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マルクス・資本論再考 ①


資本主義のメカニズム、構造を今一度押さえておきたい。そこから、向かうであろう私達の社会が見えて来るかもしれない。先人達は、どう資本主義を捉えていたのであろう。と考える人々の歴史が、私達が繰り返していく歴史のように思えます。
そこで、まず登場してくるのが、マルクスの資本論です。日本はマルクス研究者の数が世界一らしいですが、資本論は読者に知的体力を要求します。 その為、団塊や全共闘時代の人々にとっては、マルクス資本論は左的インテリゲンチャーを表す記号のように捉えられ、社会主義国の民主化(?)以降は、資本主義、中でも新自由主義の世界的台頭によって人々、社会から、資本論は辛気臭い忘れられた存在になりかけていました。

一方、何となく、或いは、声高に今の資本主義が限界に来ている。と感じ始めた人々が現われ、社会の空気を覆い始めたように感じられたのが90年代以降だと思います。そして、今日はどうでしょう? 90年代以降に生まれた若者達をはじめ多くの人々が、そう思わざるを得ない社会の中にあって、冒頭の部分の資本主義云々を押さえておきたいとする欲求を多くの人々が持つ状況が今の社会だと考えています。

ここで、誤解を解いておきたいのですが、マルクスの資本論は、プロレタリアートの為に、暮らしの豊かさを追求した社会構想の書であること。労働組合を薦めたり、共産主義や社会主義国家と言った政治体制を薦めている
書ではないこと。マルクスはこれら政治体制に触れてはいなく、彼の思想を、時の施政者が一部を政治利用したこと等です。また、これまで取り上げているコモンズを提唱した宇沢弘文、農村の振興をその共有財の富に説いた柳田国男、商品化の矛盾を消費社会、記号論で表したジャン・ボードリヤール、物質代謝(人間の労働は、全て自然物へ働きかける。自然物からは、それとは異なるものが人間の働きかけにより生まれる。これら代謝を目的に制御したり進めたりするのは、人間のみであり、人と自然の関係を指す)への理解が、祈り、美、神、街等、風土に根差した営みの文化総体を形成していくとする本書等、これらはマルクスの資本論からその関連を読み解く事が出来るものばかりです。マルクスの資本論は、私のテーマである暮らしの豊かさと、私の専門である街づくりを考える哲学、思想の書にも通ずるものです。(コモンズ、共有財、商品化、物質代謝は、構想実行を加えて資本論のキーワードなので、ここで列挙しました)
ここから、キーワードに沿って、資本論をおさらいします。とても良くまとめられている「100分で名著」は参考になりました。

富・コモンズ

社会的共有財をコモンズ或いは、富という言葉で資本論は表しています。 富とは、金銭や不動産等、貨幣で計れるものではなく、森林、大気、大地、水と言ったものから、これらが守られていて且つ誰もが享受することの出来る自然公園や誰もが享受出来る自然だけでなく、知の入口である図書館、講座、芸術等も指します。街も、そうした側面を持ちます。        暮らしの豊かさを人々が感じられるものが社会に充足している様を富、コモンズが豊かだと換言出来ます。

商品化

資本主義は、あらゆるものを商品化します。商品化とは、自然物の代謝物を市場で売れる物とし、値付けをして貨幣に替えることです。水田と言うコモンズをショッピングセンター用地という不動産商品に替えることや、伏流水と言うコモンズをミネラルウォーターと言う商品に替えること、山林と言うコモンズを薪ストーブ用の薪と言う商品に替えること、等を指します。つまり社会的共有財が資本により占有され、人々の共有財として自由に使うことの出来たもの(「使用価値」とマルクスは言っていますが)が、金銭で売買される。金銭を持たない人は、使うことが出来なくなる。と言うことが商品化の意味です。更に、この水を使えなくなった人は、ミネラルウォーターを掘る工場に賃金労働者として働き、その賃金の一部で水を買う労働者兼消費者になります。ミネラルウォーター工場は伏流水が枯渇する迄作り続けられ、労働者はこの間、この工場での生産力が上がるにつれて、余剰価値を生むようになります。(労働時間単位での生産力の向上=利益の増加=更なる利益=労働時間の延長)
こうして資本の前では、人の労働も自然同様、いち商品となっていくことを意味します。

構想・実行

労働者の賃金は、彼らが生活するのに、いくら必要かで決まるとマルクスは言っています。工場での生産力が向上し、一方、競合も増えてくると資本は生き残るために販売価格を下げます。すると労働者の賃金も下がります。 生活費が安くなるからです。一方、労働者の生む絶対的な余剰価値は変わらないのに、労働者の賃金が下がれば、更に利益は上積みされます。これが相対的余剰価値だとマルクスは言います。生産力を増大させ、商品コストを下げ更に商品を安く販売することは資本の内的衝動、不断の傾向だとマルクスは見ています。また、人が頭で考える構想の作業を、マルクスは精神的労働とし、自分自身の体を使って、この構想を実行させる作業を肉体的労働としています。この両者は一人の人間の中で統一され、彼らは熟練工や職人と言われていたが、統一された両者を分離分業、細分化すると量産品が出来る=手頃な価格の品々と引き換えに人の生産能力の低下、分業でしか働けない単なる労働者の誕生となる=資本に支配される労働者としてしか生きられなくなる=暮らしの豊かさは程遠くなるとマルクスは喝破しています。また、人の労働をコモンズとし、それが失われていく、そうならないよう、自律自立の重要性を説いています。

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