ウツ婚!!デート編前半戦

・困難な結婚どころか困難なデート

・メンヘラtalk(We always talkin' about our lil' secret)

・歩こう歩こう月美は元気



困難な結婚どころか困難なデート

デートのプランは全て相手にお任せした。せっかくこぎ着けたデートを私の無教養でふいにしたくなかった。だって私が一番したいデートは平日の昼間で(暇だから)ご飯はビュッフェがいいし(好きなものだけを好きなだけ食べられるから)その後はカラオケでTK縛り(世代だから)という、もろニートなものだったから。

お任せすると大体の人は夕方仕事帰りに軽くご飯に行きませんかって感じで、私はまた昼過ぎに起きて夕方までに身支度を整えまくった。パーティーの時と違うのは相手が私ばっかり見ていることと途中退席出来ないことだ。何それ怖い。「いざとなったら他界した祖父にもう一回死んでもらおう」と不謹慎なドタキャン、バックレの言い訳を考えながら私の重たいバックは更に重たくなっていった。いつもの女子力&メンヘラ担当グッズに加え、化粧品も下地から持って行くことに決め、お店が寒かったらとストールを羽織って、胸はパット詰め放題。「待ち合わせでは知的な子を演出したい」と読みもしない小説もねじ込んで、悲惨な結果に終わっても相手をつけ回したりしないよう「いのちの電話」と「よりそいホットライン」と「自殺防止ダイヤル」の全国版一覧表も持って行った。バッグの中身は不安の量に比例する。摂食障害者と大阪のおばちゃんはいつも持っている安心の味、ミルクの飴を舐めながら、喧噪でパニック発作が起きないように耳栓を付けて待ち合わせに向かう。マスクもサングラスもしたいところだが不審者過ぎるし化粧が崩れるから無し。当時は感染対策よりパニック対策。


待ち合わせ場所に着いたら近くの喫煙所で思いっきりタバコを吸った後、用意していたリセッシュで匂を消して香水をふる。ロクシタンやプラザでごりごりにハンドだけでなくボディにもクリームを塗り込んで、ドラッグストアで化粧を直す。家出JK時代から行動様式変わらず。もうこれ以上は物理的に無理ですってくらいに睫毛を伸ばしたら、近くのトイレに駆け込んで自前の化粧品で更にメイクを直し髪も直す。最初はコテも持参してたけどあまりに重いのとそんなにコンセントって外にないから次第に家に置くように。メンヘラ仲間に「今からデートです!緊張しています!」と一方的なメールを送りつけまくって返信も見ずにまたバッグに放り込む。補正下着は外してきたし、水をごくりと飲んで「私はリラックスしている私はリラックスしている」とリラックスしている人は絶対に言わない文言を唱えながら時計を見る。一時間前に付いたのにもう10分前。今までの準備を台無しにするほど走って待ち合わせ場所に行く。既に帰りたいほど疲弊してデートに望んだ。



デートなんてエンタメ感のある面接としか思えなくて、不安で不安で何かしてないと居られなかった。「もっともっと」いくら頑張っても受け入れられるとも思えなくて、私は「もっともっともっと」頑張って、それでようやく相手に会った。私が好きな相手じゃなくて、私を好きになってくれるかもしれない相手に。問題は私の気持ちなんかじゃない。いつだって「誰か私にOK出してください」それしかなかった。OK出してもらえるのなら痩せます。髪も伸ばします。膝丈スカートも履きます。ピンク色のハンカチと手作りのティッシュケースも持ちます。ずーっとそうやって来たんだもん。今はデブで無職でメンヘラだけれど「結婚相手」という私史上最大のOKを出して頂けるのなら、私は私である必要なんてなかった。



デート相手は、大荷物を抱え汗ばみながらかろうじて小説を握りしめている私に「なんか忙しそうですね」とザックリ引き気味の感想を述べて食事処に連れて行ってくれた。安いところもあれば高いところもあったし、しっとり静かなところもがやがやと賑わうところもあった。でも私は目の前の相手しか見てなかったから、どんな店でも変わりはなかった。しいていえば、居酒屋みたいなところの方が私の「OK食材」が豊富でかつ好きなように頼めたから有り難かった。洋食のフレンチやイタリアンは「アパタイザーって何?」とか「チョリソーの後にチキンのグリル焼きを頼んでも変じゃないのか」とか悩まなきゃいけなかったし。築地でもんじゃ♪みたいな展開は合コン慣れしてる酒好き女子にはいいのかも知れないけれど。私がもんじゃって似合いすぎるような気もしたし、酒飲まないし。サラダを取り分けるのも出来ないのに「土手作りますね」はハードル高すぎるだろと思って「何が食べたい?」と聞かれたら「和食」と答えるようにしていた。


