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旅をしよう

台地

名古屋は城下町です、城下を中心に南東方向に伸びる3層の台地が山ノ手を形成しています。この山ノ手は、その頂きに時系列的に各々の町(時々の支配者層の住む場)を形作ってきました。2層目の台地の上には、尾張名所図会(江戸期)にも描かれているように、お月見や紅葉狩りの名所として、また明治期には釈尊、釈迦の御真骨を祭る超宗派の仏寺、日泰寺建立の場所として、覚王山と言う町があります。

工芸の美、民芸の美

この町を訪れた(旅した)時、常夜灯から始まり、山門迄の4~500mの参道を中心に歩いた時、5m間隔で植えられた黒松の並木道だったと言われている、この参道に今尚残る数本の松の巨木からは史観的視点から町が今尚、江戸期の遊山、山行きの記憶を堪えているように見えました。参道の始まり、最初の2~3丁目には、民衆的食べ物屋さん(旧うどん店、大盛食堂、かき氷、串カツ等)の町屋が多くあり、飲食、花見、神への信仰がセットとなっていた私達の暮らし(「大きな開発、小さな開発」「公園」参照)の記憶が今尚続く町の人々の営み(商売)と日泰寺の存在が重なり、リンクし、界隈的小宇宙を町がコミュニティーとして持っているように見えました。参道の中過ぎ、次の2~3丁目には、手仕事クラフト系の店(石工、畳、仏具等)町屋に加え、建築的作庭的視点から、鳥獣戯画をモチーフとしたような庭や丁斧の使い方や蝶番にセンスを感じる門等の住居もあり、更には洋館、黒壁の屋敷等が後背に拡がっていく、その様は住居の各人が多様に、この町を解釈し、自己のアイデンティティーを、その上に重ねていく、町に美を見た人々の人となりを表しているように見えました。(「美を見る人々」参照)この町で生きる意味を持つ人々を見ているようでした。また参道の長さと建屋業種の配置からは、都市計画的視点から、人が町を認識出来る距離の尺度の法則で町をデザイした(「大きな開発、小さな開発」「村、町街の話」参照)例であっただろうことも、見えてきました。

人となり、街となり

この町は、民芸的な美を持つ参道中心の場所、工芸的な美を持つ参道後背地の場所の美の2脈、つまりは民衆、支配者層の文化2脈を同時に持つ町であり、(「祖父と釣竿」参照)街に各々の美を見た人々の存在とその祈り
が円空仏(町にある薬師堂)を通じて伝わってくるように見えました。人々の人生と日々の暮らしを、町が覆っている、守っているようにも見えました。是非はならない、異とする2極の各々な要素が、その人の人となりに深さをもたらすように、その街の街となりにも、同様の事が言えるのではないでしょうか?

街を見立てる                            以上は、実際にある町を、ごく初め(街づくり活動の初め)に見立てた一例ですが、このように続けていくと、見立ては一層充実し、暮らしの豊かさにフワッと包まれた感を味わったり、人によっては活性化や街づくりの切り口や向かう所も見えてくるでしょう。これを具体的にイメージ出来るよう映画の心象風景描写を作る様に少し細かく描きました。実は、見立てを行うと、この町のように、多くの町がその「なり」「街となり」を各々に持っていることに気付きます。町は町ごとに色々な「なり」を持っているのです。それに気付く気になる街を見立てる旅、結構いいかも?お勧めです。


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