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《本物》の「バイロイトの第九」

 今年も、YouTubeのマイチャンネルで年末恒例「フルトヴェングラーの第九祭り」を開始。その一環として、バイロイトの第九の最初期盤の一つである東京芝浦電気/エンジェル・レコード HA1012/1013から収録した音声を公開した。昭和三十一年二月、我が国では最初のリリースで、昨年の暮れに幸運にも入手できた《重要文化財》クラスのレコードである。

 この最初版レコードには、後年のLPやCDに聞かれるような演奏終了後の「拍手」がない。冒頭の「足音と歓呼」もない。これは独盤、仏盤、伊盤、米盤の初版も同様である。ご本家の英盤(同じメタルマスターで製作されたと見られる豪盤も)はなぜか初版から「拍手」入りだが、後年の再発時のようなテープつなぎによる異音(これは長らく演奏の「崩壊」「破綻」と誤認されていた)はなく、最終和音が消えてから一瞬の間を置いて拍手が結合されている。

 今年はBIS盤の「真正バイロイト・ライブ実況録音」がリリースされ、またぞろ「バイロイトの第九」のレコードが「ゲネプロを編集したニセモノライブ」との的外れな批判や揶揄中傷に晒された。レコードはそもそもが《ニセモノ》芸術であり、《本物》に接したと言えるのはその日その時その場でその演奏を経験した者だけなのだから、ニセモノホンモノという議論そのものが最初から馬鹿げているのだというごく初歩的な原則さえ理解していない軽薄なリスナーたちのそうした生賢しらなお喋りはさておき、フルトヴェングラーの没後にこの不世出の巨匠の《第九》を何としてもリリースしたい――と伝説的な大プロデューサーのウォルター・レッグが渾身の努力を注いで実現させたこの音盤の、レコード作品としての価値は未来永劫、いさかかも揺るぐことはないし、この先五十年、百年経っても本盤が不朽不滅の名演・名演として聴き続けられることは間違いない。一方で、ORFEOやBISがリリースした「真正ライブ」CD――その実態は、オリジナルの実況テープをこれでもかというほどに音質改変した贋物(ORFEO盤)と、音質の著しく劣るラジオ実況中継音源をさらに劣悪に編集した、芸術的価値のきわめて乏しい単なる資料(BIS盤)であり、巨匠の名誉を汚し真の価値を貶める犯罪行為でしかない――を「これぞ本物」と有難がって聴くリスナーが、その頃になっても存在するのかどうか。恐らくいまい。

 とはいえ、冒頭の「足音」やらテープつなぎの異音入り「拍手」やら疑似ステレオの付加、音質の改変など、再発盤以降にあれこれと付け加えられた「演出」付きのLPやCDしか聴いたことのない多くのリスナーが、この優れたレコード作品の真髄にいまだ触れることができずにいる――というのもまた否めない事実ではある。その意味では、現代のほとんどの音楽ファンは《真正》な「バイロイトの第九」をいまだ耳にしたことがないのだ。

 はは、今さらフルトヴェングラーのバイロイトの第九でもないでしょう、と薄ら笑い、したり顔で利いた風なことを言うリスナーは未来永劫、縁なき衆生は度し難し、である。そういう連中はさておき、心ある音楽ファンの方々には、ぜひ、一度でよいから、《本物》の「バイロイトの第九」の音に触れていただきたいと切に願ってやまない。ここに、その一例がある。


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