【雑記】解釈学の前に文献学を。
いくつかの論考で人文社と数理工の学問融合を図る上で、解釈学的な理解ということを述べてきた。これはソシュールの記号論に端を発し、エーコなどのラディカルな記号論も経つつ、大きな潮流としては文化記号論というものがその可能性を暗示していた。最も暗示していたというくらいだから、現在となってはメインストリームになった感覚を持たない。ポスト構造主義が大きく台頭し、記号で語るというのはあまり重要視されていないように思う。それよりも大きな関心ごとはチョムスキーだったり、短期的なテクノロジーの話