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「広島焼き」という呼称について、余所者が真剣に考えてみる ⑤お好み焼きの歴史認識

二通りの歴史認識

広島と大阪のお好み焼きに関する私の歴史認識はこうである。


東京で生まれた「お好み焼き」は、その後日本のいろいろな地域に伝播して行ったが、その中で特にそれが発展した地域が二ヶ所ある。広島と大阪だ。

特に、大阪のお好み焼きが形の上ではあくまで従来の「混ぜ焼き」の延長だったのに対し、広島のそれは「乗せ焼き」から大きく発展して、食材ごとにレイヤーを形成するという特異な進化を遂げた。その結果、広島式はいわば新ジャンルの料理となり、その特別さ故に「広島焼き」という固有の名称を獲得した。(おめでとう!)


それに対して、あくまで想像で補完しつつであるが、広島での一部の(怒っている人たちにとっての)歴史認識はこういうものなのかもしれない、というのが浮かび上がってきた。


日本には2種類のお好み焼きが存在する。それが広島式と大阪式である。

大阪式は広島式より一足先に認知が進みエリア外まで普及したため、あくまで普及度の上ではこちらが日本各地でスタンダードなスタイルと認識されるに至った。

そのため、その後遅れて全国に普及した広島のスタイルは、「広島焼き」という急拵えの呼び名によって「お好み焼き」とは区別されざるを得なくなってしまった。(絶対に許さない!)


私はべつに後者の認識を否定するつもりは無い。これは実際に起こった同じ現象を違う角度から解釈しただけだからだ。「特別な存在」なのか「ジャナイ方」なのか。それらは本質的には同じ現象の言い換えである。

ただし。

ただし一点、後者の歴史認識からは、広島と大阪以外のことがスッポリと抜け落ちている。

広島のお好み焼きには何が起こったのか


日本各地にはさまざまなお好み焼きがある。

大きくは二系統に分かれていて、生地を鉄板に薄く広げてから具を撒き、また上から生地を流す「乗せ焼き」と、生地と具をあらかじめ混ぜてから焼く「混ぜ焼き」。

ただし素朴なタイプのそれらは、焼く工程を見ていなければ仕上がりの印象はさほど大きく変わらない。例えば名古屋風お好み焼きは純然たる重ね焼きだが、食べただけではどっちなのかはあまりはっきりわからない。

大阪風お好み焼きは「混ぜ焼き」だ。(厳密に言うと具の中で主役となる豚肉などは「乗せる」というハイブリッド性も併せ持つ形だが。)他の混ぜ焼きや、混ぜ焼きとあまり見分けがつかない乗せ焼きとの大きな違いはその分厚さである。従来の(薄く焼く前提の)混ぜ焼きを単に分厚く焼いたところで、ミチミチとした小麦粉の塊でしかないそれはあんまりおいしくないわけで、そこを大阪風は、ふんわりとソフトにおいしく仕上げるためにさまざまな工夫が凝らされている。

とは言うものの、古典的なローカルお好み焼きや家庭のホットプレートで作られるお好み焼きと専門店の大阪風お好み焼きには、おいしさの違いこそあれ本質的な(構造的な)部分には違いはない。だから我々は普段それらをひっくるめて単に「お好み焼き」と呼んでいる。特に区別が必要なときだけはその頭に「〇〇風」が付いたりはすることはあるにせよ。


広島に最初に伝わったお好み焼きは「乗せ焼き」だったようだ。もちろん最初は他の地域のそれと同じく、ごく素朴な物だった。それがその後、特異な超進化を遂げ、それはもはや乗せ焼きというより重ね焼きとでもいうべき独特な形になった。

縦方向に厚みを増したという意味では大阪と偶然同じ方向を辿ったことになったのが興味深い。この事によって両者共に「おやつ」としてのお好み焼きから食事、メインディッシュとしてのお好み焼きにクラスチェンジして人気を博したのだ。


「超進化形乗せ焼き」である広島風は、それを初めて目にする者にとっては衝撃である。第三章で書いたように、実際私もそうとう驚いた。構造自体が他と大きく異なっているし、そのことがもたらす味わいの違いも歴然としている。ローカルお好み焼きや家庭のお好み焼きや大阪風お好み焼きまでは十把一絡げに単に「お好み焼き」と呼ぶことはできても、広島風はどうだろう。少なくとも頭に「広島風」がつくのは最低限確実だし、常にそう呼ばれるとなればそれが縮まって「広島焼き」というキャッチーな固有名が生まれてブランド化するのは必然という気がする。


歴史上のifを考えてみる。

もし広島のお好み焼きがあそこまでの超進化を遂げなかったとしたら。つまり、焼きそばが重ねられることもなく、キャベツもあそこまで大量に積まれることもなく、厚さももっと薄いものだったら。(ちなみにそういうスタイルのローカルお好み焼きは実際に各地に点在している。)

それは誰がどう見ても単なる「お好み焼き」である。何らかの自然発生的な地方名が付いた可能性はあったとしても、他所でブランド的に扱われ、勝手に「広島焼き」と呼ばれることは無かっただろう。そしてもしかしたら(多くのローカル系がそうであるように)外来の大阪風に駆逐されていたかもしれない。「広島焼き」否定派とて、別にそういう世界を望んでいるわけでもないだろう。


もしこの世界のお好み焼きに「広島風」と「関西風」の二つしか無かったとしたら、関西風だけが本来の名称で呼ばれ、広島風には勝手に別の名前が付けられることに対しての苛立ちもわからなくはない。

しかし実際はそうではないのである。


(少し問題の本質から逸れるが、あくまで個人的な感覚だけで言うと、「ジャナイ方」「傍流」であることの何がいけないのか、とは思う。ただそれは「オルタナティブの方がカッコいい」という、90年代サブカル的価値観というか、ゼロ年代的な中二病気質というか、いずれにせよ普遍的な感覚ではないという自覚はあるので、殊更それを主張するつもりはない。)


ここで、この件に関する最高の資料をご紹介したい。この問題に向き合うならば、こちらで歴史と地域を俯瞰する視点をアップデートしても損はないし、とりあえず読み物として抜群に面白いので、ご興味のある方はぜひどうぞ。

『お好み焼きの戦前史』近代食文化研究会

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