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「広島焼き」という呼称について他所者が真剣に考えてみる ②地名を冠した食の拡散

もしも故郷のお好み焼きが全国区になったら

なぜ広島の人は「広島焼き」という呼称を嫌がるのか。

その理由がすぐには理解できなかった私は、とりあえず、自分のことに置き換えて空想してみた。

もちろん前回もさんざん書いたように「自分のことに置き換える」のは決して完璧なやり方ではないのではあるが、まずはとっかかりとしてやってみよう。


さて、私は鹿児島出身である。

もし鹿児島に、独自のお好み焼き文化があったとしよう。しかもそれは明確に他の地域と異なるスタイルで、しかも格別おいしい(と、少なくとも地域住民のほとんどが思っている)とする。

そんなお好み焼きがある時、県外の人々に「知る人ぞ知るローカルグルメ」として「発見」される。県外にも専門店ができたり冷凍食品やコンビニ弁当にも展開され、そこには「薩摩焼き」の名称が冠された……。



……。

……普通に嬉しくないかな……?

私は「郷土愛」的なメンタリティが決して強い方ではないが、それでもこれにはある種の「誇らしさ」を感じる。

そうなったら今後は「本場の人間として『薩摩焼き』について語る」みたいなシチュエーションも出てくるだろう。「まあ、本場じゃ単にお好み焼きって言ってるんですけどね」みたいなトリビアも混じえて。楽しそうだ。雑談や酒場トークやTwitterネタにも最高だ。

誇らしいし、楽しい。少なくとも怒りや嫌悪感みたいなネガティブな感情はどうしても想像できない。

「自分達はずっと『お好み焼き』と呼んできた」は理由になり得るのか?



つまりこれは失敗である。

自分の身に置き換えたところでこの謎は解けない、ということだけはわかった。

ならば実際に広島県民の声に耳を傾けるしかない。私はとりあえずググった。

結果から言うと納得のいく答えは得られなかった。なぜならば「なぜ広島焼きという呼称が受け入れられないか」という謎に対する回答のほとんどは



「我々はこれをずっと『お好み焼き』と呼びならわしてきた。今さら『広島焼き』などという聞いたこともない名前は受け入れられない」



という趣旨のものだったからだ。

ちなみに一部で

「『焼き』が戦火を想起させるから」

というものも見たが、これは地元でも否定的な見解が多い印象だった。



さて、「全国区向けに作られた新しい名前が受け入れられない」というその理由にどうして納得が行かなかったかと言うと、世の中には反例がわんさかあるからだ。

一例を上げるために、もう一度鹿児島の話に戻る。

鹿児島には、魚肉のすり身を味付けして油で揚げた「つけあげ」という伝統料理がある。全国各地に似たような料理が無いわけではないが、鹿児島スタイルのそれはことのほか有名になり、県外で「さつま揚げ」と呼ばれている。

米の栽培に適していない鹿児島では、かつて中国からもたらされた芋が「からいも」と呼ばれ、単なる救荒作物の域を越え、蒸留酒にも加工されるなど重要な文化を担うに至り、全国的にも「さつまいも」として広がっていった。

「さつま揚げ」「さつまいも」という呼称に対するネガティブな抵抗感は、少なくとも身の回りでは聞いた事がないし、正直イメージもしにくい。



「筑前煮」「札幌ラーメン」「野沢菜」「讃岐うどん」……そういう「地名+調理法or食材」の例は全国的に枚挙にいとまもなく、そのほとんどにはそれと異なる元々の地元での呼称(当然地名は付かない)があるわけだが、それぞれに関して名称問題が持ち上がったということはあまり聞いたことがない。

Xがアメリカ進出以降、他にXというパンクバンドがすでに存在していたためX Japanになったようなものか。違うか。でもなにしろ我々の誇りが地名を背負って広い世界に羽ばたいていくのはめでたい。



逆に広島のように、地名付き全国名が地元で反発を受けている例が他にないかと考えてみたが、寡聞にして私は知らない。「沖縄そば」に対するそれは、反発というより(主に高齢者からの?)「とまどい」だという認識だ。


強いて言うなら、南アジア料理好きが単に「カレー」と呼んでいた現地風のカレーが、ある時からその他の創作系カレーと一緒くたに「スパイスカレー」と呼ばれ始めた時の抵抗感に少しだけ似ているような気もしなくもないが、その話まで広げると地名問題から離れて収集がつかなくなるので、それはまた別の機会に。



とにかく、
「そこには何か別の、本当の理由があるのでは?」
と私は思ったのだ。


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