【雑記】大きな發明と小さな發明

我々は發明をし続ける。まだ見ぬ何かを見るために。
電球や蒸気機関、コンピュータなど何か個体的なものを發明することを「小さな發明」という。

そしてこの小さな發明は他の小さな發明と関係しあって、新しい發明を生み出す。ちょうど数が發明されて、数学ができ、物理が可能になり、工学が誕生したように、發明は異なる發明の非連続的な連続によって成立する。
これら小さな發明がまだ見ぬ何か大きなものを發明しようとしていることを「大きな發明」という。

發明とはこれまでにない新しいものである。小さな發明は僕らの認識の網目において大きな光を生み出す。一方でこれらの光がたくさんが集まって大きな光となり大きな像を生み出そうとする。これが大きな發明である。それは何であるかわからないけど、今までとかこれまでとは違う、何かになろうとする力なのである。

我々が向かっている大きな發明の絶対性から流出したものが小さな發明へと姿を現す。逆に小さな發明はこれからの大きな發明を推進する。大きな發明こそ、次の時代を象徴するパラダイムの一側面なのだ。

我々が変わり続けることを望む限り、發明は永遠の営みとなって自己を開示し続けるだろう。

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