#403 家庭環境と見えないレイヤー
私の住んでいる街には、阪神淡路大震災のあと、一時期、被災者用の仮設住宅があり、小学校低学年の私のクラスにも仮設住宅からの転校生がやってきました。
一度、その転校生の家(仮設住宅)に遊びに行った記憶があります。そこで私は彼からビールを出され、美味しいから飲めよと勧められました。
思わず私は
「いや、流石にビールは飲んだらあかんやろ」と言ったところ、「そんなん気にしたことないわ」と答え、彼は美味しそうにビール缶を味わっていました。
当時の私にとって、それはなかなか衝撃的な体験。自宅に帰ってその話をしたところ、その友達と遊んではいけないと言われてしまいました。
彼は、程なくして地元に帰り、その後、全く連絡をとっていません。今の彼がどのような人生を送っているのかは想像するしかありませんが、おそらく彼の成長過程は私とは大きく異なるものであるだろうということは容易に想像できます。
人はどのような環境で生まれ育つのかを選ぶことはできない。だからこそ、公教育が大事になってくる。
公教育は自分ではコントロールできない様々な要素を越えて、学びの大切さを伝え、その大切さを実感する過程で、自分の能力を開花させる努力を支える場として機能をするべきなのです。