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アジア・ソーシャルインパクト・トリップ#韓国編⑦ 死者の家の掃除から、ありのままの生を見つめる「ハードワークス」

2020年初夏のある日、書店で一冊の本を手に取りました。「死者の家の掃除 (죽은 자의 집 청소)」というタイトルの本の扉には、こんな著者紹介が書かれていました。

「出版分野で働き、専業作家として生きるため山奥暮らしを始める。その後、取材執筆のため日本に滞在、死者の遺品とその整理に関心をもつ。東日本大震災を経た後、韓国に帰国し特殊清掃サービス会社を設立」
 
何とも変わった経歴をもつ著者に興味を覚えました。孤独死や自殺の現場、そしていわゆる「ごみ屋敷」と呼ばれる部屋などを専門とする特殊清掃会社「ハードワークス」の代表、キム・ワンさんが書いたこの本は、発刊から幾月もたたないうちにベストセラーになりました。
 
日本ではすでに特殊清掃サービスに関するドキュメンタリーや本が多く出ていますが、韓国ではまだこの業務はそれほど広く知られているわけではありません。しかしコロナ・パンデミックを迎え、「孤独死」などの社会問題に改めて目が向けられるなか、この本は大きな話題となり、多くの記事にも取り上げられました。
 
私は個人的に、日本での滞在を経て特殊清掃業を始めたという著者の経歴が気になりました。ルポではなくエッセイ集といえるこの本からは、凄惨な現場の刺激的な内容ではなく、著者の生と死を見つめる静かな目線と、深い思想の余韻が感じられました。どういう経緯でこの仕事をはじめ、どのような思いでこの仕事を続けているのか、どうしても直接尋ねてみたくなりました。そして本の刊行からおよそ2年たった今年、ようやくインタビューする機会を得て、お話を伺いました。

日本、そして東日本大震災の経験

特殊清掃会社「ハードワークス」のキム・ワン代表

「日本には2010年から2012年まで、2年弱暮らしましたが、その前は江原道(カンウォンド)の山奥の村に住んでいたんです」
 
日本に渡った経緯を尋ねた私に、キム・ワンさんはこう話しはじめました。
 
「出版業に携わっていたんですが、作家として文章を書くことに専念しようと、夫婦でソウルを離れて田舎暮らしを始めたんです。ところが、大自然の環境の中で人は圧倒されるというのか……むしろ書けなくなったんです。それでいっそ真逆の大都会に住んでみてはどうかということになり、東京行きを考えました」
 
日本の古物屋めぐり、そして無名のアーティストたちの仕事場を訪ねるという二つの出版企画を抱えて渡日したキムさんは、1年もたたないうちに東日本大震災という未曽有の災害を経験します。
 
「残念ながら出版企画はすべて保留か中止になってしまいました。翌年に韓国に帰るまでの間、震災後の日本で過ごした時間は、いつになく死というものについて深く考えさせられた気がします。毎日余震があるから少しでも安全な家に一時避難したり、こどものいる家庭ではいち早く放射能測定器を購入したり、そういう不安さは死に対する恐怖に基づくものですから。
私は学生時代は詩を専攻していて、若い頃から死というテーマに強く関心を持っていたんですが、それはどこか遠くにあるものとして捉えていました。東日本大震災を通じて、死は実に身近にあるものということを初めて感じました」

キム・ワンさんの著書「死者の家の掃除」(キムヨンサ刊)

特殊清掃業という仕事へ

日本でのそのような体験のなかで、遺品整理や特殊清掃といった仕事に接する機会があったのですか、という質問に対しては、意外にも「いいえ」という答えが返ってきました。
 
「もちろん日本では遺品整理屋に関する書籍などが早くから出ていて、韓国で翻訳本を読んだことはありました。でも、自分がそういう仕事をしようと考えたことはありませんでした。
 
帰国後はまず小さい出版社を作ったんですが、なかなか収益にはつながらなかった。経済的な困難を抱え、思いついたのが清掃業でした。夜にオフィスなどの清掃を引き受けて、昼の空き時間に文を書くこともできるんじゃないかと夫婦で話し合ったんです。もともと掃除が好きでもありましたしね。

