石黒文庫

野人(のびと)の思考 街の思想  石黒靖敏コンサルティングアソシエイツ事務所 ht…

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野人(のびと)の思考 街の思想  石黒靖敏コンサルティングアソシエイツ事務所 http://www.yasutoshi-ishiguro.com

最近の記事

コミュニティ・共同体考

時間から空間へ万物が一体となるとは、万物の生滅も死活も一体となること。人間もその例外ではなく、その様は現在で繋がる未来と過去の時間がスタートとゴールの無い円の様な運動をする。時間は全体から見ると、円と言うより、個々全体が重なり合う球のような諸行無常的な運動体となる。(以前の章参照)これは「神も人も自然(しぜん)も等価であり、とりわけ人と自然の関係の在り方、結び方から、自然(じねん)と祈り、神を人が感ずるようになったことから始まった。」とすると、合点がいきます。そこで、改めて私

    • 時間考

      ミヒャエル・エンデ モモ(時間どろぼう) 灰色の紳士達は、時間どろぼうである。とりわけ‘人生で大事なことは、ひとつ。それは。何かに成功すること。ひとかどの者になること。たくさんのものを手に入れること。他の人より成功し、偉くなり、金持ちになった人間には、その他のもの、友情だの、愛だの、名誉だの、そんな物は何もかも、ひとりでに集まってくるものだ’と彼らがモモに語る様に、或いは‘俺は人生を誤った、たかがケチな床屋じゃないか、俺だってちゃんとした暮らしが出来ていたら、今とは全然違う人

      • 世界考

        ジャン・ボードリヤール 住む世界1968年 ‘物の体系’ ‘記号の消費’を著したフランスの社会学者であるジャン・ボードリヤール。この本は後に‘消費社会の神話と構造’(以前の章参照)の著述へとつながり、ピエール・ブルデュー(以前の章参照)らにも影響を 与えています。ボードリヤールは、人類が花や動物の種を分類したように、次々と需要が増え、また消えていく日常のものを分類しようと試みます。 そこで、飛行機は安全性、速度、効率と言った機能上の理由から、具体的な技術が産む産物を必要として

        • 仕事考

          1969年、M.B.ゴフスタイン 29歳の時の詩作であり絵本でもある ‘ゴールディーのお人形’ は、「子供時代に、人生において価値ある事は、そして本当に幸せなことは、仕事をすることであり、もし何かひたむきに自分を捧げるものがなければ、その人生はつまらないものだと感じていました。黙々と働く人の美しさと尊さを、本の中で表現したい。」と言っているように普遍的とも思える彼女の仕事観が表れています。               そこで、ライフスタイル考、消費考(前節参照)に続き、仕事考

        コミュニティ・共同体考

          消費考

          失われていく、駆逐されていくコモンズに対して、社会的異議申し立てと  して、モノ(物)の美を説いた人に、民芸の名付け親である柳宗悦らが      います。柳が言う民芸の美から、消費の在り様を考えてみたいと思います。台頭する資本主義に対して、柳同様、ウイリアム・モリスの運動やグロピ  ウスらのバウハウス設立も大きく捉えれば、暮らしの美を、モノからアプ  ローチした社会的異議申し立てであり、この3者には時代的連続性が見られます。 下手物(ゲテモノ)民芸と言う言葉、つまりは民芸と

          ライフスタイル考          Plain living High thinking          マルクス資本論再考

          マルクスと同時代、もしくは一定期間重なる時代を生きた、        ワーズワース(イギリス 詩人)、H.D・ソロー(アメリカ、哲学者)、 ハインリッヒ・ハイネ(ドイツ 文学者)等の著作を通じて私達の暮らし方を考えてみたい。 これまでの論述同様、あるテーマの史観を異なる分野での先人達で比較することは、考えてみたい概念像のイメージを描くことに近付くと思います。 そこで、時代感度の高い芸術家達を比較登場させます。 ワーズワース・Plain living High thinkin

          ライフスタイル考          Plain living High thinking          マルクス資本論再考

          マルクス・資本論再考 ④

          富(コモンズと私達)街づくりの基調であるべき暮らしの豊かさに関して述べてみたいと思います。これまでも、全体を体系付けて、それを論じることをせず、ランダムな章立てで述べてきましたが、私達の今とは異なり、その時空を超えて社会、人の有り様を研究する文化人類学、私達の暮らしの時間を丁寧にたどり戻る民俗学等の知識と資本主義の知識、これらを包括する思想、哲学等を用いて社会比較することで、暮らしの豊かさ、生き方の豊かさを論じ、それが私達の生きるフィールドである街の豊かさ、美しさと通底する、

