#読書の秋2022
街の小さな映画館が超絶な挑戦をしてしまった話~映画『こころの通訳者たち』~
いわゆる「健常者」と云われる人たちからすれば、単純に「健常者」と「障がい者」とに二分されているように思ってしまいがちだが、「健常者」が様々であるように「障がい者」も様々であり、それらは想像以上に分断され、相互のコミュニケーションに高い壁がある。
近年、障がい者と云われる方々も気軽に映画が楽しめるような取り組みが進んでいる。
客席の車椅子スペースは一般的になりつつあるが、それ以外にも、聴覚障がい者
"ムショ"のコミュニケーションから"シャバ"を考える~映画『プリズン・サークル』~
以前の拙稿で2021年にスクリーンで観た映画をリストアップした。
その映画のほとんどについて、習作という意識で頑張って何かを書いたが、書かなかった映画もある(別に誰かに頼まれた訳でも、それによって収入を得ている訳でもないので、書かないことについて何とも思わない)。
その中の一つが『プリズン・サークル』(坂上香監督、2017年)だ。
この映画については「書かなかった」のではなく「書けなかった」。
勝手に虚像を仕立て上げ使い捨てる大衆の姿は今も変わらない~代島治彦著『きみが死んだあとで』~
2020年に拙稿『「あのころ、早稲田で」中野翠の闘争』で、中野翠著『あのころ、早稲田で』(文春文庫、2020年)を引用しながら、著者が早稲田大学在学時の1960年代後半の学生運動を考えた。
その後、『あのころ、早稲田で』で中野翠も言及している、1967年10月8日の「第一次羽田闘争」で亡くなった山崎博昭さんについてのドキュメンタリー映画『きみが死んだあとで』(代島治彦監督、2021年)が公開され、
「映画配給」という仕事
映画の冒頭、本編が始まる前に、配給会社のロゴ映像が流れる(「前づけ」と言うそうだ)。
たとえば、「ライオンの雄たけび」「自由の女神のようなシンボル」、こう書いただけで映像が浮かび上がってくる。
映画ファンならずとも「配給会社」という言葉は知っていると思うが、しかし、それがどういう仕事を担っているかは、映画ファンでもあまり知らないのではないだろうか。
1987年に洋画配給会社を興した高野てるみ氏は
カレーライスをイチから作る
死語になった言葉に「かまとと」というものがある。
goo辞書によると「知っているくせに知らないふりをして、上品ぶったりうぶを装ったりすること。また、その人」とあり、「蒲鉾 は魚 か、と尋ねたことに由来するという」と補足されている。
死語になった理由はきっと「触れてはいけないタブー」になったからだ。
現代に生きる我々は、スーパーでパックに詰められた「刺身」や「切り身」の魚や肉を買い、コロナの影響
映画「音響」は芝居をする
以前、映画『ようこそ映画音響の世界へ』(日本公開 2020年)を観た。
音をテーマにしているということで、音に拘った映画館「立川シネマシティ」の「極音上映」で観た。
注目する点は、映画「音楽」ではなく「音響」であることだ。
映画冒頭、自身が発明した「蓄音機」を操作するエジソンを撮ったフィルムが流れる。
映画によると、エジソンは最初から「音声付のフィルム」、つまり「トーキー映画」を記録することを目