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架空の終曲~リパッティのブザンソン告別リサイタル

(*筆者より――このエッセイは、筆者が以前やっていた音楽ブログ「夜半のピアニシモ」に掲載した、2012年8月24日の記事からの再掲です。現状に適合しない記述も一部ありますが、訂正は施していません。)

 前回に続きリパッティの音源を公開する。今回は有名すぎるくらい有名な、1950年9月16日ブザンソン告別リサイタルの実況録音。この年代としてもいちじるしく音質が貧しいことで知られているが、何度も版を変えて出ている復刻CDではリマスタリングの粗雑さがその貧しさをさらに助長していることはファンの方であればよくご存知のところだろう。にもかかわらずこの録音は発売以来絶大な人気を誇り、今なおブザンソンのリパッティを熱く語ってやまない人々が大勢いることは、インターネット検索でいくつもヒットするCDレビューやホームページ、ブログの記事などからうかがえる。あまりにも劇的なこの演奏をめぐるサイド・ストーリーがきき手の想像や連想をかきたて、思い入れを強くするのだろう。音楽以外の要素を考慮せず、純粋に演奏、録音のみを評価すべきだという声もありそうだが、人間がやっていることなのだからそうそう抽象的に、純粋に行くものではない。思い入れたっぷりにきくべき演奏というものもあっていいし、このリパッティの稀有な記録がその典型例なのだろう。

 今回公開する音源も前回同様さるコレクターの方から頂戴したもので、今度はテープではなくLPからの復刻である。私はLP起こしのブザンソン・リサイタルの音源をほかにも3種ほど持っているが、これは群を抜いて鮮明で、リパッティらしいピアノの響き……力強さと輝かしい生命力、独特の飛翔感を伴う抜けのよさ、素軽さといった特質が明瞭にわかるものになっている。

 とはいえ、下手くそで無神経な復刻によるベールがはがれても、もともと良い録音でないことに変わりはない。これはもともと放送用の録音だったそうだが、アマチュアの隠し録りやエアチェックじゃあるまいし、プロの録音チームが現場にいたとは音をきく限り信じがたい。1950年ならもっといい音で録れただろうにと思う。音に歪みや濁りが目立つだけでなく、マイクセッティングの不具合か配線や接続の不良かわからないが、全編にわたってブーンというハム音が入っていることは熱心なファンの方ならこれもよくご存知だろう。このハム音を減衰させる処理をすると、ただでさえ貧しい音がさらにどうしようもないものになってしまう。このリサイタルがリパッティの死後すぐに発売されなかったのは、曲目が同年夏のジュネーブ録音と重なるという理由だけでなく、録音そのものが失敗だったというワルター・レッグの判断もあったのだろう。

 この「録音チーム」の失敗はさらに続く。これは決定的な大失策で、リパッティがこのリサイタルの最後にひいたバッハ「主よ、人の望みの喜びよ」を録りそこねたことだ。リパッティ生涯最後の公開演奏が、そこに録音機があり録音技師とやらがいながら、記録されないままに終わったのである。これもまたファンにとっては痛恨事だろう。

 現場に居合わせた人々の証言によると、リサイタルの最後の1曲に予定されていたショパンの「華麗なる円舞曲」作品34-1をリパッティが苦痛のあまりにひくことができず、楽屋に運び込まれた。ひき始めたが途中でやめてしまったという証言もある。観客は帰らずに待っていた。やがて鎮痛剤を打ったか何かして、リパッティはステージに戻り、予定されていたワルツではなく、バッハをひいた。しかしその時点で録音チームは既に機材を片付け始めており、この「最後の」演奏を録音できなかった……ということである。まあ、何と間抜けな話だろう、聴衆は帰らずに残っており、ピアニストは死力を振り絞ってステージに戻ってきたというのに、のんきにお片付けとは! いったい自分たちの目の前で何が起こっているか、この間抜け連中はわかっていたのだろうか? へぼな録音といい、何という馬鹿者たちだろう! 昔も今も、仕事のできない人間というのは、自分の仕事が何なのかを知らず、自分が何をしているかわかっておらず、周囲で何が起こっているかに気付いておらず、不注意で無神経で粗雑で心ない、というのは全く変わらないようだ……と、ひとしきり腹を立てたところで、はたと思ったことがある。リパッティはそもそも、本当にステージに戻ってきて「主よ――」をひいたのだろうか?

 リパッティはこの演奏会に何本もの鎮痛剤を打って臨んだという。悪性リンパ腫の末期患者がどれほどの激痛に苦しむかは想像に難くない。この演奏会に先立つ数ヵ月前、新薬のコーチゾンの投与で病は小康状態を得、その間にジュネーブで一連のセッション録音が行われた。その薬効は2ヵ月程度しか持続しないもので、リサイタルが行われた時期には既にコーチゾンの効き目はなくなっていた。コーチゾンという薬の詳細を正確には私は知らないが、名称からして要はステロイド系の消炎鎮痛剤であろう。この種の薬物は身体が慣れてくるため、薬効を出すための投与量がだんだん増え、やがて全く効かなくなる。その後、反動で起こる苦痛は言語に絶する。そうでなくても末期ガンの患者であり、苦痛を緩和するための最後の手段は、この時代であればモルヒネの投与くらいしかないだろう。そうでなくても、それと同じくらい強い、鎮痛剤というよりは麻酔薬を使っていたろうと推測される。こうした薬物は心身を麻痺させ、感覚を鈍磨させ、意識を低下させる。それによって痛みを和らげるのだから当然だが、そんな薬が効いている状態でピアノをひくということ自体が超人的……というより文字通りの超人わざである。日常的な挙措動作さえままならぬ朦朧状態で、高度きわまるコントロールを身体に要求するピアノ演奏を1時間半にわたってやってのけるとは、この若者の精神力、集中力、生命力はいったいどれほど強靭だったのだろう!