          マルクス・資本論再考 ④

          マルクス・資本論再考 ③

          富(コモンズ)と自治体、行政私達の共有すべき社会的富、コモンズを、商品化の目的を持って、資本が物質代謝を推める。すると、富、コモンズには、値段、価格が付き、お金を持たないと利用出来なくなる。それが身に染みているから、私達は、資本主義に、しがみつき、振り落とされぬようお金、すなわち商品を消費しなければ生活出来ない消費人間になっている。だが、だからこそ私達は暮らしの豊かさを模索している。そうした社会を前提に考えているのである。 しかし、そこで資本主義ケシカラン、資本主義に徳目や倫

          マルクス・資本論再考 ③

          マルクス・資本論再考 ②

          物質代謝本来、科学、生物学用語であり、生体に取込まれた物質が化学変化を経て 異なる物質として、体外に排出される過程を指すものですが、生体を人の 体だけでなく、有機物全体とし、それに人が働きかけ、異なるものを作り出す行為の総体と理解しています。                   例えば、稲と言う有機物から人がお米を作り、お米を発酵させてお酒を作り、稲のもみ殻を肥料として土に分解させると言ったことですが、これらは、その土地各々の風土の差異が、異なる物を作り、作ることに係る文化(

          マルクス・資本論再考 ②

          マルクス・資本論再考 ①

          序 資本主義のメカニズム、構造を今一度押さえておきたい。そこから、向かうであろう私達の社会が見えて来るかもしれない。先人達は、どう資本主義を捉えていたのであろう。と考える人々の歴史が、私達が繰り返していく歴史のように思えます。 そこで、まず登場してくるのが、マルクスの資本論です。日本はマルクス研究者の数が世界一らしいですが、資本論は読者に知的体力を要求します。 その為、団塊や全共闘時代の人々にとっては、マルクス資本論は左的インテリゲンチャーを表す記号のように捉えられ、社会主義

          マルクス・資本論再考 ①

          三重県いなべ市 にぎわいの森    ストーリー

          三重県いなべ市 にぎわいの森    ストーリー

          僕の街づくり②

          クリエイティブマーケティング ある人が、ある街に来ました。(来街者)どこからか、何かしら街の噂を聞いて来ました。そこで、ある店を発見しました。この街にピッタリの店(地縁店、どこにでもありがちなチェーン店ではありません)だと感じ、入ってみたくなりました。結果はやはり〇でした。その人は店を通じて、こんな店があるなんて、この街いいかも、と街の良さを期待しました。もっとその街を知りたいと期待しました。次に喫茶店(カフェとも言いますが)に入りました。店のお客さんは地元の人々らしく様々

          僕の街づくり②

          理念

          捨てよう方法論 学問的手法とは別に、とりあえずの結果を得るための方法論にあふれている私達の社会。学問的成果の蓄積は、掴みたい事を、その地点の成果から知をスタート出来る、以前と比べてのアドバンテージとなるものですが、結果を得るための方法論は、時と共に使えないものとなる事が多いようです。 (身近な例として、節税、入試、就職、仕事スキルノウハウ本、ノウハウ評論等)それは普遍性の有無なのでしょう。普遍性をあまり、或いは全く持たない方法論から社会を見れば、時が経つ程、使えなくなる人が

          生きる人々

          散歩 朝、散歩に出ると、昇り始める太陽の姿、その光に照らされる社の森の陰影、路地の辻にあるお地蔵さん、それに手を合わせるおばあさんの姿。八百屋での開店の準備に忙しいその家人達の営みの様、一日の始まりが伝わってくる、家々からの生活の音、等々。これらは、毎朝の日常(散歩の時間)に実在する風景ですが、そこから何かしら美しさを感じませんか。姿、様は違えど、かつての体験の中に、同様な美を感じた事を思い出しませんか。  美は、どうやら、身近なものに、祈りを見出す行為の様に思えます。

          生きる人々

          暮らしの復権

          案ずる神様  高低の違いはあるものの、三方を山々で囲まれ、面積の違いはあるものの、山の麓には茶畑や田畑、林、集落の散在する美しい農の営みを持った村、町は全国に未だ多く存在します。東アジアの風土が作った美しい村町、ここが失おうとしているものがあります。かつては美しい村町だった、となろうとしています。とても残念に思えます。固有の文化の消滅=存在の消滅=尊厳の否定のように思えるからです。神も心配しているでしょう。ロードサイドのチェーン店、工場直送の組立キット型住宅群、ヘッドクォー

          暮らしの復権

          旅をしよう

          台地 名古屋は城下町です、城下を中心に南東方向に伸びる3層の台地が山ノ手を形成しています。この山ノ手は、その頂きに時系列的に各々の町(時々の支配者層の住む場)を形作ってきました。2層目の台地の上には、尾張名所図会(江戸期)にも描かれているように、お月見や紅葉狩りの名所として、また明治期には釈尊、釈迦の御真骨を祭る超宗派の仏寺、日泰寺建立の場所として、覚王山と言う町があります。 工芸の美、民芸の美 この町を訪れた(旅した)時、常夜灯から始まり、山門迄の4~500mの参道を

          旅をしよう