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シン・ヴィーガン [1/6] SFとしてのヴィーガニズム

私はヴィーガンを知りたいと思ったのだ。だがしかし……

ヴィーガン、ベジタリアンに強い興味がある。
単にそれだけでなくもっと仲良くなりたいとも思っている。

そう思い始めたきっかけは2つ。

ひとつは個人的な嗜好として野菜料理が大好きだから。肉が嫌いというわけではない。むしろ逆だ。肉も魚もそして動物性のダシも、好きで慣れ親しんでいるからこそ、それらをあえて排除した菜食には特別なおいしさがある。食べるシーンだけでなく料理を作るシーンにおいても、それは難易度の高いゲームをクリアするような楽しさがある。

もうひとつは仕事だ。現時点で私にとって最も重要な仕事のひとつがインド料理。インド料理においては菜食料理がその極めて重要かつ広範囲な役割を担っている。少なくとも日本において純粋な菜食料理を提供する業態は極めて少ないので、それはベジタリアンだけでなくヴィーガンにも重宝される。人が希求するものを提供するというのは、単に仕事にとどまらず人生において極めて大きな喜びである。

菜食主義というのは極めてシンプルな概念だ。しかしヴィーガンとなるとそうは行かない。非常に難解かつ複雑な概念である。なぜそうなのかはこの後の文章でおいおいご理解いただけるのではないかと思うが、とにかくヴィーガンは難しい。
ヴィーガンって何なんだろう、と調べ始めると、そこには数々の疑問や矛盾点が浮上してくる。「食べていいものといけないものの境はどう定義されるの?」「ペット飼うはいいの?」「野生生物の生態系は?」みたいな素朴な疑問から始まり、論理的に考えれば考えるほど「これを真とするならばこれは偽」みたいな矛盾がボロボロ出てくる。

世の中のヴィーガンは、こういった疑問や矛盾とどう向き合ってどう乗り越えてるんだろう? そんな興味に駆られた私は、彼らの生の声に触れるべくTwitterで目にした「ヴィーガンアカウント」を片っ端から眺めまくった事がある。しかし結果は思わしいものではなかった。そこにあるのは「新しくできたヴィーガンレストラン」「ヴィーガンスイーツのレシピ」といった「ヴィーガンは絶対的に正しい」を疑いようのない前提とした生活情報ばかりだった。当たり前といえば当たり前だが。

むしろ辟易としたことがある。そこは「反農薬」「添加物は絶対悪」「牛乳は体に悪い」「白砂糖は体に悪い」「『化学物質』」「オーガニック万歳」「ヒトは本来草食」といった偽科学やスピリチュアルの宝庫でもあったのだ。そもそも食にまつわるトピックは往々にしてそういったものと安易に結びつきがちであるが、ヴィーガンの世界ではそれがなぜかひときわ濃厚だった。

理知的なヴィーガンを発見したらそれはSFだった!

そんな中で私はひとつの例外的なアカウントを発見した。@VeganMemeJp というアカウントである。以後「ミームさん」と呼ぼう。ミームさんももちろんヴィーガン絶対善を前提とするアカウントだったが、同時に、なぜそれが善なのか、本来ヴィーガニズムとは何なのか、そしてそれは世間ではどう誤解され、その誤解はなぜ間違っているのか、といったことをひたすら(bot的な繰り返しではあるが)語っていた。
ミームさんは偽科学やスピリチュアルからも慎重に距離を置いていた。いやむしろ徹底的に否定し、非難していたと言ってもいい。そんなヴィーガンアカウントは他に無かった。

https://twitter.com/veganmemejp/status/1294241023963488257?s=21
圧巻だったのは、今もそのアカウントにトップ固定されている「ヴィーガンFAQ」である。私がそれまでヴィーガニズムに対して持っていた疑問はそれでほぼ全て解消した。もちろんそれはそこかしこに多少の論理の飛躍や破綻、そして全体に衒学的な論点ずらしもあったかもしれないが、少なくともミームさんがひたすら論理的であろうとし、矛盾は須く排除するという姿勢なのは確かだった。そしてそのことにより私はここで初めて「ヴィーガンとは何であって何でないのか」を理解する出発点に立てたと思う。

もっとも理解と賛同はまた別の話である。「自分はヴィーガンを理解したい。しかしおそらく全面的な賛同は難しいし、ましてや実践する事はできないだろう」という、それまでもなんとなく持っていた予感はむしろ確たるものとなった。
ある時このFAQをツイッターで紹介したことがある。その中で興味深い反応があった。「おもしろがっていいことではないかもしれないけどおもしろかった」というものである。しかも同様の反応は複数の方から寄せられた。

正直に言おう。
私も(不謹慎は承知で)おもしろがっている。無茶苦茶おもしろがっている。なぜならそれは無茶苦茶おもしろいからだ。何がおもしろいのか。それは端的にいうと「思考実験」としてのおもしろさである。少なくとも一般的とはいえないある価値観を出発点とした時に、そこを起点にどういう世界が紡がれるのか、というif の物語。そう、すなわちSFである。例えば藤子F不二雄の傑作SF漫画に「ミノタウロスの皿」という作品があるが、まさにあのおもしろさを大河ドラマ化したようなものだ。
その出発点となる、つまりヴィーガニズムの出発点となる価値観とは
「動物にも人権と同様の権利が守られるべきである」
というものだ。この(にわかには素直に受け入れがたい)価値観を出発点とするならば、世界はどのように変わっていくのか、という物語。「人類はひとつの個体になるべき」という人類補完計画をゼーレからの視点から物語るようなものか。しかもヴィーガンの物語は単に創作ではない。リアルタイムで進行するノンフィクションとしてのSF。おもしろがるなという方が無理である。

生命倫理にも関わる問題をあたかも創作物のようにエンタメ的に消費するとは何事か、という批判はもとより覚悟の上だが、面白がればこそそれは現実に還元できるのだ。楽しむというのは関心の第一歩だから。そんな弁明を指し挟みつつ、次回は、我々はいかにしてそれをより高度に楽しむべきかという提言である。

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