お店のURLとか送られても絶対迷う。なんとか遅刻しないように辿り着いても、開店前の掃除しているお店の人にテンパってる姿を見られる。だからなるべく駅とかで待ち合わせして連れて行ってもらうようにした。
お店に到着したら、まずトイレの位置を確認。何かあったらすぐにでもあそこに逃げ込もう。過呼吸になるまえにトイレに座ってブラを外そう。そして水を飲んでフラッシュバック防止に今日の年月日を確認するのだよね!店の雰囲気を味わうって何ソレおいしいの?それより初めて来た場所で無事に二時間くらいを過ごせるかどうかだ。


デート相手はそんな私の必死さを気にも留めずメニューをめくり「飲み物何にする?」と聞いた。来た!第一の関門!私は下戸なのだ。下戸でごめんなさい!いい大人が食事に誘われて酒も飲めずにごめんなさい。「私なんかと過ごしてもらって本当にごめんなさい」が首をもたげてくる。お酒なんて飲みたい人が勝手に飲めば良くて飲めない人だって酒席に行く権利はある。そんな当然のことが当然と思えない。「実は母方から続く下戸でして・・・。でも、あの、私に構わず好きなだけ飲んでください・・・」と烏龍茶を頼む前にごにょごにょ言う。誰も血筋なんて聞いてねーよ。言われなくても好きに飲むよ。なのだが、なんとなく下戸なのが悪い気がしてごめんなさいごめんなさいって気分になって、やっぱりごにょごにょ言ってしまう。最初の一杯を頼んだ段階でトイレに行きたい。まだ何も飲んでないのに。


次の関門!「何食べる?」である。私は今でもこれが苦手だ。摂食障害者には各人の「OK食材」と「NG食材」があり,それはベジタリアン~ヴィーガンのように専門家でも解らない当事者だけのグラデーションがある。例えば肉は一切NGのAちゃん・肉も魚もいけるけど炭水化物が全てNGなBちゃん・肉魚卵乳製品までNGで葉っぱと豆と米で生きているCちゃんなど。しかもこのグラデーションは気分で変動もあるため人と食事するのが凄く大変である。だから「○○定食」みたいなワンプレートはそれがヴィーガン対応の総オーガニック、雑穀米♪じゃない限り避けたいし、コース料理も逃げ道が無くなる。
だからこそ摂食障害同士の飲み会は安い居酒屋で各々が自由に枝豆をひたすら食べていたり、ざく切りキャベツを気付いたら一玉分食べていたり、山盛りポテトフライが一人一皿配られていたりする。が、やはりデートでそれは出来ない。「とりあえずサラダ♪」と巷の女子はもうあんまりサラダを食べないらしいぞ。なんてことはもちろん知らない私は自分が食べられる且つデートにふさわしいっぽい料理を探すためにメニュー表を熟読していた。どうやらメニュー表とはカップルが二人で見てキャハハと注文するものであるらしいことは、もっと後に知る。
メニューから自分が人前で食べられるものを洗い出すとほぼ「おつまみ」が並ぶ。トマトの輪切り・キュウリの酢の物・冷や奴・もずく・・・。相手は私が下戸なくせにつまみばかり頼み、それらが全て腹に溜まりそうもなく、しかも冷えそうなメニューを羅列するのをいぶかしんだ後、焼き鳥とかほっけとか唐揚げとかを追加してくれた。そんなこんなで一杯目到着。かんぱーいと私はグラスを一気に飲み干す。私の葛藤を知らない相手は「烏龍茶なのにビールみたいに飲むね」と笑ってくれるのだが、こっちはハハハと乾いた笑いを返すしかない。ここまで辿り着いた自分に乾杯。


家では好きなものを好きなだけ食べていた。最近、コンビニ過食は減ったけれどOK食材過食は続いていて。サラダボールに野菜炒めと鶏のささみと納豆を玄米と一緒に投入して、それらをスプーンでかっ込んでいた。身体に良さそうでいっぱい食べても罪悪感が薄い物。それらを頬張る私の姿は餌を与えられたゴリラなのだけれど安心して食べられた。だからお外で無駄なカロリーは摂りたくなかった。おうちでもしゃもしゃ餌食うために。


