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#225 塾と学校の違いを考えてみよう

塾と学校の違いとは何か?

私が学生の時分、教員採用試験の面接対策でよく聞かれた質問です。

当時の私は

塾は教科・科目しか教えないが、学校は様々な教育活動があって云々...というような回答をしていたような。

塾というのは「資格」や「就職」のために存在します。
「大学」「学内成績」などの学歴を得たり、「医学部」・「歯学部」といったある種の就職試験をクリアをするためにあります。

高校受験や大学受験というのは、本質的には「学び」とは関係ない、教育イベント(あるいは教育コンテンツ)だと考えることができます。

入試がなくとも「学ぶ」ことはできますからね。

学校教育における「学び」は、本来教育コンテンツとは関係のないところにあります。極端なことを言えば、日本の制度が変わって全ての受験がなくなったとしても「学校」という場は残り続けるでしょう。

一方、塾は上記の教育イベント(コンテンツ)に紐づいた資本主義的な営利会社です。彼らは、理念はともかくとして、大学受験を始めとした日本における大型教育イベントにおける児童・生徒、あるいは保護者の欲求を満たす部分をお金に変えていますね。

ですから、もし仮に世の中の受験などが全てなくなったら、多くの塾は潰れてしまうでしょう。

どちらが良い悪いの話ではなく、そもそも塾と学校では存在意義が全く違うのです。

しかし、「資本主義」というのはなかなか厄介。

大学受験やそれに類似した巨大教育資本コンテンツの影響を学校も少なからず影響を受けます。それが結果として児童・生徒の学力に繋がることもある一方、良からぬ「お付き合い」を促すこともあるでしょう。

受験大国である韓国で現職の高校教師約130人が大手予備校からこの10年間で5000万ウォン(約550万円)以上の金銭を受け取っていたことが韓国国税庁の税務調査で明らかになったというニュースが。

塾と学校は、本質的な存在意義は違えども、児童・生徒の教科・科目の伸ばすという意味においては同じ方向を向いています。

様々な「学び」が彼らの未来を豊かにするという観点から見れば、両者が「教育」という媒体を通じて協力体制を築くことは非常に価値があると言えます。

一方、学力や受験が異常なほどに資本主義と結びつくと、ニュースであるような事例が生まれてしまいます。

学校という場の存在意義をしっかりと認識することが大切でしょう。


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