュトラウスの《ティル・オイレンシュピーゲ

          「ルガーノのフルトヴェングラー」復刻顛末記

          《目利き》の値うち

           真摯な酷評を堂々と明言してくれる《目利き》は、貴重である。  ごく単純なことだ。評判のラーメン屋に行ってみたら食ったことを後悔するほど不味かったとする。そのラーメン屋を一刀両断に「あそこは不味い」と述べている評論家がおり、その評論家が別の店を絶賛していたとしたら、私はその店に行ってみたいと思うだろう。が、その逆はない。そういうことである。    絶賛・称賛ばかりを並べ、「よいものだけ」を紹介する目利き、などというものは、世間的・業界的な聞こえや受けはいいのだろうけど、愛好

          《目利き》の値うち

          シューリヒトの《ミサ・ソレムニス》

           ベートーヴェンが残した最も偉大な音楽の、もっとも偉大な演奏記録のひとつ。  かのフルトヴェングラーもこの難曲中の難曲の演奏には極めて慎重で、たしか戦後には一度も振らなかったし、録音も残っていない。ベルリン・フィルが戦後にこの曲の演奏会を組んだ際も、フルトヴェングラー自身は指揮しようとはしなかった。代わりに白羽の矢が立ったのは、チェリビダッケでもヨッフムでもベームでもカイルベルトでも、もちろんカラヤンでもなく、老カール・シューリヒトだった。残念なことに指揮者の病気キャンセル

          シューリヒトの《ミサ・ソレムニス》

          架空の終曲~リパッティのブザンソン告別リサイタル

          (*筆者より――このエッセイは、筆者が以前やっていた音楽ブログ「夜半のピアニシモ」に掲載した、2012年8月24日の記事からの再掲です。現状に適合しない記述も一部ありますが、訂正は施していません。)  前回に続きリパッティの音源を公開する。今回は有名すぎるくらい有名な、1950年9月16日ブザンソン告別リサイタルの実況録音。この年代としてもいちじるしく音質が貧しいことで知られているが、何度も版を変えて出ている復刻CDではリマスタリングの粗雑さがその貧しさをさらに助長している

          架空の終曲~リパッティのブザンソン告別リサイタル

          覚書

           詩が書けるようになる秘訣に、何も特別なことはありはしない。  言葉の気持が分るようになるまで、徹底して言葉に親しみ、言葉と付合い続けることだ。  言葉は決して己の思い通りになどなりはしない。  言葉の思いとこちらの思いが調和し、一致するようになるまで言葉と付合った末に詩は生まれる。

          ”大時代”の演奏~ギーゼキング、メンゲルベルク、アムステルダム・コンセルトヘボウのラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番

           私はピアノ協奏曲ではブラームスとラフマニノフが大好きで、モーツァルトやベートーヴェンよりも好んできく。チャイコフスキーの1番などは五分もきいていると退屈してきて「もう、よくわかったからさっさと次に進んでくれ」という気分になるのだが、ラフマニノフならいつまででもその音楽の中に身を委ねていたくなる。  残念なのは、満足の行くレコードが少ないこと。この曲はLP時代にアメリカで流行っていたようでやたらと録音されているが、どうもこうも面白くないものがほとんどである。RCA録音のルー

          ”大時代”の演奏~ギーゼキング、メンゲルベルク、アムステルダム・コンセルトヘボウのラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番

          ”マドモワゼル・ルフェビュールの曲”~ベートーヴェン:ディアベリの主題による33の変奏曲

           20世紀前半を代表するベートーヴェン演奏の大家で、ドイツ・ピアノ界の至宝と言える名人だったヴィルヘルム・ケンプが「あなたはどうして《ディアベリ変奏曲》を弾かないのか」とあるインタビューで尋ねられた際、こう答えたそうである。「ああ、あれはマドモワゼル・ルフェビュールの曲だよ」。  このところフランスの大女流ピアニスト、ルフェビュールの名演を紹介しているが、この女傑はラモー、クープラン、ドビュッシーやラヴェルといった「お国もの」以上に、バッハ、ベートーヴェン、シューベルト、シ

          ”マドモワゼル・ルフェビュールの曲”~ベートーヴェン:ディアベリの主題による33の変奏曲

          モーツァルトの”衝撃”――ルフェビュールとカザルスのニ短調ピアノ協奏曲

           フランスの大ピアニスト、イヴォンヌ・ルフェビュールが弾いたモーツァルトのピアノ協奏曲第20番といえば、前回ご紹介したフルトヴェングラーとの共演があまりにも有名なのだが、こちらはほとんど知られていない。かなり以前にCBSソニーからCDが出ていたが、とうに廃盤になっているし話題になることもない。そのCDは実に酷い代物で、過剰なノイズフィルターで楽音が完全に潰れ、全く死んだ音になっていて、これでは演奏の真価などわかりようがない。早々に忘れ去られたのも無理はない。  だが、これは

          モーツァルトの”衝撃”――ルフェビュールとカザルスのニ短調ピアノ協奏曲

          ルフェビュールとフルトヴェングラーのモーツァルトK.466

           その筋のファンにはあまりにも有名な演奏だが、フルトヴェングラーがフランスの大女流イヴォンヌ・ルフェビュールと共演したモーツァルトのピアノ協奏曲K.466を私のYouTubeチャンネルに公開した。1954年5月15日、スイスのルガーノでのライブで、フルトヴェングラーが残した最高のモーツァルト演奏と評価されているもの。  フルトヴェングラーとベルリン・フィルが戦後に残した録音の中では、ヴィ―スバーデンやこのルガーノなど演奏旅行先でのライブ録音が、本拠地ベルリンのティタニア・パ

          ルフェビュールとフルトヴェングラーのモーツァルトK.466