そんな煩悩丸出しボディの私が禅僧みたいな食べ物しか頼まないのは、摂食障害者的には当然なのだけれど相手には疑問で。まぁダイエット中なんだろ、見るからに。とあんまり触れないでくれた。だから食に関する話題も弾まない。何を食べたらいいのかわからないし。自分ルールもあるし。どれだけ食べたらいいのかもわからなかった。いつも「物理的に胃がはち切れそうになるまで」が食事の終わりだから満腹ってそういうことで、だからこそ一人じゃないと得られないものでもあった。緊張して全然食べられないような気もする。逆にはち切れそうになるまで食べられちゃう気もする。私は原価五倍増しくらいの値段の冷や奴をずっとつついていた。はートイレに行きたい。

トイレに行って化粧を直す。携帯を見ると心優しきメンヘラ仲間から「月美ちゃん!ファイト☆」なんて返信がある。てんぱりすぎて自分からメールしたくせに「人ごとだと思って!」と理不尽ないらだちを感じたりして席に戻る。それで、なんだっけ。

プロフィールは「仕事は実家が会社をやっているので、それを手伝っています」と言い張っていた。父親が社長でママが専務の二人だけの会社だけれど。アパートの一室を事務所にして夫婦ひしめき合ってフランス語の翻訳をしているから物理的にも能力的にも私の入る隙は無いのだけれど。もっと言うと、事務所と実家が近すぎて、父親は「くつろげるから」という理由で白のタンクトップにステテコで仕事をしているしママは「安上がりだから」という理由でお昼になったら実家に帰って来て炒飯とか作って無職の私と一緒に食べているのだけれど。
でも!たまに「テーブルの上に書類忘れたから事務所に持ってきて」とか言われて持って行くこともあるし(メッセンジャー?)本を買ったら領収書は会社の名前にして経費で落ちるようにするし(経理?)夕食時にいかにうちの翻訳事務所が潰れそうかって愚痴も聞くし(秘書?)。だから経歴を詐称したとは今でも思っていない。


メンヘラtalk(We always talkin' about our lil' secret)


仕事についても食事についてもあまり語らない私に男性たちの多くは自分の仕事の話をした。けど営業職の苦労も中間管理職の苦悩も全然解らないし興味もなかったから「早く年収が幾らでどんな相手と結婚したいのか教えてくれないかな」って思っていた。
私はこの時期に人生で一番多くの人とデートをしたけど、二回目を誘ってくれる人は少なかった。三回目はほとんど無かった。その理由が今ではよく分かるが、当時は被害妄想を炸裂させていた。


その理由ってのは、私がデートで「私の話」を全くしなかったからだ。出来なかったし、したくもなかった。私にはもっとしたい話があったから。エリートの姉は出世コースを走り続けていること。周りから「プリンセス雅子の再来」と呼ばれ、結婚していなくても皇室に入る苦労よりはいいよねなんて言われちゃっていること。麻生太郎の横で微笑む美しすぎる姉は妾にしか見えなかったこと。弟は身長が188cmもあってKOのアメフト部出身。要領の良さと体育会系上がりのコミュ力を活かして営業アウトソージングの会社を立ち上げ、オフィスはミッドタウン。「次世代のホリエモン」としてNHKや日経に取り上げられファンクラブまであること。親友は高校からの腐れ縁でギャルなくせに東大院とか行ってエリート記者になり、ご両親も本人の経歴もなんかとてつもなくスゲーこと。


私の周りには私なんかより魅了的で有能な人が溢れていたし、その人たちの話は私の話なんかよりずっとおもしろいと思っていたし、そんな人たちの中に囲まれて何者でもない私なんかでごめんなさいって思いと、でも私の周りにはこんなに素晴らしい人たちがいるのよって自慢とが合わさって、私は私の話なんかしなかった。デート相手の多くは、そんな私の虚栄心とコンプレックスと自己顕示欲と自己卑下がぐちゃぐちゃに絡み合った話をビールとともに流してくれて次に誘うことはなかった。