 そこで先ほどの疑問に戻る。繰り返すと、当初予定されていたプログラム、ショパンの14曲のワルツの13曲目までひき終えたリパッティは、ついに力尽きて最後の14曲目をひくことができなかった。13曲目「華麗なる大円舞曲」の途中で鎮痛剤の効き目が切れたのか、それとも14曲目をひこうとして、あるいはひき出した時にそうなったのかは当人にしかわからない。ただ、いずれにせよ楽屋に運び込まれた時点で薬の効き目は切れていた。そして、緩和治療の薬が切れた時に末期ガン患者を襲う激痛というのは筆舌に尽くしがたい。絶叫しながらのた打ち回るか、失神するかというのが普通である。その時点でのリパッティの様態が実際にどうだったのかを私は知らないが、通常は薬を打って寝かせるしかない状況である。そんな状態にいながら、ステージに再び戻って演奏をするなどということが、はたして現実に可能なのだろうか? リパッティがステージに出てきて「お別れ」のバッハをひいたというのは、話を美化するためのただの伝説、それともその場にいたひとびとの「リパッティよ、戻って来い」という強い思いが結合して出来上がった幻だったのではないか? はたまたリパッティの芸術家としての魂が、言うことを聞かなくなったおんぼろの肉体を抜け出てステージに現れ、その場に居合わせたひとびとにしかきこえない、物理的な空気の振動ではないゆえにマイクには入らない「演奏」をしたのか……

 実際に音として記録された最後の演奏となったワルツ1番「華麗なる大円舞曲」について、Opus蔵から出ているCDのライナーノーツの中で宇野功芳氏が「最後になってしまった第1番は猛烈な勢いだ。猛烈といっても力を入れているのではない。軽いのに音楽が突進するのだ」と書いている。十年に一度くらいの割合で、何かの拍子に宇野氏が書き残す天才的な評言の例といおうか、私はそのイメジの簡潔さと鮮やかさ、正確さに感心した。そしてこの評言は、上のような状況を想像しながら併せ読むと一層感慨深く、この若者の創造し、表現し、生き抜こうとする魂の偉大さへの畏敬がいやますのである。実際、これほど物理的・肉体的な障害に直面しながら、なおも全18曲(あるいは17曲)、1時間半の演奏を見事にやってのけたというのは、偉大な人間の精神の偉大な勝利でなくて何だというのだろう。最後の1曲をひけなかったからといって、リパッティのこの「勝利」に傷が付くものではない。そして、その演奏の最初から最後まで、軽やかさと微笑みに満ちた音楽の輝かしさに、悲痛さや深刻さの翳など毛筋ほどもさしていない。

 しかし、実際にこのリサイタルの最後に何が起こったのだろう? 実際の終曲はワルツ1番で、2番がひかれなかったというのはこれもただの伝説か想像にすぎないのかもしれず、バッハも聴衆の思い出の中にのみ生きている幻なのかもしれない。現実はひとつしかない……だが、ほんとうにそうだろうか。現実? ひとつしかない現実が何だと言うのだろう。「現実」を受け入れ、それに屈していたら、この若者がこの日のステージに立ってピアノに向かうことなどできなかっただろう。現実に屈しないその夢の強さ、生命力がリパッティをしてステージに立たせ、動くはずのない体を統御してピアノをひかせたのではないか? ならば、その夢の強さに感応して、そこにいた聴衆、そしてこの記録に耳をかたむける我々ひとりひとりもまたそれぞれの夢を描き、それが真実ともなるのである。

 ……などと、思いは次から次へと移り、尽きることがない。残された音と記録と証言はきき手の憶測やら想像やらをとりとめもなくかき立てる。残された現実だけでは埋まらない何ものかがそこにあるから、私たちはさまざまな思いをそこに馳せる。そうして我々がさまざまに想像をめぐらすたびに、ひとびとの思いの中で彼は何度でも生きるのだ。それもまたリパッティの執念、あるいは尽きることない生の意志の表れだろうか。

 この音源を公開するにあたり、私が当初考えていたのは、録音されなかったバッハのコラールの、同年のセッション録音をボーナストラックとして末尾に付け、いわば仮想の「完全版ブザンソン告別リサイタル」にすることだった。だが、確認のためのプレイバックをきいているうちに、気が変わった。感傷的にすぎて悪趣味だし、だいいちウェットすぎてここでのリパッティの演奏ぶりから感じられる「空気」にふさわしくない。そこで、ひかれることのなかった終曲、ワルツ2番作品34-1「華麗なる円舞曲」をボーナスに付けることにした。よくきかれる1950年の録音ではなく、1947年ロンドンでのSP録音である。これはショパンのワルツの中で私のいちばん好きな曲であり、何といってもリパッティ自身がこれをひかずにリサイタルを終えてしまったのは心残りだっただろう。そこで、想像の世界で彼にこの曲をひいてもらい、このリサイタルを首尾よく終えて、大喝采を浴びながらさっそうとステージを降りてもらいたい。そんな思いをこめてこの曲をボーナストラックとした。仮想ならぬ架空の完全版ブザンソン・リサイタルだ。これを通してきくことで、私の想像上の世界ではリパッティはそのように生き続けるのである。





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