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マルクス・資本論再考 ③

富(コモンズ)と自治体、行政

私達の共有すべき社会的富、コモンズを、商品化の目的を持って、資本が物質代謝を推める。すると、富、コモンズには、値段、価格が付き、お金を持たないと利用出来なくなる。それが身に染みているから、私達は、資本主義に、しがみつき、振り落とされぬようお金、すなわち商品を消費しなければ生活出来ない消費人間になっている。だが、だからこそ私達は暮らしの豊かさを模索している。そうした社会を前提に考えているのである。
しかし、そこで資本主義ケシカラン、資本主義に徳目や倫理を求めるとするなら、私達の現実の社会を否定することとなり、かつてのように政治思想利用へと連らなっていく。以前にも述べたところだが、保守もリベラルも政治体制(社会観)は異なれど、資本主義を、国家か、市場かと言った主導の主体の違いだけによる共通した経済システムと双体制はしている。
資本主義に感情的に抗うのではなく、資本主義を踏まえ、自らの自立自律を求め続けるところに、暮らしの豊かさがある。マルクスは、資本論でその構造を明らかにすることにより、それを証左したかったのではと考えます。自立自律を哲学者カントの手助けで解釈すると、自ら(みずから)を外的権威に拘束されず、自ら(みずから)の普遍的なるものを立て、これに従うと自ら(おのずから)、自立、自律する。と読めます。

1980年代に台頭した、社会の経済思想、政策のメインストリームに、規制の緩和、福祉削減、自己責任、コストカット等を旗印にした資本主義、新自由主義があります。市場を自由化し(規制の緩和)競争原理の元に、官の事業を民へシフトした方が、効率が良いとしたものでした。これをマルクス的に読みます。市場での商品化は、利益の追求の不断の運動体です。利益の出ない、少ない(投資効率の悪い)商品は、より利益を出そうと、どこまでも進みます。すると利益相反する商品は存在出来なくなります。存在出来なくなった商品(かつての社会的共有財、富、コモンズ)は、市場から、社会から、退場してしまいます。例えば電力を民が興し、それを公共に配るエネルギーシステムを取った自治体にあって、電力コストの上昇に伴い、民は電力事業から撤退。それに100%依存していた自治体は、地域の電力供給が止まる。と言った事態が現実に起こりました。この事態を、民の企業及び彼らの生きている理論である資本主義に、非を求めたり、徳目や倫理(公益性)を求めたりするのではなく、資本主義を理解し新自由主義と言った世界的な権威から行政(自治体経営に関わる人々)が自立自律しているとは言い難いことから起こった事だと考えるのが前向きな様です。とマルクス的に、読めます。他への非より、自らの自立自律です。

こうした社会的富、コモンズの低下に繋がりかねないことが、街づくりに関わることでも進行しているようです。
PFIとは、民の資本を活用しつつ、彼らが経営することで、行政の負担を軽減しようとするものです。人々が満足する新たな街づくり、活性化を官民で行っていこうとする、PPP(パブリック、プライベート、パートナーシップ)の形態です。例えば、土地の用途使用に関する行政の規制緩和がなされる。そこに民が自らの資本で商業施設を商品として作る。すると官は維持管理費がかさんでいた土地が、逆に収益性がアップすることともなる。コストカットな新自由主義のシステムです。しかし、街づくり、活性化は小さな開発を旨とする活動がとても大切です(以前の章を参照)が、商業施設のみの開発には、これまで述べてきたように街づくり、活性化の視点と手法、実活動はおざなりになりがちです。そればかりか、この施設が儲かる商品でなかったなら、どうなるでしょう? 民は官に経済的メリットを新たに求める(=官のコストアップ化)か、そこから撤退する(=空き店化)か等々となるでしょう。かつては誰もが享受していた社会的共有財、富、コモンズだった土地用途が、商品化され消費装置となり、その享受者をお金を支払う消費者限定とし、更には誰もが享受し得ない貧となる。こうした事が起こりかねない面をPFIは持っているのです。最近では公園の活用にリスクが潜んでいるように感じます。

この場合の行政(官)の自立自律とは何でしょうか?外的権威に拘束されない=商業施設開発となる前に、その土地の持っていた富が更に見える形にと翻訳し直すこと。例えば公園→閉じた形態の公空地→閉じた=循環系農地→農食の文化総体を表す業態=園+公空地→参加型農地→農食分野のアソシエイツ共同体づくり=公=新たな都市農像=豊かさ、と言った構想、ストーリーを洗練させること。これは普遍的なるものを立てる、まさに小さな開発へのアプローチの一例です。行政の自立自律とは、関わる一人一人が主体性を自らで形成しようとするところから始まる構想と実行が統一された、かつての生業的個人(以前の章を参照)像を学ぶ、人づくりにあると考えています。民である私が当初から総合的にプロデュースしたプロジェクト、三重県いなべ市「にぎわいの森」(以前の章を参照)に当てはめると、小さな開発を通じて、今後の行政、市の街づくり、活性化の目指す所、理念、それらを標榜する諸々の積み重ねた実体活動、コンセプトの象徴ともなる商業施設開発や各活性化事業が挙げられます。市と共に進め、市自らで施設開発負担をし、開発後は、市自らで別法人を立ち上げて市職員で運営するスキームを選択しています。三重県いなべ市と「にぎわいの森」は、行政の自立と自律の形を表す今後のPPP(官と民の関係性づくり、行政と民間)の在り方の一例になるかと思います。社会的共有財としての富、コモンズを一層貴いもの、すなわち暮らしの豊かさ=人として貴ぶもの、とする立場に最も近い行政が、「私達の暮らし」から離れ過ぎてしまう面を持つ資本主義に対して取るべき街づくり、活性化の姿勢に繋がるのではないでしょうか。

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