イナダシュンスケ

エリックサウスとかの中の人/ジャンルを問わず何にでも喰いつく変態料理人/ナチュラルボー…

イナダシュンスケ

エリックサウスとかの中の人/ジャンルを問わず何にでも喰いつく変態料理人/ナチュラルボーン食いしん坊/近著は「おいしいものでできている(リトルモア)」「だいたい1ステップか2ステップ!なのに本格インドカレー(柴田書店)」

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「広島焼き」という呼称について余所者が真剣に考えてみた ⑥エピローグ「結局わかりませんでした」

結局よくわからなかっただらだらと論考ともいえないような論考を積み重ねてきて、結局私は何も分からなかったのである。「広島焼き」という呼称に怒っている人々が「なぜ怒っているか」は、結局完全には理解できなかったのだ。 書く前も書いている途中も、多くの広島在住の方、元在住の方、近隣の方に、様々な見解をお寄せいただいた。 「本気で本流だと思っている人たちがいる」 「どうしても亜流扱いされたくない」 「他所で付けられた新しい名称に違和感がある」 「戦火のイメージと重なる」 「

    • 「広島焼き」という呼称について、余所者が真剣に考えてみる ⑤お好み焼きの歴史認識

      二通りの歴史認識広島と大阪のお好み焼きに関する私の歴史認識はこうである。 東京で生まれた「お好み焼き」は、その後日本のいろいろな地域に伝播して行ったが、その中で特にそれが発展した地域が二ヶ所ある。広島と大阪だ。 特に、大阪のお好み焼きが形の上ではあくまで従来の「混ぜ焼き」の延長だったのに対し、広島のそれは「乗せ焼き」から大きく発展して、食材ごとにレイヤーを形成するという特異な進化を遂げた。その結果、広島式はいわば新ジャンルの料理となり、その特別さ故に「広島焼き」という固有

      • 「広島焼き」という呼称について、余所者が真剣に考えてみる ④広島県民の生の声が聞きたい

        Twitterで情報収集自分の感覚を確認し終えたところで私は、これ以上想像だけを巡らせても埒が開くまいと、人々の(特に広島県民の)生の声を聞くべく情報収集を開始した。 こういう時、Twitterは便利である。偏りがちではあるけど、この場合の偏りはこの「広島焼き問題」に対しても、感情的でもなく決めつけでもなく、ロジカルな分析が集まるであろう偏りなので、むしろ望ましい。 じつはちょっと煽るような投稿で軽く炎上させたら、より多くのビビッドな反応が得られそうな気もして心が揺れたが

        • 「広島焼き」という呼称について他所者が真剣に考えてみる ③広島風お好み焼きとわたし

          「感動的なお好み焼きがあるんだ」と、彼は言った 私は広島の人が「広島焼き」という呼称を嫌がるということを学習したが、それを嫌う理由がわからなかった。 その謎を解説するものを読んでも、そこには納得の行く解答は無かった。 ということはもしかしてお好み焼きに対する感覚そのものが、私と彼らでは大きく違うのではないか。 そういったことも含め、今回は「私と広島風お好み焼き」というテーマで思い出話をしてみたい。 私が初めてそれに出会ったのは、京都での学生時代である。 ある時サー

        「広島焼き」という呼称について余所者が真剣に考えてみた ⑥エピローグ「結局わかりませんでした」

          「広島焼き」という呼称について他所者が真剣に考えてみる ②地名を冠した食の拡散

          もしも故郷のお好み焼きが全国区になったら なぜ広島の人は「広島焼き」という呼称を嫌がるのか。 その理由がすぐには理解できなかった私は、とりあえず、自分のことに置き換えて空想してみた。 もちろん前回もさんざん書いたように「自分のことに置き換える」のは決して完璧なやり方ではないのではあるが、まずはとっかかりとしてやってみよう。 さて、私は鹿児島出身である。 もし鹿児島に、独自のお好み焼き文化があったとしよう。しかもそれは明確に他の地域と異なるスタイルで、しかも格別おいし

          「広島焼き」という呼称について他所者が真剣に考えてみる ②地名を冠した食の拡散

          「広島焼き」という呼称について他所者が真剣に考えてみる ①冗長なプロローグ

          人が嫌がることをしてはいけない私が子供だったころ、 「自分がされて嫌なことは他人にしてはいけません」 と教育された。 これは至極もっともな話である。 誰だって殴られるのは嫌だから他人のことも殴ってはいけないし、持ち物を盗まれるのは嫌だから他人のものも盗んではいけない。人としての基本であることは間違いない。 しかしこれは同時に何がしかの危険もはらんでいる。なぜならば 「自分がされて嫌なことは他人にしてはいけない」 が真であるならば、(厳密な論理学は別として)それは

          「広島焼き」という呼称について他所者が真剣に考えてみる ①冗長なプロローグ

          シン・ヴィーガン[6/6]全ての登場人物が幸福な結末を迎えるための最終話 〜さようなら、(大多数の)ヴィーガン〜

          3人のヴィーガンここに3人の「ヴィーガン」がいる。 Aさん: 厳格にヴィーガン生活を貫いている。動物性食品はもちろん一切口にしない。皮革製品は身につけないしペットも飼わない。そういう生き方を社会に広めようと活動している。そうしつつも、それでは問題を完全に解決することは不可能だということも知っている。だからその究極の解決策としてアンチナタリズムの立場を取ることを決意した。 Bさん: Aさん同様、厳格なヴィーガンライフを送っている。しかしそれはあくまで個人としての信条で

