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★障がいと 隔たりと 一歩~障がい者は本当に遠い存在?~

この文章は障がい者の方々についての話題があります。失礼な表現や考えがあった場合、改めていきたいためご指摘いただけると幸いです。宜しくお願い致します。

最近、障がい者福祉などの分野に興味が以前より強くなりました。といっても、福祉系の資格取得を目指している訳でもなく、特別な勉強もしていません。

岸田奈美さんや岸田ひろ実さんのエッセイやTwitterを読んだり、パラリンピックを少々見たり。そこから広がって、障がい者アーティスト商品を扱うヘラルボニーの活動を見守ったり、遠隔ロボの分身ロボットカフェに行きたくなったり。もしかしたら、今後好奇心が一歩進んで情報収集するかもしれません。要は相手のことを理解するのに少し調べてみてもいいかも程度です。

障がい者理解や福祉事業というコンセプトに惹かれているのも確かですが、活動そのものが魅力的です。ヘラルボニーの商品は様々でキレイ!、分身ロボットカフェは面白そう!、単純な感覚でわくわくで気持ちが華やぎます。なので、障がいのことは無関係ではありませんが、これらの事業に目を向けている要因は奉仕の精神ではないのです。

 

関心が向くのは障がい者福祉と無関係ではないと言って「障がい者福祉に理解を!」なんて仰々しく掲げるとやはり壁があるのが前提なんだなと感じます。もっとも好みでないから掲げないですね。

実際、私も含め壁がある人はいます。どんな特徴のある障がいなのか、どのように接すればお互いに気持ちよいのか、分からないことばかりで戸惑います。

 

躊躇する割に、身の回りに障がい者がいない訳ではないんですよね。

祖父は10年以上半身麻痺で過ごしました。尊敬する友人はうつ病と向き合って、今は仕事を立ち上げています。別の友達で聞こえが悪く、手話を使う人も使わない人もいます。幼なじみが最近、発達障がい傾向かもと薬を飲み始めました。

祖父は同居していなかったので、介護は殆んどお手伝いしていませんが祖母は色々と生活のお世話をしていました。精神障がいを持っている家族がいて、実は大変だったなんて一人暮らしになり話してくれた人もいます。知り合い自身が障がいを持たずとも、障がいある家族と向き合って来た人達も近くにいるのです。

とても近しくてうつ病と付き合っている人、名前を知っている程度で盲導犬を連れていた人。人間関係の中で親密度の差は当たり前に存在し、思い巡らせば障がいを持った人とも色んな距離感で繋がっているのです。

「健康な人もいつ障がいを持つか分からない」と言います。もっともです。事故・加齢、このあと何があるか分かりません。この言葉を当事者意識として使えていれば効果は大きいです。しかしながら、「いつかは、いつか」で遠く捉えている気持ちも、正直あります。

そんな他人事である反面、改めて考えなければ浮かばないくらい、疑問も抵抗感もなく障がい者が周りにいるのです。「いつか」ではなく目の前に、障がい者である大切な人が。

障がいがあっても、親戚や友人と付き合えるのは、近くで本人を見ているからでしょうね。紙に書かれた言葉である障がい者ではなく、話して・笑って・見てきた姿があるからこその関り合いです。

 

つまり、この違いは、障がい!と、身構えて、遠まきにするかどうかなのかもしれません。

確かに、障がいがある分、不便していることもあるでしょう。ただ、気構えして障がいに関して勉強するのではなく、相手を知りたい気持ちで見つめ、ちょっとスマホで調べたり(情報ソースは大切です)、相手に聞いたりも方法のひとつかなと。壁を意識して武装しないと突撃できないよ と待ったをかけるより、軽装でも壁の扉を探し ノックで上手くいく場合もあるのではないでしょうか。

基本的な傾向を知ることは大切です。無知なまま突っ込んでは大火傷、互いに不幸になる可能性があります。ただ、それに囚われて何もできないのも先にいい結果が残せないかもしれません。障がい者は人によって様々と言いますが、健康な人だって千差万別。本人でなくても、障がいを持った人の周りで、すでにいい関係の人に尋ねたり とりあえず行動してもいいのかなと思うのです。


祖父は私のことがお気に入りでした。遊びに来る間は他の子や孫をさしおいて、水を持ってこいだなんだ、呼び出します。状態をよく知らない、上手くできないなりに喜ばれていました。できることまで頼むので他の親戚からは孫に甘えてると笑われていた、楽しい話です。

 

もちろん、障がい者の方々のご苦労をないがしろにしたくはありません。介助つきでゆっくりとしか歩けない祖父と信号のある横断歩道を渡る時は、赤になってもたどり着けず、運転手の方の視線が辛かったです。支援していた私でさえそうならば、前までできていたことができなくなった当人の心境ははかりしれません。

耳にタコなありきたりの言葉ですが、社会がもっと隔たりのない構造になっていくべきですし、人々の相互理解も大切でしょう。

 

でも、障がい者って、今の時点でも本当にそんなに特別な存在なのかしら。自分の人間関係を思い起こし、ちょっとした疑問から綴ってみました。

現時点で健康に問題なく暮らしている人達にとっても「いつかの自分」以上に、障がい者の人達も身近なのではないかな?ささやかな質問を投げ掛けたいです。


◇ 以下はリンクです! ◇

ヘラルボニー

  

分身ロボットカフェのロボット研究者 吉藤オリィさん

  

岸田奈美さん

 

岸田ひろ実さん



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