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思い出の場所: 言葉を持つのは人間だけ。

週末外出した際に、大阪城のそばにある、
豊國神社ほうこくじんじゃへ立ち寄った。

余談なのだけれど
ずっと、"とよくにじんじゃ"と読むのだろうと
勝手に思っていたが、ほうこくと読むそうだ。
勝手な決めつけはいけないな。

豊臣秀吉公を御祭神とする神社で
主な御利益は出世開運だそうだ。
わたしではなく一緒に行った方が
今年は仕事を一層頑張りたいとのことで
新年のお参りにここへ行こうと思ったらしい。

そこでおみくじを引いたら
心に残る言葉がふたつ書いてあった。

わたしはおみくじや占いを信じたり
その結果に気持ちを左右されることはないし
それなら引かなくて良いのでは?
と思われるかもしれませんが、
普段出会えない言葉に出会えるという
面白さがあって色んな場面で引いています。

話をおみくじにあった心に残る言葉に戻して…

まずひとつ目が
1番上の運勢のすぐ下に書いてある文章の中の
「他人のために尽くすことです。」
という最後の一文だ。
写真には写っていないが、願い事のところにも
「人の世話をすることです。」と書いてあった。

他人ひとに尽くすことや
他人ひとを思いやることは、
巡り巡って自分に返ってくることだと思う。

「尽くす」などと言うと大袈裟に感じるけれど
結局は人に対して思いやりの気持ちを持つことや
親切にすることに他ならない。
家族友人にも、赤の他人にも、だ。


そしてふたつ目がこれ、

「言」言葉もて、人は獣にまさる。
されど正しく話さざれば、獣汝にまさるべし。

この言葉が気になり調べてみると
"サアディーという13世紀イランの詩人、散文家"
の言葉だということがわかりました。
おみくじになぜイランの詩人の言葉が
書かれているのかは置いておいて…笑

言葉を持つのは人間だけ。
言葉を持つということが人と獣を
分けているのだとしたら、
その「言葉」とはどうあるべきか。
どう使われるべきかを人間が問われている
のではないだろうか。

言葉を大切に使えないのであれば
それは人ではなく獣と変わらないのではないか。

日常当たり前に使うこの言葉という存在は
もっと特別なものなのではないか、
そんなふうに感じました。

noteで文章を書くようになったわたしは
それまでよりも言葉に対する意識が
強くなっているのだろうと思います。
だからこそ、この言葉は響くものがありました。

ちなみに裏側にもこんな言葉たちが。



そして、わたしにとって
大阪城公園は思い出の場所のひとつです。

以前住んでいたお家から歩いて約25分ほどで
大阪城公園まで行くことができたのですが
コロナ禍になり緊急事態宣言などが出て
お出かけなどが出来なくなった時期、
気分転換に大阪城までよく歩きました。

大阪城公園の入り口付近まで約25分、
公園の入り口からお城までが約20分、
遠回りしたり寄り道をしたりしていると
大体1時間ほど歩くことになります。

往復2時間歩くことになるんですが
大阪城公園のベンチで休憩したりして
プラス1時間ほどいることが多かったので
トータル3時間ほどの外出が多かったです。

これがコロナ禍でのとても良い気分転換に
なっていて、息が詰まってくるたびに、
何度も行きました。

方角を変えて歩くこともあり、お散歩の
目的地が大阪城公園ではないこともありましたが、
1番よく行ったのが大阪城公園です。
なのでその時も、今回行った豊國神社へ
立ち寄ったことはありました。

今回は人が多くて写真は撮っていないのですが
コロナ禍で人っこ1人いない時に撮った
秀吉公の像の写真が携帯に残っていました。
2020年の4月の写真です。
桜が満開の時期で本当ならば
たくさんの人が大阪城の美しい桜を見に
来ているはずなのになぁ、と思いながら
ゆっくり桜を眺めていたことを思い出します。

桜の時期だったので、奥にちょうど満開の桜が見える。
ほとんど人のいない広大な公園の中は
マスクを外して深呼吸できる大切な場所でした。
徒歩圏内に住む息が詰まった人たちが散歩しているくらいで
犬のお散歩をしている方も多かったです。
ワンちゃんはお散歩しないとストレス溜まりますもんね。


そうそう、
お城へ通じる道へ行ったらちらほら人がいて、
屋台が2〜3軒出ていたのかな。
わらび餅を買ってベンチに座って
桜を見ながら食べたのを思い出しました。笑

2020年の4月、この時はある日突然
コロナという意味のわからない疫病が突然流行り、
これからどうなるんだろうと
世界中の人たちが漠然とした大きな不安に包まれていて
みんながそのストレスを日々抱えていた。
この時くらいに当時の仕事を辞めることを決めて
6月頭に辞めたのだった。


なんかというか、
コロナ禍にこういう行動を取っていたことは
わたしらしいことと言える上かもしれない。

感じたことのない種類の不安に加え
ストレスが限界に来ていて体調もとても悪かった、
本当にどうしようと毎日鬱々と考えていた。
だからこそ、こうしてお日様の下で
今後のことを考えようとしていたのだろうと思う。
家の中で鬱々と、ではなくて、
お日様の下でというのが大切なところだ。


そんなコロナ禍すぐのことを思い出しながら
久しぶりに大阪城公園内を歩いた。
この桜の時期の大阪城公園や大阪城の
写真が沢山あると思うので、
春前には「桜の季節の美しい大阪城」を
記事にしたいと思っている。

今回は豊国神社に立ち寄っただけだったので、
今度行く時はもっとゆっくり
久しぶりに大阪城公園を満喫したいな。

思い出話を書いていたら
思いの外長い記事になってしまいました。
ここまでお付き合いくださったみなさん
ありがとうございます。



それでは今日はこの辺で。


最後まで読んでくださってありがとう。

また気が向いたら、来てくださいね。





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