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マイノリティへの同情は救いじゃない

「可哀想だから助けてあげよう」

「マイノリティはこんなに困っているのだから、何かしてあげなくては」

こう思ったことがある人は多いのではないだろうか。一見まともで、道徳的な意見にも見える。けれど、マイノリティに対して、同情することは差別問題を解決することにはならない。寧ろ、それは差別の構造を維持するのに好都合だ。


マイノリティの上には必ずマジョリティがいる

差別や不平等について考えるとき、人は「弱者」にばかり目を向けてしまいがちで、どのようにマイノリティに働きかけたら今の不平等がなくなるのかと一方向に考える傾向が強い。しかしながら、実際には弱者の上には弱者を搾取する立場の者がいて、その強い立場のものが変わらなければ、弱者の立場は変わることがない。マジョリティ側がマジョリティの特権に気が付いて、自分を顧みなければ、差別や不平等はなくならないのだ。

自身がマジョリティであり、それがどのような力を持っているのかという視点を欠いて行動をすれば、それは問題を解決するのではなく、マイノリティをさらにマイノリティ化させるだけだろう。マイノリティは、支援の対象となることで、さらに社会的弱者となる。

このように、マイノリティに働きかけることだけを考えるならば、マジョリティは、「特権をもたない他者に安全な場所から素朴に同情することで、そこでは自分自身の立場や世界観を問い直さなくてもすむ」(リー、viii) 。つまり、マイノリティへの同情は、問題の根本的な解決へとはならず、マジョリティ側が自身の問題から目を背けることを許容するに過ぎない。


自分は関係ない?

ここまで読んで、「自分は」関係ないと思った方も多いのではないだろうか。マジョリティ側が変わらないといけないと言われても、たとえ自分がそのマジョリティだとしても、自分は、マイノリティに嫌なことも言わないし、何もしていないから無関係だと。

けれど、差別問題に関して無関係な人はいない。私たち皆が関係しているのだ。


この考え方を示すのに、動く歩道が比喩として使われる。日本語のサイトが見つからなかったため、英語の記事ではあるが気になる方は読んでみてほしい。


ここでは、歩道の進行方向が差別主義とされ、その流れに逆らう方向が反差別主義になる。イメージが湧かない人は、上記の二つ目の記事に図があるので、そちらを参照してもらえたらと思う。

積極的な差別主義者、つまり皆が差別主義者と聞いてイメージするようなマイノリティに対して敵意や悪意を向ける人は、動く歩道を走って進む人。

反差別主義者、つまり差別に反対し、行動を起こしてる人は、動く歩道の流れに逆らって走る人。

そして、何もしない「良い人」は歩道の上に立っているだけの人で表され、気づかぬうちに動く歩道の流れに乗って、差別主義者の方向へ進んでいき、受け身な差別主義者となる。


先程、

差別問題に関して無関係な人はいない。私たち皆が関係しているのだ。

と書いた。というのも、「支配的イデオロギーは制度的慣行や一人ひとりの意識に埋め込まれているため、抑圧を維持するには『普通』にふるまい、現状に合わせて行動しさえすればよい」(グッドマン、26)からだ。つまり、不平等を維持しようとするのなら、私たちはいつものように生活し、差別問題に対して無関心でいるだけでよい。なにも、暴力をふるったり、排除したりする必要はないのだ。


世間の「普通」はマジョリティが規範

マジョリティが普通にふるまえば、差別が維持されるのも、世間の「普通」はマジョリティが規範であるからだ。だからこそ、たいていのマジョリティは自分のマジョリティ性には無自覚であるし、そうであることが許容されてしまう。

例えば、日本人であることはどんな意味があるのか?

異性愛者であること、両親のいる家庭に育つこと、大学を卒業していること、シスジェンダーであること、健康であること。もし、これらの項目に当てはまるのなら、自分にとってどんな意味があるのか考えたことがあるだろうか。

マジョリティは、「特権集団としてのアイデンティティについて考えていない、というのが一般的である」(グッドマン、32)。というのも、先程述べたように、マジョリティは、自分たちの特性が社会の規範になっていて、何も考えずとも日々の生活の中で、肯定され続けるからだ。だからこそ、自分のアイデンティティについて深く考えなくとも生きていけるのだ。


まとめ

マイノリティに同情して、救いたいと思うこと自体は悪いことではない。けれど、「弱者」にばかり目を向けても、差別の根本的な解決には繋がらないということを知っておいてほしい。先程、

しかしながら、実際には弱者の上には弱者を搾取する立場の者がいて、その強い立場のものが変わらなければ、弱者の立場は変わることがない。マジョリティ側がマジョリティの特権に気が付いて、自分を顧みなければ、差別や不平等はなくならないのだ。

と述べた。どんなにマイノリティへ救いの手を差し伸べても、マジョリティ側が変わらなければ、それは水槽にいる魚へ餌をあげ続けているのと同じだ。マジョリティ側が変わらなければ、マイノリティはその水槽から出ることはできない。


この記事を読んでいる同志の皆さん、

もし、マイノリティを救いたいのなら、変わるのはマイノリティではなく、救いたいと思っているあなたの方です。





引用文献

グッドマン、ダイアン・J 『真のダイバーシティをめざして―特権に無自覚なマジョリティのための社会的公正教育』 出口真紀子監訳、東京、上智大学、2017年。

リー、アン・ベル シリーズ編者の序文 『真のダイバーシティをめざして―特権に無自覚なマジョリティのための社会的公正教育』 グッドマン、ダイアン・J、出口真紀子監訳、東京、上智大学、2017年、vii-ix頁。


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