          シン・ヴィーガン[6/6]全ての登場人物が幸福な結末を迎えるための最終話 〜さようなら、(大多数の)ヴィーガン〜

          シン・ヴィーガン[5.9/6]インターミッション的なもの

          前回の投稿から1ヶ月空いてしまった。 実のところこのシリーズの最終回[6/6]は1ヶ月前に書き終えている。 なぜずっと投稿せずじまいだったかというと、その最終回の内容がつまらないからだ。 いや、内容がつまらないと言い切るのは自己卑下に過ぎるかもしれないが、少なくともその結論はあまりにも当たり前すぎて「何も言っていないに等しい」と思っているのは確かだ。 当たり前であるがゆえに書き直しようもない内容ではあったのだが、自分としては「もっとこう、あるだろ」みたいな感じでもうちょっと

          シン・ヴィーガン[5.9/6]インターミッション的なもの

          シン・ヴィーガン[5/6]ヴィーガニズムとは人類補完計画であるか

          アンチナタリズム(非出生主義)とは前回ヴィーガニズムは感情と理論が複雑に絡み合っていると書いたが、それでも厳格なヴィーガンはなるべく感情を排して理論構築を行おうとする。ミームさんなどはその代表だ。そしてその理論が導くテーゼが「世界から動物たちの苦痛を取り除かねばならない」という極めてシンプルなもの。 そのためにまず解決すべき最大の問題として、肉食を諦め畜産をやめることが提言されている。しかし前々回に書いた通り、それは決して「全ての苦痛を取り除く」ことにはならない。畜産をやめ

          シン・ヴィーガン[5/6]ヴィーガニズムとは人類補完計画であるか

          シン・ヴィーガン[4/6]ここで改めて、ヴィーガンとはまず何なのか

          好きで殺生する人は(あんまり)いないヴィーガンであるかどうかに関係なく、動物を平気で殺せる人はあまりいないだろう。もちろん慣れや切実さの度合いにもよるだろうが、多かれ少なかれ「嫌だな」と思う気持ちがあるのは普遍的な感情ではないだろうか。ヴィーガニズムの初期衝動はこの「動物殺すのは嫌だな」という至極共感性の高い人間的な感情だと推測できる。 気の小さい私などは、動物どころか魚の生け造りさえかなりの抵抗がある。三重県に「残酷焼き」と呼ばれる、上火の電熱器で魚介類を生きたまま焼く料

          シン・ヴィーガン[4/6]ここで改めて、ヴィーガンとはまず何なのか

          シン・ヴィーガン[3/6]ヴィーガンは何をどう主張すれば良いのか

          「健康」と「環境」を盾にすると詰む現在、「ヴィーガンになったらこんないいことがありますよ」をアピールする時よく持ち出されるのは以下の2つである。 ・ヴィーガンは健康に良い ・ヴィーガンは環境に良い これらについて順番に検討していこう。まずは健康面。 ヴィーガンのサイトなどを見ると、 「サプリの併用も含めきちんとコントロールされたヴィーガン食は充分健康的である」 というような事が書かれている。 医者や管理栄養士はとかく「野菜の摂取量を増やしましょう」 と言う。 これはおそらく

          シン・ヴィーガン[3/6]ヴィーガンは何をどう主張すれば良いのか

          シン・ヴィーガン[2/6]ネットのヴィーガン論争はなぜ不毛なのか

          ネットにおけるヴィーガン論争は実につまらないツイッターではしばし「ヴィーガンネタ」が盛り上がる。ヴィーガン独特の「奇妙な」価値観が俎上に挙げられ、そこに次々と揶揄や批判がぶら下がっていくというのが基本パターン。そして残念ながらそれが有意義な議論に発展することはまず無い。なぜそうなってしまうのか。私から見るとそれは概ね批判や揶揄を行う「アンチ・ヴィーガン」側の責任が大きいように思われる。ほとんどの人は「ヴィーガニズムとは何であるか」をよく知らないままそれを攻撃しているように見え

          シン・ヴィーガン[2/6]ネットのヴィーガン論争はなぜ不毛なのか

          シン・ヴィーガン [1/6] SFとしてのヴィーガニズム

          私はヴィーガンを知りたいと思ったのだ。だがしかし……ヴィーガン、ベジタリアンに強い興味がある。 単にそれだけでなくもっと仲良くなりたいとも思っている。 そう思い始めたきっかけは2つ。 ひとつは個人的な嗜好として野菜料理が大好きだから。肉が嫌いというわけではない。むしろ逆だ。肉も魚もそして動物性のダシも、好きで慣れ親しんでいるからこそ、それらをあえて排除した菜食には特別なおいしさがある。食べるシーンだけでなく料理を作るシーンにおいても、それは難易度の高いゲームをクリアするよ

          シン・ヴィーガン [1/6] SFとしてのヴィーガニズム