まずは清掃業の勉強をして、個人の清掃業者で達人と呼ばれる方に弟子入りもして、現場の経験を積みました。当初は引っ越し後の空き部屋の清掃が多かったんです。独自ブランドを立てて、地域や不動産会社にも広報して、一生懸命やるうちに口コミで徐々に仕事が増えていったんです。

その中には、ごみが極端に多い家や、何か異臭のする家――後から聞いたところによると事件のあった家などがありました。そういうのも特に区別することなく引き受けていくにつれ、はっきりと需要が多いことが分かったんです。それで装備もそろえて、特殊清掃の方に焦点を当てるようになりました。
 
特殊清掃といっても、結局比重が大きいのは『掃除』なんです。ただ、匂いや汚染の度合いから一般の清掃とはスキルが多少違うだけ。ただ、他の特殊清掃の業者は私たちほど掃除に重点を置かず、殺菌消毒がメインというところも多いようです。私たちはそのような部屋でも、窓ガラスまで残らずきれいにして、徹底的に『掃除』します。そのためか、良い評判が得られるようになりました」

価値判断を保留する

「ハードワークス」のホームページには、「人間の尊厳を回復させる特殊清掃サービス」と書かれています。その思いはキムさんのエッセイの端々から感じられます。しかし、特殊清掃を主に行うようになった初期のころは現場にどう向き合い、どう感じたのでしょうか。
 
「もちろんは初めは戸惑ったし、亡くなった方に同情して涙が出たりもしました。同時に、部屋の汚れ、悪臭、ウジ虫などに対しては嫌悪感を感じて、なるべく遠ざけたい、早く解決してしまいたいもの、そんな考えが圧倒的だったと思います。

でも掃除を繰り返す中で、何度も自分に質問を投げかけたんです。誰かを可哀そうだと思うのは、自分をその人より高い位置において見下ろしているからではないか。自分が見ているこれを汚らしいものと断定するのは果たして妥当なのか。結局、私が『可哀そう』とか『汚い』と意味づけるのは自分が判断しているからであって、そのものの実存とはかけ離れている。私が何かを判断することに意味はあるのか。そんな禅問答のようなことを繰り返すうちに、これも頭の中の掃除のようなもので、余計な考えがだんだんなくなりました。価値判断を保留するようになったんです」
 
まるで悟りを開いたような境地にたどり着くのは並大抵のことではないのでは、と驚く私に、キムさんは笑いながら穏やかに答えました。
 
「もちろん、今でもそんなに明るい状態というわけではありませんよ。ただ、暗いというわけでもなく、いわば平常心でこの仕事に取り組めるくらいにはなったようです」
 
ただし、常に淡々としていられるというわけではないと言います。
 
「死者の出た部屋の清掃の場合、私たちが直接ご遺体を見たり触れたりすることはありません。ただ、動物の死骸の場合は、私が直に手で処置しなきゃなりません。大量の猫の死骸が出た部屋を掃除したときは 若干トラウマになりました。死後硬直して固くなったもの、それを通り越してふにゃふにゃになったもの、さらには骨だけ残ったもの、それらの感触がいつまでも手に残ったんです。

それで、ピアノを習い始めたんです。あの感触が残っている指を、美しい旋律を奏でるという別の動作に使ってはどうかと思いついて。それは効果があって、いまでもピアノは続けています」
 
その経験から、キムさんは「アニマル・ホーディング(飼いきれないほどペットを囲い、飼育環境が崩壊すること)」の問題をもっと社会的に扱うべきだと指摘します。一定数以上のペットを飼う場合は自治体の登録制にするとか、ショーウィンドーで動物を売買するペットショップを制限するなど、対処が必要だと語気を強めました。
 
