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シン・ヴィーガン[2/6]ネットのヴィーガン論争はなぜ不毛なのか

ネットにおけるヴィーガン論争は実につまらない

ツイッターではしばし「ヴィーガンネタ」が盛り上がる。ヴィーガン独特の「奇妙な」価値観が俎上に挙げられ、そこに次々と揶揄や批判がぶら下がっていくというのが基本パターン。そして残念ながらそれが有意義な議論に発展することはまず無い。なぜそうなってしまうのか。私から見るとそれは概ね批判や揶揄を行う「アンチ・ヴィーガン」側の責任が大きいように思われる。ほとんどの人は「ヴィーガニズムとは何であるか」をよく知らないままそれを攻撃しているように見えるのだ。



例えばこの手の騒ぎの際「本当は肉が食いたいくせにww」という揶揄は必ず登場し、そして繰り返される。さすがに無知にも程がある。ヴィーガン側を代弁するならば「食いたいに決まってんだろww こっちは食いたくても我慢してんだよ!」で、この話は終わりだ。もしくはもう少し冷静に返すなら「食べたいか食べたくないかそれは問題ではない。たとえ食べたくても我慢するのがヴィーガンである」ということになる。こういうまっとうな反論、というか訂正がヴィーガン側から為されることは不思議なことにあまり無い。まあそもそもツイッターというのは議論に不向きな場であるし、ヴィーガンに言わせれば「こんな馬鹿げた揶揄にわざわざマジレスするなんて無駄」ということなのだろうか。

というかそもそも日本のヴィーガン人口なんてネット民が思ってるよりたぶん更に少ない。少なくともなんの知識もないままヴィーガン論争にいっちょ噛みしたがる暇人よりはずっと少ないということなのだろう。



ところがこの「肉食べたいくせにww」の揶揄に対してはヴィーガン側からこんな反撃がなされるのなら見たことがある。

「1ヶ月くらい肉を経つと肉なんて臭くてとても食べられなくなりますよ。体調も良くなるし。」

実にダメな反撃だと思う。

この人はこの人なりに「ヴィーガンになって良かった体験談(効果には個人差があります)」を提示したつもりかもしれないが、これでは単に「自分が特別な存在であることを上から目線で語る人」だ。これではアンチ側に燃料をくべているだけである。



斯様にネットにおけるヴィーガン論争はひたすら不毛なのである。そしてそれは由々しき問題。誰にとって? ヴィーガニズムをSFとして「も」楽しんでいる私にとってである。前回私はミームさんのFAQは、優れているが完璧ではないという旨のことを書いた。ヴィーガンに対して反論や揶揄を行うならそういった「完璧ではない」部分を見つけて鋭く突けよ、と思うのだ。その方がずっと有意義(≒おもしろれえ)だろう、と。下らないツッコミで溜飲下げた気になってるんじゃねえよ、秒で逆論破されるような反論で気の効いたこと言ったつもりになってどうするよ、つまんねえんだよ! みたいな。



不毛といえば「ヴィーガンを勝手にやるのはいいけど押し付けるな」的意見もまた限りなく不毛である。なぜならばそれは言論の封殺だからだ。世の中には様々な思想があっていいし、それを無視するのも反論するのも稀にそれに染まるのも自由だ。「押し付けるな」の人々はよく過激派ヴィーガンによる肉屋襲撃事件なんてものを例に出すが、あれは思想どうこう以前に単なる犯罪行為である。あんなのレアケース中のレアケース、むしろ海外珍ニュースの類。犯罪行為は非難されるべきだが、思想は弾圧されるべきではない。



いったいヴィーガンたちは本気で仲間を増やす気があるのか?

この種の不毛さはもちろん「アンチヴィーガン」のみの責任ではない。個人の生活様式として完結している「ベジタリアン」とは違い、ヴィーガンの根本理念は「動物の権利を守ろう」、言い換えると「世界から動物の苦痛を無くそう」というものであり、それは一種の社会運動。自分たちの賛同者を増やす必要がある。言うなれば「布教」を行わねばならない。



少し話が言わずもがなの回り道をするが、この「布教」というのはあくまで比喩的表現である。ヴィーガニズムには確かに宗教と似た側面があるように見えるが、宗教ではない。むしろ徹底して(少なくともミームさんくらいには)科学的で論理的でないと意味がないと思う。(だからこそ安易に疑似科学やスピリチュアルと結びつくべきではない。)ただこの「賛同者を増やすための宣伝活動」を的確に表す言葉が思いつかないので便宜的に「布教」という言葉を使う。ヴィーガン側の立場から言えばこれは「啓蒙」と言い換えられるのだろうが、これは客観性を欠くニュアンスになるので私は使わないことにする。



話を戻すと、ヴィーガンはこの「布教」がものすごくヘタクソな印象がある。いやむしろ「君ら布教する気ないやろ」とすら思ってしまう。ネットでヴィーガンネタが盛り上がる時というのは布教の大チャンスなのに、それが有効活用されている場面なんてほとんど見たことがない。「肉なんて臭くて」なんて不思議ちゃんアピールしてる場合では無いし、「ヴィーガンが理解されてなくて悲しい」とか言って悲劇に浸ってる暇があったら理解されるようなロジックを展開しろよ、と思うのだが。彼らの多くはむしろ自分たちの純粋なセカイを守るために理解されることを拒んでるのではとすら邪推してしまう。



だからそういう騒ぎの折はどさくさに紛れてヴィーガンでもなんでもない私が「布教」するのである。ミームさんによるFAQを引用拡散したのもそういうことだ。もちろんそれは、低レベルな揶揄で有意義な議論が埋もれてしまうことのないよう、みんなせめてこれくらいの基礎知識は身につけてから参戦してこの場をもっと面白くしてね、(ファイっ!)という極めて不純な動機ではあるけれども。



なので私は時折妄想するのだ。もし私がヴィーガン団体の広報を務めるとしたら、という妄想である。ヴィーガンではない自分がヴィーガニズムを布教するなんてナンセンスな話だが、まあ言うなれば宗教団体のPRを信者ではない広告マンが務めるようなものか。また宗教になぞらえてしまったがもちろん他意はない。その具体的なプランは次回。



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