【雑記】科学と数学を未分化としての文化へと持ち出す

普通は数学や科学というものの誕生を語るときは、哲学が持ち出される。すなわち、近代科学以前というのは古代ギリシャ哲学のアルケーに代表される自然哲学であり、また数学における思索というのもピタゴラス学派や論理学と密接した哲学的営みであった。

だが私はこれだけではその本質が足りないと思う。真に科学と数学を見つめ直すには、それを風土-文化的次元にまで落とし込まないといけないと思う。すなわち、科学と数学は文化が産み落としたという主張だ。プロテスタンティズムに引っ掛けたマートンテーゼやピタパンの事例を見るに、また科学人類学・科学社会学の成果を重ね合わせることで、科学・数学が文化的営みとして現象する。その手がかりとしての主張を少しばかりまとめたいと思う。

 反映論者は、この「数学」を現実から抽象された世界と見ようとする。それにしても、いったん抽象されてしまえば、それ自体世界が動きだすと簡単にいえるものだろうか。自立した<世界>が作られ、自立した機能が発生しさえすれば、それが<数学の世界>だといえなくはない。数学にはそうした<自立>に依拠する性格がなくはないし、それがしばしば前提とされがちである。
 しかし、この<自立>の過程そのものが人間的なものであり、その過程はある意味では常に未完成でありうる。個人にとっても、歴史にとっても。
 この点では、<数学>は人間の作る<文化>としてあり、それが数学ラシキモノの影を背負っている。考えようによっては、この人間の、この歴史に固有なものとしてしか、それはありえない。「2たす2が4にならない」というのを、怨念の言葉としてではなく、この影の領域を語っていると考えよう。

 文字を使った代数にしても、極限を使った解析にしても、座標を使った幾何にしても、この16世紀の<小数の世界>の成立から始まるとさえいえる。それは、数学だけではなく、近代人の発想を規定してさえいる。
 この<近代>が問題にされるとき、これが「数量化」として批判されることがある。それが、一面としては、この<構図>そのものであるが、そうかといって、この構図以前に戻ることは、いまさらできない。それでも、この構図は近代ヨーロッパという<文化>に固有のものであることは、思い出されてよいことである。

森毅『数学の現象学』

これはアラビア数学(フィボナッチ数)やインド数学(ゼロの發明)を外観するだけでもよくわかる。日本の和算もそうだ。最近になって『数学の世界史』という本も出たが、これらのいわば焼き直しだとも言える。他にも『数学と文化』という本もある。私としては森毅の著書で十分だと思うが。

 大げさついでに、生命誌の狙いーというより願いーをあげておきます。学問と日常、つまり知識と体験の一体化です。なにより人間自身が生きものであり、他の生物は人類誕生以来つき合ってきた仲間ですから、日常の体験の中で知ったことがたくさんあります。直観でわかることもある。他の生きものの生き方から学ぶことも多い。それとDNAを基本にした生命システムの学問的理解とは矛盾せず、むしろ補い合い、かさなり合うはずです。こうして生まれるのが知恵でしょう。生命誌は、専門家と素人、研究者と生活者などの区別はなしに、誰もが当事者です。あなたも生命誌の当事者と自覚していただきたいのです。
 それは生命誌が文化として社会に存在するということでもあります。音楽や美術・文学が、もちろん専門家はいるけれど、それを誰もが楽しみ、自らもそれに参加しようとするものとして存在するのと同じように。科学はこれまでそうではなかった。これは悲しいことです。科学そのものが文化として存在できるようにしたい。それも"科学"から"誌"への移行に込めた気持ちです。

中村桂子『生命誌とは何か』

ここに内容紹介文も引用したい。

私とはなにか、私たちはどこからきてどこへ行くのか――。この根源的な問いにたいし、分析と還元を旗印とする科学、とりわけ「生命科学」は、有効に答えてきただろうか。「生命誌」は、科学によって得られる知識を大切にしながら、生き物すべての歴史と関係を知り、生命の歴史物語を読み取る作業である。博物学や進化論、DNA、ゲノム、クローン技術など、人類の「生命への関心」を歴史的に整理し、科学を文化としてとらえる。

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000211720

この視点が非常に大事である。科学を文化として見る取り組みが欠けているがゆえに、応用科学、すなわち便利な科学が希求されるようになった。近代科学論にフォーカスした科学史を見れば明白だが科学は明らかに文化である。それは娯楽としての文化ではなく、文化的営みの一部として文化であった。

だから、科学は楽しまれていた。マイケル・ファラデーの一場面である。

James Gillray

 さて、それを遡る89年前の1812年、一人の若い製本職人が王立研究所の大講堂で、大勢の観客にまじり、電気分解による元素の発見で知られる花形教授ハンフリー・デイヴィーの公開講座を、ノートを取りながら、熱心に聞き入っていた。その若者こそ、マイケル・ファラデーその人である。
 科学知識の普及を設立趣旨のひとつに掲げていた王立研究所は、啓蒙活動の一環として、一般の人々を対象とした実験の実演にも力を入れていた、それを目的として、まるでオペラ演劇かコンサートホールのような大講堂が造られていた。いま、「大講堂」と訳したが、そこは"Lecture Theatre"と呼ばれており、科学を楽しむ"劇場"であったのである。
 演壇はデイヴィーが、そして後にファラデーが立った舞台であり、実験を通し科学の面白さがアピールされた。現代に比べ、娯楽の種類がはるかに乏しかった当時、科学のデモンストレーションが演劇や音楽などと同様、ショートしての要素も強かったのである。そして、そこは上流階級の人々が着飾って集う社交の場でもあった。まさしく"Theatre"そのものである。

