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マルクス・資本論再考 ②

物質代謝

本来、科学、生物学用語であり、生体に取込まれた物質が化学変化を経て 異なる物質として、体外に排出される過程を指すものですが、生体を人の 体だけでなく、有機物全体とし、それに人が働きかけ、異なるものを作り出す行為の総体と理解しています。                   例えば、稲と言う有機物から人がお米を作り、お米を発酵させてお酒を作り、稲のもみ殻を肥料として土に分解させると言ったことですが、これらは、その土地各々の風土の差異が、異なる物を作り、作ることに係る文化(豊作→神・祈→神事・祭り→食供え物→食文化へ 豊作→土壌・治水→暦→技術→学問→文化・芸術)が多様に拡がり、社会的富、コモンズとなっていくことを意味しています。人と自然の関係を表していた物質代謝は、生産→消費→分解の循環系でしたが、マルクスは既に資本主義での商品化は、人間と自然の物質代謝に亀裂を生み出すと警告しています。         それを防ぐためには、労働者がアソシエイツ型の共同体の元、人と自然の物質代謝を合理的且つ持続的環境制御を進めるべきと結んでいます。資本論はここで終わりです。(アソシエイツとは、従前の地縁血縁型の村落共同体ではなく、協同組合等ある目的を共有する人々の集まりを指します)

資本論以降、マルクスの研究ノート

資本論の刊行以降、マルクスによる自然科学分野である土壌学や肥料学、発酵学、農産品利用学、等の農芸化学から植物学、地質学等の学際的風土研究に関わる研究ノートが近年明らかになったそうです。また、かつて日本にも存在した土地の私的所有の無い社会(山の民、山人等の章参照)同様、古代ゲルマン社会でも村人が村落内の農牧用地を共同所有し利用していたマルクス共同体の研究を初めロシア、アメリカ、インド、南米までそのフィールドを拡げた共同体研究ノートも近年明らかとなったそうです。これらは、資本論には書かれていませんが、マルクスは提案として用意していたと伺われています。

マルクスの知見

社会的共有物である富、コモンズが資本の進める商品化により、人と自然の物質代謝を蝕む。これは私達が移動遊動の暮らしから、定住の暮らしを選択し、定住→食料の蓄積→土地の所有→格差の発生→権力、階級の発生→平等感、フラット感の変化、支配被支配の発生を集団内にもたらしたことを発端としています。従って、これまでの記述の底流となっている野人(のびと)山人(やまびと)、定住と移動遊動の考察と連関しています。資本の進める商品化が生産力、生産性を上げ、人の構想と実行を分断させる。そして更に生産力、生産性を上げようとする。これに対して、資本はケシカラン的論からは、にわかリベラルしか生まれません。生産性アップ=経済成長=暮らしの豊かさ、を信じて疑わないよりはましですが、自律自立をマルクスは説いているのです。従ってこれまでの私の記述伏流となっているエゴ、祈り、美自在、生業、道、等の思想観とも連関します。そして不断の運動体である資本主義の先鋭化(過度な資本主義化)は、照葉樹林の風土で生まれ、定住故の矛盾に対処しようとした、人も、自然も、神も等価であり、フレンドリーな関係であるとする思想の上に生まれた文化総体の歴史をも蝕みます。 (資本主義的には大層、商品化(売れる)する価値あるものとして、日本の                                       富、コモンズとして歴史がある以上、そう映ります)          街づくりは、人々の暮らしの豊かさを背後に持っていなければなりません。街の富、コモンズを、美とし見つけ出し、時に暮らしの豊かさと相反する資本の本質(資本のために資本を増すのみの乱暴且つ単純な運動体)を組み伏せなければなりません。これまでがその闘いの連続であったように新たな闘いも始まっています。


闘う街づくり

街の営みの来歴や記憶を想像し、街の営みの美を祈るような心持ちで発見していく。この具体例はこれまで多々論じてきました。それは、マルクスに照射すれば、街のコモンズ、社会的共有財としての街の富とも呼べるものであることに改めて気付きました。(以前の章を参照ください)

一方、街づくり、街の活性化とは、街と言う共有財の持つコモンズ、富を街に関わる人々(アソシエイツ共同体のメンバー一人一人)が共通の認識とするまで、諒解し合う。(これを私は公の精神と呼んでいますが)ここを原点としながら、一方では街の営みのもたらす美、富の発見、そこから誕生する小宇宙、世界観から人々の暮らしの豊かさが透けて見えてくるまで、街像を洗練させていく。それを人々に届けていく。すると、人々は必ず反応する。ある人はアソシエイツメンバーを、来街者を、居住者を希求するようとなる。これらの姿が続き、人の代謝を伴い、街の活性化が成っていく。と考えてきました。評価を頂いている手掛けた街に共通する経験則だと考えています。

但し、街の活性化評価の高まりに伴い、街に資本主義が迫っています。商品化の気配が漂うようになります。活性化自体とても大切なプロジェクトなのに、活性化した故の問題発生は皮肉です。土地の不動産商品化(価格の上昇、評価額のアップ)です。市場から投資資金を集め、地価の値上がり以前の前に、高利回り物件開発をしようとするものです。この場合、開発業者は即出口(売却先)を設定する故、これらに係る業者には、街の持つ美、コモンズ、富への諒解はありません。街づくり、活性化と資本主義が、ぶつかり合う瞬間です。そこで重要なのが、街のアソシエイツ共同体です。    とりわけ、その共同体の行う街づくりマネージメント手法です。物件開発に反対するだけでは、マルクスで述べた資本はケシカラン的論の「にわかリベラル」と変わらず具体策は見えません。街づくり、街の活性化プログラムの中に、当初より、土地の所有者の状況、相続の可能性の時期、日頃からの交流、思考性の把握、等を入れておくことです。活性化に手一杯で街のアソシエイツ共同体の整備も未だ手薄な時期である。しかし街の話題性や評価は上がり始めている、街の活性化を資本の街誘導とする動きも見えている。この中での経験では、街の富、コモンズ、美による街の活性化事業を進めた結果の効果と、更なる洗練化課題に対して、同時期に資本主義とぶつかった故の準備不足を痛感した経験でした。事前の情報の時期を早めれば対応策は見えます。資本主義は、より儲かる、より資本を増すスキームですから、物件が街のコモンズ、富、美を壊すことイコールにより儲からない商品化となる論拠、反対に物件が街のコモンズ、富、美を大切とすることイコールより儲かるもの商品化となる論拠と策を資本に提示することです。小さな開発を旨とする街づくり故街自体の総体が評価されています。従って資本に対処出来る物件の儲かる商品化の方法は見つかるものと考えます。逆にこれ迄以上にハードルを越えるものになるかもしれません。


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