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シン・ヴィーガン[6/6]全ての登場人物が幸福な結末を迎えるための最終話 〜さようなら、(大多数の)ヴィーガン〜

3人のヴィーガン

ここに3人の「ヴィーガン」がいる。

Aさん: 

厳格にヴィーガン生活を貫いている。動物性食品はもちろん一切口にしない。皮革製品は身につけないしペットも飼わない。そういう生き方を社会に広めようと活動している。そうしつつも、それでは問題を完全に解決することは不可能だということも知っている。だからその究極の解決策としてアンチナタリズムの立場を取ることを決意した。


Bさん:

Aさん同様、厳格なヴィーガンライフを送っている。しかしそれはあくまで個人としての信条であり、他人にそれを押し付ける気はない。ヴィーガニズムが世間で理解されていないことを悲しんでいるがそれに対して物申すことはない。それはもしかしたら真剣な議論が始まったらヴィーガニズムの矛盾を突かれることを恐れているのかもしれない。アンチナタリズムの思想は受け入れられない。


Cさん:

アニマルウェルフェア(愛護)の立場からヴィーガンとなることを選んだ。畜産をやめることが環境にも良いことを知り、ますますその正しさに確信を持った。週に5日はヴィーガン食をとっている。体調も良くなった気がする。これまで3匹の保護猫を引き取り、家族の一員として愛情込めて育てている。


実際問題、世の中の「ヴィーガン」のほとんどはBさんやCさんだ。ネットにおけるヴィーガン論争がなぜ不毛かということの一番の原因は「アンチヴィーガン側の無知」であるということは以前に書いた通りである。しかしさらにその根本の理由は、本来ならAさんのみに向けられるはずの糾弾のほとんどがBさんやCさんという(ヴィーガン内での)サイレントマジョリティーに向けられることだと思う。

そしてもし一番目の理由、すなわち「アンチヴィーガン側の無知」が解消されれば(まあそれは非現実的な仮定ではあるが)そこから繰り出される本質的な議論にBさんとCさんはたぶん対応しきれない。最後まで応戦できるのはAさんだけだ。


結論から言おう。BさんとCさんは、つまりAさん以外のヴィーガンは「ヴィーガン」という肩書を返上した方がいいのではないかと私は思うのだ。ああ! ここで私はついに広報部長を解雇になる。しかし解雇されてもなお私は訴えたい事がある。


そもそもヴィーガンと非ヴィーガンに明確な垣根など無い

ここで4人目の人物が登場する。


 Dさん:

ヴィーガンにある程度共感しつつ、その思想に完全には同意できない。正直肉は好きだが動物の命はなるべく奪いたくないという矛盾した心情もある。環境問題への意識が特別高いとは言えないが、畜産を減らすことでそれがちょっとはマシになるならその方がいいんじゃね?くらいは思っている。週に1〜2回はなんとなくベジタリアン生活だ。


Dさんとはつまり私である。そして私は仕事を通じて積極的にヴィーガン食を提供し、菜食の素晴らしさを少なからぬ人々に広めてきた。もしCさんがヴィーガンであるなら私だって充分ヴィーガンではないのか?

いやむしろ欧米基準から言えば日本人はほぼヴィーガンではないか。「ゼロにする」ではなく「減らす」でもいいんだ、という話であれば。


ちょっと前に「ご褒美デイには焼肉を食べるヴィーガン」というネタがネットで盛大に盛り上がった。全然おもしろくなかった。なぜなら、Dさん(私)はともかくとして、BさんやCさんがヴィーガンであるという前提ならその人も充分すぎるほどヴィーガンだからだ。

Aさんはおそらくその「ご褒美焼肉」の人を許さないだろう。Dさんのことももちろん許さない。Cさんに対しても「そんなのヴィーガンじゃない」と判定を下すだろうし、Bさんのことは許容しつつも苦々しく思うのではないか。「ヴィーガンにも多様性がある」と言えば聞こえがいいが、一枚岩になれない思想はあまりに脆弱ではないかと思うのだ。


ガチのヴィーガン以外はみんな「プラントベース愛好家」になればよくないすかねー(鼻ホジー)

IKEAという店がある。基本的には家具屋さんだが、生活にまつわる諸々を手広く商っており、そこには食品も含まれる。その食品の中には多くの植物性原料だけを使った食べ物がある。普通だったらそこには「ヴィーガン用食品」みたいなラベルが貼られがちなのだが、IKEAはヴィーガンという言葉を頑なに使わない。そこに示されるのは「プラントベース」という、ここが大事なのだが「ヴィーガニズムという思想」とは完全に切り離された、個人のライフスタイルに対して提案を行う言葉だ。


何が言いたいのか既にお分かりかもしれない。BさんやCさんや「ご褒美焼肉の人(←実際は架空のネタキャラではあるが)」はヴィーガンという言葉を返上して別の名称を名乗った方が良いのではないか、という話である。語呂は良くないが暫定として「プラントベース愛好家」PBLはどうですかね。Plant Base Lover。


「誰しも動物の犠牲は減らしたいでしょ? だったらもっと意識的に野菜や豆やフェイクミートなどのプラントベース食品を利用してはどうですかね? 精進料理やインド菜食なんかの素晴らしい伝統料理は無限にあるし、新しいレシピや製品もガンガン生まれてます。めっちゃおいしいですよ。そうすれば食生活はもっと健康的になるかもしれないし何より食生活の幅が広がります。そしてその事により環境問題だって部分的ではあるにせよ改善できるんですよ。」


つまり「肉食をゼロにする」ではなく「可能な限り減らす」という現実的な譲歩だ。

というか世の中のほとんどのヴィーガンは自覚の有り無しはともかく既に譲歩しているのが現実だ。

そしてこれは無敵の理論じゃないですかね。金輪際炎上しっこないし。そしてその時Dさんは晴れてPBLを名乗れるわけだ。はっきり言ってヴィーガンが新たに1人のヴィーガンを誕生させるよりPBLが1万人のPBLを誕生させる方がはるかに簡単だ。


もちろん、そんなの生ぬるい、あくまでゼロでなくてはいけない、と思えば覚悟を決めてAさん同様の「真ヴィーガン」を貫けばいい。アンチナタリズムが反社会的カルト思想かどうかも大いに議論すればいい。

そして真ヴィーガンとPBLは、根本理念や最終目標は違えど少なくとも現時点においては共闘が可能であり、互いの計画進行のためにはそれが有効だ。ゼーレとネルフのように少なくとも最終章の手前までは。

そして良くも悪くも最終章までの道のりは非現実的なほどまだ遠い。


これが私の「シン・ヴィーガン」だ。

このシナリオを広報部長だった時のデスクに置いて、私はそこを去る。

【完】





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