「動物の死骸がごみにまみれている部屋をあまりにも多く見てきました。人間が彼らの自由を奪う権利はどこにもない。人間のために存在する動物なんていないのですから」
 
基本的に4人のメンバーで運営している「ハードワークス」では、何か特別な決め事などはあるのでしょうか。
 
「いま取り組んでいるのは、非常に詳細な業務マニュアル作りなんですが、その中で『人を判断しない』というのが一番目の綱領なんです。

たとえば、借金の督促状でいっぱいの部屋などを見て、この人は借金を払いきれなくて死んだのかと推測したり、なんでそんなに借金したんだとなじる気持ちが起こるかもしれません。でも私たちは、その人がどんな状況にあって、何に苦しんでいたのかを本当に知ることはできません。だから、たやすく判断するのはその人の尊厳を損なうことだと思うんです。

当事者でない私たちが判断をしない、というのを最初の綱領にして、それを基盤にいくつか原則はありますが、チーム内では自由にいろいろ話しあいます」

孤独死や自殺の現場、ごみ屋敷と呼ばれる部屋などを清掃する際、特殊装備を身につけて行う

死についての哲学

キムさんの仕事が注目されるにつれ、特殊清掃の依頼だけでなく、講演などの依頼も増えているそうです。
 
「本が出た後、福祉関係の公務員とのミーティングの要請をかなり多く受けました。いま韓国は、単独世帯が全体の40パーセントで一番多い世帯構造です。ふとしたことで孤立した状況になり、孤立死・孤独死に陥りやすい人が急激に増えるなか、現実的な制度を改善していくためには、私のような現場にいる人の意見が必要だといいます。

例えば、電気料金の未納が続いて電気の供給が断たれたとき、それがその人にとっては致命的になることがある。そういう現場で経験してきた事例などを伝えたりします」
 
私たちの社会では死を忌むべきもの・不吉なものとして遠ざける考えが根深いと感じられます、それについて問うと、キムさんは公教育などで「死についての教育」をするべきだと話しました。
 
「いまは公教育のなかで性教育やジェンダー教育などが増えていて、認識も高まっていますよね。でも死についてのきちんとした教育は、ほとんど存在しません。死について認識し、積極的に受け入れていくと、死にたいという思いよりも、より良く生きたいという思いを持つようになるんです。個人が死についての観念を持てば、生きることにもっと忠実になり、社会の構成員としての自分のあり方、役割を考えるようになると思います。
 
一方で、自分は永遠に死なないかのように錯覚している人もいます。少しでも長生きするために、お金や権力があればあらゆる方法を使って、分かち合うよりも自分を強化しようとする。不正や腐敗はそんな考えから生まれると私は思います。でも、誰もが死という限界を持つ存在であると認識すれば、そんな考えは薄れていくのではないかと思うんです」
 
さらに、タナトロジー(死生学)の必要性についてもこう語ります。
 
「何年かソウル市の孤独死防止対策委の外部委員として活動していたんですが、そこには研究者や行政家、私のような現場の人などが含まれています。その場で私はずっと哲学者を入れるべきだと主張してきたんです。社会のなかで生と死について十分に話し合えるモットーをつくるために、哲学、死生学を学んだ人の意見が必要だと。死を忌避したり排除するのは、私たちには死に対する哲学があまりに足りないからではないでしょうか」
 
インタビューの間じゅう、キムさんは一貫して静かなやさしい口調で語ってくれました。そこには、さまざまな事情で旅立った人が遺した部屋の掃除を通じて、ありのままの生を見つめるキムさんの誠実さが感じられました。
最後にこれからの計画を聞くと、こんな答えが返ってきました。
 
「次に書く本では、愛について書きたいと思っています。私の本を読んでつらい気持ちになった読者もたくさんいるでしょうから、償いの気持ちで。今度は死についての話ではなく、愛の話を書きます」


写真提供:ハードワークス(HardWorks) (사진제공 : 하드웍스)

◎ハードワークス(HardWorks): ホームページ

著者:曺美樹(チョウ・ミス)。東京生まれ。日本で国際交流NGOのスタッフとして活動後、2014年より韓国在住。現在はニュース翻訳、日韓の市民社会活動をつなぐ交流のコーディネートや通訳、平和教育などの活動に携わる傍ら、KBS World Radio 日本語放送「土曜ステーション」のパーソナリティーを担当している。note

発行:IRO(代表・上前万由子)
後援:ソウル特別市青年庁・2021年青年プロジェクト(후원 : 서울특별시 청년청 '2021년 청년프로젝트)

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