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発明論

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発明とは何か。発明の意義を考察する。
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【雑記】私と結合術:バベルの図書館と華厳経、あるいはアルス・コンビナトリア

淡い記憶に沈みゆく中で微かに煌めくイマージュというものは誰にでもある。大学の授業も同様にあれだけの時間を過ごしておいて印象的なものというのはごくわずかだ。だがそのごく一部の印象的なことが後々に大きな問いかけとなって現れることがある。 SFC入学したての秋に受けた「デザイン言語実践」という授業で私はそのような体験をした。デザイン言語というのはデザインを言語と同じように身体的に扱おうではないかという総合大学ではじめてデザインを扱ったSFCにおける学問的ムーブメントのひとつつであ

【雑記】科学と数学を未分化としての文化へと持ち出す

普通は数学や科学というものの誕生を語るときは、哲学が持ち出される。すなわち、近代科学以前というのは古代ギリシャ哲学のアルケーに代表される自然哲学であり、また数学における思索というのもピタゴラス学派や論理学と密接した哲学的営みであった。 だが私はこれだけではその本質が足りないと思う。真に科学と数学を見つめ直すには、それを風土-文化的次元にまで落とし込まないといけないと思う。すなわち、科学と数学は文化が産み落としたという主張だ。プロテスタンティズムに引っ掛けたマートンテーゼやピ

【雑記】大きな發明と小さな發明

我々は發明をし続ける。まだ見ぬ何かを見るために。 電球や蒸気機関、コンピュータなど何か個体的なものを發明することを「小さな發明」という。 そしてこの小さな發明は他の小さな發明と関係しあって、新しい發明を生み出す。ちょうど数が發明されて、数学ができ、物理が可能になり、工学が誕生したように、發明は異なる發明の非連続的な連続によって成立する。 これら小さな發明がまだ見ぬ何か大きなものを發明しようとしていることを「大きな發明」という。 發明とはこれまでにない新しいものである。小さ

【雑記】普遍的人間としての發明家とその可能性

2024年のはじめに書いたこの文章を補足する。 ここで私はブルクハルトのルネサンス的人物像である万能人(あるいは普遍的人間)を發明家モデルの元型として位置付けた。それは専門分化に対抗する、パラダイムの創出者としての発明家像である。その代表例として、レオナルド・ダ・ヴィンチについて科学史家・下村寅太郎を例に取り上げた。 ここにさらに付け加えなくてはならない。發明家モデルの拡張性を下村寅太郎への井筒俊彦の推薦文を引用して展開していこう。 万能人はこうして完璧な人、全人へと拡

【雑記】「空想が現実なる世界」と社会主義

「空想から現実へ ―マルクス,レーニン,スターリン,毛沢東, 鄧小平に見られる社会主義像の変遷―」 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjce/55/2/55_2_85/_pdf いわゆる空想的社会主義から脈々と続く一連の議論である。詳細は資料に譲る。 多角的に議論される対象だとは思うが、私がはじめて知ったのはエンゲルスの『空想より科学へ』だった。 オーエン、フーリエ、サン=シモンがこのような系譜の上に議論できることを面白く思っ

【雑記】世界一の発明家になるには。

発明家とは何かというのは既に上記に示している。しかし「なるには」という問題は非常に難しい。別に世界に発明家の機関があるわけではないから(厳密に言えば発明家殿堂というのがアメリカにある、しかしこれは欧米的な発明観に過ぎない)、結局言ったもん勝ちみたいなところはある。 象徴あるいは影響力、発明家という英雄譚世界一の発明家って聞けば基本的にエジソンを思い起こすだろう。私は近現代的発明家像というのは明らかにエジソンによるものだと思っている。これを実証的に研究するのは至難の業だが、日

【雑記】想像即創造の思想基盤

イマージュとかイマジネールと呼ばれるものとしてフランス圏では研究されてきた。その卓越者を想像力的創造派という。 より広く知られている例が以下のもの。

【雑記】発明家とは何か。

発明家とは職業ではない。生き方である。 すでにある既存のものから脱し、自分が求めるものを創造する。これは既存ではないのだから発明と呼ばれる行為に該当する。 すなわち発明とはあらゆる既存の枠組みから脱した自由な存在に他ならないのだ。 そうなると発明家に必要な能力が見えてくる。 ひとつはあらゆるものを創り出す能力。これは神に該当する能力でもあった。古代では人間は自然の模倣しかできないと考えられてきた。それは近代において理論化され、現代では新結合と呼ばれるものへと至る。しか

ご支援よろしくお願いします。

「サポート」へのご支援をどうぞよろしくお願います。 費用は本や素材に当て、さらなる発明研究の一助にします。 何卒よろしくお願いします。

発明論入門の基礎

※この記事は2022年7月3日に開催した「退屈な未来に君の空想を ー発明ワークショップー<中高生限定>」の付録教材の内容です。  ここで展開される発明というものが何を指すのか、またどのようなものなのかを簡単に解説します。ここで紹介されている理論を自分なりの言葉や行動でたくさんの人に伝えていただければ幸いです。 発明って何? 現在の発明の定義は主に特許制度などの知的財産の保護の対象を指しますが、発明という行為はそれに限らず様々なところで成されてきました。例えば現状の定義だと

【なぜ発明?】ただ「なぜ」を突き詰めたいだけだった。

 なぜ発明論を構築しようと考えたのか。それは既存のシステム(ルール)への自覚に由来する。 1. 昇華された時  2020年のパンデミックは私に「科学とは何か」を問わせてきた。失われる人間性、社会の不安定性。ただ「なぜなのか?」を問うには科学では狭過ぎた。その時になってようやく、根深く複雑な社会問題に気付かされた。  そんな中出会ったのがまず技術論と科学哲学であった。技術への問いかけは理性への過信を明らかにし、技術それ自体の凶暴性を露わにした。科学哲学は科学の枠組みを提示

願文 空想が現実になる世界の実現

天台宗を開いた伝教大師最澄は延暦六年(787)満20歳に『願文』を著した。これは比叡山に入り、独り修行生活をおこなった最澄が自己のありようを真摯に見つめ、深い考察のもとに純粋な理想をかかげた、格調高い文章である。 今20歳を終えようとしている私が、最澄ほどの誓願と文章を書けるとは思わない(それほど格調高い内容である)。しかし彼が『願文』を著したことで、その思想と修行の様子が桓武天皇にまで達し、宮中の役職に任命され、短期留学と共に空海と出会い、最先端の天台教学を学び、806年