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「広島焼き」という呼称について他所者が真剣に考えてみる ③広島風お好み焼きとわたし

「感動的なお好み焼きがあるんだ」と、彼は言った

私は広島の人が「広島焼き」という呼称を嫌がるということを学習したが、それを嫌う理由がわからなかった。

その謎を解説するものを読んでも、そこには納得の行く解答は無かった。

ということはもしかしてお好み焼きに対する感覚そのものが、私と彼らでは大きく違うのではないか。

そういったことも含め、今回は「私と広島風お好み焼き」というテーマで思い出話をしてみたい。



私が初めてそれに出会ったのは、京都での学生時代である。

ある時サークルの先輩のFさん(東京出身)が、その時部室にいた7、8人のメンバーにこんなことを提案した。

「実は最近、感動的にうまいお好み焼き屋を見つけたんだよ。今からみんなで行かないか?」



当時我々が普段からよく食べていたのは、学生街にある一軒のお好み焼き屋にあった、いわゆるサービスメニュー的な「学生モダン」というものだった。

それはキャベツなどの入ったオーソドックスな生地に大量の焼きそば麺が混ぜられた巨大なお好み焼きで、表面には申し訳程度に豚肉が貼り付けられていた。

それは、そんな小麦粉製品だらけのみっしりモサモサとしたそれを大量のソースとマヨネーズを頼りに食べ進めていく、というもので、決しておいしいものではなかったけど、何しろ安くてデカいので少なくとも学生はほぼ全員それを食べていた。

この「学生モダン」に限らず、お好み焼きというものは、店で食べても家のホットプレートで焼いてもそうたいして変わらない、単純で素朴な食べ物、というのがその時点での認識だった。



「広島焼き」はたしかに凄かった

その日Fさんに引率されて行った店のそれは、(焼きそばの麺も使われているという点だけは学生モダンと同様だったが)それまで知っていたどんなお好み焼きとも別物だった。

そもそも作り方が全く異なっていた。

生地はあくまで薄く広げられ、焼きそばだけでなくびっくりするような量のキャベツの山が積まれ、最終的にはそれがしっとりと蒸し上がっていた。

Fさんの事前プレゼンどおり、それは感動的にうまかった。

それは立体的に構築されることでより進化した料理、という印象を受けたし、実際その複雑さがおいしさにもダイレクトに反映されていた。

店の軒先に吊り下げられた提灯には「広島焼き」の文字が大書されていた。



後に私は大阪で、混ぜて焼く「だけ」に見えるお好み焼きにも、とろろやダシをたっぷりと混ぜ込む、絶対に上から押さえない、などさまざまな手法が駆使された高度な世界があることも知ることになる。

それでもやはり「広島焼き」は、どこか特別であり、進化の到達点というイメージは持ち続けていた。



いつのまにか「広島焼き」(と、あえてカッコ付きで書くが)は、その名称で世間にどんどん広まり、縁日やイベントの屋台ですらそれは定番となっていった。いつしかコンビニにも置かれ始めた。

「そうはならんやろ」「なっとるやろがい」



だからある時、本場広島でそれは「広島焼き」ではなく単に「お好み焼き」と呼ばれているということを知った時は(考えたら当たり前のことかもしれないが)ちょっと驚き、そして、

「カッコいい!」

とも思ったのだ。

他とは一線を画す特別なものが、地元ではなんでもない、当たり前のものであるかのようにさりげなく呼ばれている、というカッコよさだ。

例えるなら、かつて一般の人が電気式のギターをわざわざ「エレキギター」と呼んでいた時に、バンドマンたちは皆当たり前のように単に「ギター」と(しかも平板アクセントで)気安く呼んでいることを知ったのと同じようなものか。



だからさらにその後、

「広島の人の前で広島焼きと言ったら怒る」

という話を聞いた時も、最初は単にネタだと思った。つまり、



「全国の皆さんが特別扱いしてくれている広島焼きは、地元では単に『お好み焼き』としか呼ばない当たり前の食べ物なんですよ。それくらい身近な物なんですよ。どう? 羨ましいでしょう?」



みたいな自慢の裏返しを、照れ隠しで荒っぽく表現するエピソード、という解釈である。しかし実際は、それは穿ち過ぎた解釈だったようだ。

もちろん広島県民全員がそうというわけではないのかもしれないが、一部の人々はネタでなく本当に怒っているようなのだ。怒っている、が言い過ぎだったにしても、心良く思ってない人々が少なからずいるのはまず間違いない。

私は混乱した。

「そうはならんやろ」「なっとるやろがい」

この混乱の整理が、この一連の文章をしたためているモチベーションでもある。

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