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”マドモワゼル・ルフェビュールの曲”~ベートーヴェン:ディアベリの主題による33の変奏曲

 20世紀前半を代表するベートーヴェン演奏の大家で、ドイツ・ピアノ界の至宝と言える名人だったヴィルヘルム・ケンプが「あなたはどうして《ディアベリ変奏曲》を弾かないのか」とあるインタビューで尋ねられた際、こう答えたそうである。「ああ、あれはマドモワゼル・ルフェビュールの曲だよ」。

 このところフランスの大女流ピアニスト、ルフェビュールの名演を紹介しているが、この女傑はラモー、クープラン、ドビュッシーやラヴェルといった「お国もの」以上に、バッハ、ベートーヴェン、シューベルト、シューマンなどドイツ/オーストリア系の音楽を得意としており、残された演奏記録(正規レコードは非常に少なく放送録音が大半だが)の大部分を、実はこうしたドイツのバロック、古典、ロマン派のプログラムが占めており、そのいずれもが非常な名演である。

 中でもルフェビュールがキャリアを通じて愛奏し続けたのがベートーヴェンなのだが、その十八番として名高いのが、難曲中の難曲として知られるこの《ディアベリ変奏曲》であり、これがヨーロッパの並みいる名人・名手たちの間で高く評価されていたことは、上述のケンプの言葉からも伺い知れるだろう。ルフェビュール独自のカットが施された短縮版で、歴史実証主義的な演奏が流行る現代ではけしからぬものと思われるかもしれないが、歴史的に《正しい》演奏などより、ただ素晴らしい演奏がききたい私にとっては、そんなのはどうだってよいことである。

 日本(に限らないのかもしれないが)のクラシック音楽愛好家はどうも権威主義的、陳腐なブランド志向が強く、フランスの女流ピアニストがひくベートーヴェンというだけで頭から軽視するかステロタイプの先入観を当てはめて、己の耳と心ではなく頭で聴いてしまう傾向がある。あれこれ前置きを並べたのも、この名演中の名演を、そうした先入観を心から去って、素直に、虚心に味わってもらいたいがためである。フランスの"マドモワゼル”がベートーヴェンのピアノ曲におけるエヴェレスト、《ディアベリ》変奏曲をどれほど見事にひいてのけたか、とくとお聴きあれ。


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