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【小説】放課後、はじめての青春(2400字ショートショート)

 ごつり。
 父親の右拳が脳天に当たり、小学3年生の一平は思わず顔をしかめた。
「痛ってえ」
「これぐらいで痛がってたら男じゃねえ」
 父親にどやされ、一平は何も言い返せない。
「悪いことしたら、全部返ってくんだ」
 そう言う父親の頭の上で、切れかかった保健室の電灯がチカチカ点滅している。


 一平が幼なじみの歩美に呼び出されて体育館裏に行ったのは、今日の放課後のことである。
 もしかして、このシチュエーションって。
 ある種の期待と不安でないまぜになりながら、一平は急いで向かっていた。
 運動会を明日に控えた校庭では、教師達が椅子を並べたりテントを立てたりしているのが見える。
 少し早歩きをすると、去年の冬のマラソン大会の思い出が蘇ってきた。

「いっぺー! がんばってー!」
 校舎の窓から身を乗り出して叫んでいた歩美。
 一平は気づかないふりをしてゴールを目指した。
「いけるよー! いっぺー!」
 しかし応援むなしく、ゴール寸前で抜かされてしまい、惜しくも2位に終わった。
 ゴールしたあと、一平は校舎を振り返ることができなかった。
 ……今年こそ優勝してやる。
 体育館裏に向かう足先に自然と力が入る。

 木々が生い茂った体育館裏。
 向かう一平のずっと先で、歩美の姿が木の陰に見え隠れしている。
 大声で呼ぶのが恥ずかしく、ある程度近づいてから名前を呼ぼうとした。
「あゆ──」
 そのときだった。
 歩美の前に誰かいるのが見えた。
 一平は目を細めて見た。
 クラスメイトの蓮太郎だ。
 サッカークラブに入っており、肌は常に焦茶色に焼けている。
 クラスメイトの予期せぬ登場に、一平の頭にあったある種の期待が一瞬にして吹き飛ぶ。
 なんで蓮太郎がいるんだ。期待がどこかへいってしまった脳内の空間に、大きなクエスチョンマークが現れる。
 蓮太郎が何か強い口調で言っているようだが、遠くて聞き取れない。
 バレないように少しずつ近づく。
 先に歩美の声が聞こえた。
「……悪いけど、それはできないよ」
「なんでだよ」
「できないの」
 蓮太郎が何かをお願いし、歩美がそれを断っているような会話だ。
 ──これって、もしかして。
 確信があったわけではない。
 でも、一平はこの状況が何を示しているのか勘付いた。
 蓮太郎が歩美に告白しているのだ。
「……ん?」
 だとしたらなぜ、自分が呼ばれたのだろう。
 一平は今日、机の中に歩美からのメモが入っていたので、ここにやってきたのだ。
 そして、少し浮かれてノコノコやってきたら、なぜか蓮太郎が歩美に告白している。
「……あ」
 その瞬間。
 一平の頭の中で、電球がカチリと光った。
 目の前では、また強い口調で蓮太郎が何か言い、歩美が激しく首を左右に振っている。
 この状況で呼び出された男がやることなど、1つしかない。
「よし」
 決心した一平は、駆け出した。
 蓮太郎に向かって。
 歩美がどんな顔をしているかなど、見ている余裕はなかった。
 何か自分が大声を出しながら蓮太郎の体にぶつかっていく映像が、脳内を支配した。
 歩美を助ける。
「……!」
「危ないっ!」
 誰かが短く叫ぶ声がした。

 蓮太郎の怪我は額の擦り傷で済んだ。
 だが、一平はもちろん先生からこっぴどく叱られ、両方の保護者も呼び出される事態になった。
 保健室の空気は最悪だった。
 歩美の表情がどこか嬉しそうに見えたことだけが、一平の救いだ。
「本当にすみませんでした」
 一平の父親が蓮太郎の母親に平謝りし、どうにか許してもらって、ようやく帰宅して今に至る。
 一平は、とんだ勘違いをしていたのだ。
 蓮太郎が歩美にしていたのは、告白ではなかった。
 明日の運動会のクラスリレーで、歩美にわざとコケるように頼んでいたのだという。

 なぜそんな奇妙なお願いをしたのか。
 蓮太郎の説明はこうである。
 クラスリレーは、各クラスの男女全員が交互に走ることになっている。
 蓮太郎は、歩美のすぐ次に走る順番だった。ところが、昨日のサッカーの自主練で足を捻り、走ることができなくなってしまった。
 しかし、親にもクラスメイトにもチームメイトにも、足を捻ったことは言わなかった。
 今週末はサッカーの大会がある。
 足が万全でないことがバレてしまうと、メンバーを外される可能性があるからだ。
 なんとかバレずに大会当日を迎えたかった。でも、リレーで走れなかったらバレてしまう。そこで蓮太郎は考えた。
 もしリレーで直前の走者がコケてしまい、クラスが棄権することになったら、蓮太郎は走らなくて済み、足の怪我もバレない。
 そこで歩美をこっそり呼び出し、コケてくれるように必死にお願いしていたというわけだった。
 しかし歩美は断って、むしろ蓮太郎に正直に怪我を打ち明けるように説得していたという。
 一平がやってきたのは、ちょうどそんな場面だったのである。
 ──待てよ。
 引っかかったことがあった。
 蓮太郎が歩美を呼んだのは、告白ではなくリレーのお願いをするため。
 だったらなぜ、歩美は一平を呼んだのか。
「……」
 もしかしたら、とんだ勘違いの発端は歩美だったのかもしれない。
 保健室で真相を聞こうとしたが、なんと言っていいのか分からず、結局聞けなかった。
 ただ、歩美の頬が少し赤くなっている気がした。
 帰り際、歩美と一平の父親が何かこっそり話していたが、あれはなんだったのだろう。


 食卓。
 一平は、ビールの缶を開けた父親を見ていた。
 いつになくご機嫌だ。
 そのままじっと顔を見ていると、目が合った。
「明日、楽しみだなあ」
 笑う父親。 
 明日、運動会を見に来てくれるのだ。
「リレー優勝するから期待してて」
 大見えを切ってみる。
 すると、父親は満足げに何度も頷いた。
 腰を上げて一平の方へ近づいてくる。
「そうだ、一平」
「なに?」
「良いことをしても、全部返ってくんだ」
 父親が、右の掌を優しく一平の頭へ乗せる。

《終》


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