小山慶太『光と電磁気』
Henry Jamyn Brooks

そして同様に科学的営みが文化的営み、それも強い文化的営み、信仰心であったのは間違いない。ニュートンはもちろんであり、デカルトはそれを叙述した(仕立て上げるしかなかった)のだが、分けられるものではない。こと近代学の源泉であるイスラムにおいてそうなのだ。

伊藤 科学史ではそういうことになっているのですが、近代科学が行き詰まった時点でもう一度考え直してみると、イスラーム科学のあり方をポジティブに考えてよい面もあると思われますので、そのことに触れましょう。イスラーム科学の第一の特質として、その中心にイスラーム思想がある。このイスラーム思想というのは科学研究と根本的に相反するものではないと思うのです。
 それどこか、『コーラン』でも、自然には神を知るための多くの手がかりがあるというふうに考えられていて、「地上には信ずるものの徴(アーヤート)がある」という言葉がある。その徴を明らかにするために自然研究することはむしろ奨励されている。だからイスラーム思想は決して科学を否定しない
 また、これも有名な言葉ですが「イルム(科学、知識)はすべてのモスレムの男女の義務である」というハディース(ムハンマドが語ったとされる伝承)があります。ですからイスラームの科学はイスラームの信仰と矛盾しない。とくに自然を探求することを通じて、神と一体になるという「グノーシス」の思想はイスラーム科学を特徴づけているもので、そこから錬金術とか占星術などの秘教科学が非常にさかんになったわけです。
 この「グノーシス」という神秘主義的認識は、西欧ではどうも異端になり、それで抑圧されるのですが、イスラームではむしろそれがいわば正統になるといってよい。ここにイスラーム的知と西欧的知に大きな違いが出てくる一つの根源があるのではないかと思うのです。イスラームと西欧を科学について比べると、両方ともギリシャ思想の遺産は受け継いでおり、この点では区別がないばかりかイスラームのほうが一歩先輩ですね。また実験的方法ということも西欧の近代科学はいうのですが、これもイブヌ・ル・ハイサム(11世紀の有名なアラビアの科学者)なんかがさかんにやっていたことだし、この点でも区別をつけるのはむずかしい。それから一神教ということをいっても、両方とも一神教なのですね。
 それにもかかわらず、一つはいわゆる今日の近代科学的な知の方向へいったし、他はもう一つの知の方向へ進んでゆく。ここのところを問いつめていってどこで分かれるのかと考えてみると、近代西欧の科学にはデカルトの思想があった。このデカルトが世界を一様な「延長」に還元し、それをすべて幾何学的に処理してゆく。そしていっさいの内的質というものを全部とり除きましたね。そこから西欧の科学的合理主義が出てきて、すべての内面性を除去していくわけです。結局、デカルト的知性、これがあるかないかで「分かれ道」になったように思うのです。
 イスラームには、デカルトの革命がなかった。デカルト的な世界の機械論化がなかった。このデカルト的機械論は今日からみると、必ずしもいいことばかりだと思いません。ある意味でデカルト的知性は、いまやひとつの限界に突き当たっているともいえますから。

井筒俊彦『叡智の台座』「伊東俊太郎 イスラーム文明の現代的意義」

異端とされたグノーシスの思想は20世紀においてアンリ・コルバン含む、イスラーム学者によって再発見されたと私は見ている。

Twitter で調べているときにアンリ・コルバンの「想像的世界」(ムンドゥス・イマギナリス)が「詩と芸術と科学の一体化した中間領域だ」と主張してアレクサンドル・コイレのヤコーブ・ベーメの挿絵が使われているなどがあった。

よは、アカデミアを一歩離れると主張が曖昧であるということである。それでもアンリ・コルバンの想像界をはじめ、錬金術などをみるとパラケルススなどの近代科学の源流としての肖像が現れる。我々はこの強い文化的側面(信仰)を見逃すことはできない。

宗教というのは科学的な理性的なものを阻害してきたと考えられてきた。それは魔女裁判やガリレオの異端審問からもよくわかる。一方でイスラームはそれを推し進める原動力となり得たのだ(しかし後に失速する、微積を取り入れなかったからという説もある)。

このようにして、科学や数学は文化の側面で捉えることが可能となり、同時に多元的な文化に基づいた新しい科学の創出も可能になるのではないかと考えられる(例えば東洋科学)。

ちなみに松岡正剛の千夜千冊でもそのためのヒントが挙げられている

おそらくわれわれの思索や行為が数学化する前、あるいは哲学化する前に、意識や心がそれぞれ(花と虫)に向かわざるをえなかった事情があったにちがいない。その事情をわれわれの営みに突きとめるのは、脳科学や認知科学を総動員させる必要があるほど微妙な事情なので、容易には「数学と哲学が分化する前」を言い当てるのは難しいだろうけれど、それでも、そろそろそこへ向かうべきだろう。二つの先駆例を紹介しておく。

https://1000ya.isis.ne.jp/1836.html

PS.
そもそも自然哲学と自然科学の分化、芸術家から科学者の誕生、日本における究理学を見れば、分化的なものは十分想定できる。それが文化の次元なんだろう。グノーシスにおける科学と人文の並列はもう少し詳しく調べたい(例えばハンス・ヨナス)。特にイスラームを中心としてである。

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