でも一度はっきり言われたことがある。「俺は知り合いの自慢話をする人間が嫌いなんだよね」。あまりにもストレートに言われすぎて最初私は自分のことを言われているなんて思わなかった。え、私は知り合いじゃなくて肉親だから違うよね?と、きょとんとしちゃって「私もそういう人、嫌いですぅ」なんて返した。その彼は私を鼻で笑って、用事があるからと会計を済ませて帰ろうとしたから、どこまでも鈍感力抜群な私は「じゃあ、駅まで送りますぅ」なんて言って嫌がる彼を駅までつけ回した。振り返りもしない彼を見て、ようやくあぁやっぱり私のことかってぼーっと考えた。

恥ずかしかったし自分が情けなかったけど、あまりにも私の芯をとらえてフルスウィングされたため、そんなに悲しくもなかった。ただただ力が抜けて、やっぱりそうだよねって思った。何がやっぱりなのかはまだよく分からないし認めたくない。だけど私がいつもいつも周りを羨ましがり、自分を卑下し、かといってそんなに努力もせず、簡単に出来る「知り合い自慢」ばかりを繰り返して虎の威を借ってるつもりになってるのって、なんか私が摂食障害とか引きこもりとか、そんなことばかりやっているより、恥ずかしくて、深く大事な理由なんじゃないかなって。でもあんまり深く考えたらヤバイから、タバコ吸って帰路に着いた。おうちに着いたら豆腐三丁を男前に流し込んですぐ寝た。


私はいつも何者かになりたかったし何者でもない自分が嫌だった。痩せて化粧して派手な格好をしていればそれなりにちやほやされて、破裂しそうな私を、その承認欲求とやらを、男の人はその場限りでうっすらとは埋めてくれた。でもやっぱり破裂しちゃって、死にそうな思いで作り上げた身体は過食と引きこもりによって肉に埋もれていき、せっかくうっすらと埋められた承認欲求はまたゼロじゃなくってマイナスになり、身体は肉で埋まっていても心に空いた穴は何も埋まらず、深く深くどん底で死にたいって願った。痩せていた方が健康面では死にそうだけれど太っていた方が気持ちの面では死んでいた。


歩こう歩こう月美は元気


でも私は私の話を、実は五年くらいずーっと繰り返していたのである。診察室と自助グループで。そこで語る「私の話」は生育歴に始まってありのままの自分。本当の私って何?みたいな村上春樹の小説に出てくる女の子にしか許されないような痛い話。さすがにデートでは出来ないから私は「世間話」が出来るように毎日きょろきょろした。道路沿いの花が変わっていることに気付き、雨の日も外に出たくなるようにママに赤い傘を買ってもらった。漫画もコンビニコミックスだけじゃなくて図書館に借りに行って、エレベーターを待つときはなるべくおばあちゃんとかと天候の挨拶をするようにした。ニュースも新聞も責められてる気がして見なかったけれど、ミュージックステーションは毎週見ていた。


デート相手が休日に誘ってくれるときは映画を一緒に観てくれるように頼んだ。映画って「何も話さなくて良いから最初のデートにお勧め!」とか巷では言うけれど、これもまたメンヘラな私には大変だった。まず鬱が酷いときは内容が頭に入ってこない。シーンが連続しないから次のシーンに行ったら前のシーンを忘れている。ストーリー展開ってものがわからない。だからとにかく映画が開始したら、一つのシーンだけを覚えておいて他は無視した。後に感想を聞かれたら「あのシーンは良かった」とだけ熱を込めて語った。そんなに鬱じゃないときも映画館はフラッシュバックとの闘いである。真っ暗な劇場で喜怒哀楽を揺さぶられて急にセンセーショナルなシーンが出てくる。私はどんなに暑くてもブランケットを借りてバッグとブランケットを抱きしめながら観た。水を用意するのを絶対に忘れなかったし、相手が親切に画面中央の席を勧めてくれても断固通路側のトイレに近い席を譲らなかった。



そうやって少しずつ生育歴以外の話が出来るようになっていって、気が付いたら実家の裏にある公園(徒歩二分)が落ち葉と枯葉で埋もれていた。私は冬になると日照時間の関係で鬱が酷くなり、鬱の不快感を手慣れた過食の不快感で上書きするという癖があるため、もっと心身の状態が酷くなって引きこもり、あっという間に数ヶ月が経ち、次に外に出るのは春の半ば頃、という春夏秋冬を繰り返していたので数年ぶりにこの公園が緑じゃなくて茶色なのを見た。すっごく感動して写真を撮った。茶色に染まった公園を見られたことは大きな自信になり、五月生まれの私はまた歩き始めた。



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