見出し画像

【植物SF小説】RingNe【第1章/③】


あらすじ

人生の終わりにはまだ続きがあった。人は死後、植物に輪廻することが量子化学により解き明かされた。この時代、人が輪廻した植物は「神花」と呼ばれ、人と植物の関係は一変した。 植物の量子シーケンスデバイス「RingNe」の開発者「春」は青年期に母親を亡くし、不思議な夢に導かれてRingNeを開発した。植物主義とも言える世界の是非に葛藤しながら、新たな技術開発を進める。幼少期に病床で春と出会った青年「渦位」は所属するDAOでフェスティバルを作りながら、突如ツユクサになって発見された妻の死の謎を追う。堆肥葬管理センターの職員「葵」は管理する森林で発生した大火災に追われ、ある決断をする。 巡り合うはずのなかった三人の数奇な運命が絡み合い、世界は生命革命とも言える大転換を迎える。

《第一章は下記より聴くこともできます》

第1章/②はこちら

#葵田葵

 キラキラと音が鳴るような木漏れ日が黒い大地に落ちている。踊るような模様のイヌシデの樹皮に、ヤマガラの合唱が大気を揺らす。コナラにクヌギ、ヤマザクラの木立の隙間を小さな虫たちが自由に飛び交い、赤黄色の樹冠が秋風でさざめくと、えも言われぬ安寧が心にやってくる。

陽の光が身体に満ちると、動き出す。蛇のように腕を伸ばし、猿のように腰を曲げ、鳥のように足を浮かして、全身を森のリズムに預けた。身体中の水分が蒸発してしまうように踊り続けていると、終わりは自然とやってくる。

 バタっと、地面に倒れた。意識が薄れ、私が消えていき、森と一つになっているような感覚。この時間がたまらなく好きだった。酸欠状態の身体に、心臓は慌てて酸素を共有しようと心拍数を上げる。勝手に生きている、その事実に、感謝を込める。目を閉じると目蓋の裏に太陽模様が現れて、心に満ちた感謝を静かに大地へ戻していく。
 目を開ける。コナラを見つめ、決心する。
 

 一週間後──
 「私がゴジアオイ火災の原因をつくりました」
 パシャパシャと音を鳴らす無数の光が私に影を落としている。スーツ姿の記者たちが何十名も私の一挙手一投足を、僅かな粗も見逃すまいと凝視している。光に悪意を感じたのは初めてだった。手汗が滲み、喉が乾く。
 右奥の記者から手が挙がる。

 「今回ゴジアオイの量子情報から検出された放火魔による意思が、火災を働かせたのではと推測されていますが、その点についてはいかがでしょう?」
 私は待っていた質問に心を落ち着かせ慎重に回答した。
 「これは全くの誤解です。今回の火災は放火魔による意思ではなく、私の意思です。植物に人間の罪や業が引き継がれることは、あり得ません」

 ダイアンサスが母体のWEBメディアの記者がすぐさま声を上げた。
 「人の魂が引き継がれているんですよ、何も関係ないってことはないでしょう。あまりに無神経じゃないですか」と糾弾する。
 私もついカッとなって「無神経なのはどっちですか」と声を荒げた。

 「罪を犯した人が輪廻したからといって、なぜその植物を傷つけていい理由になるんです……」と震えた声で付け足した。
 今日一番の光と音の波が津波のように押し寄せた。


 
 十日前──
 私は罪の意識に苛まれて引き篭もった身体を、無理やり外に出した。霧がかった脳内を晴らすため、というか以前予約していたその日が来てしまったために、私は夕日の滝に向かった。

会場に行くまでのバスでHPを眺めていると、チケット購入時に目当てにしていたアーティストが突如キャンセルになったことが分かり、更に気分が落ちる。
会場は心情に同調するような冷たい糸雨が降っていた。雨はキノコの胞子が雨粒の媒介となっていて、キノコが雨を呼んでいるという仮説をどこかで見たことがある。私はきっと管理センターで燃えたキノコにも恨まれているのだ。

オープニングでは出演するはずだったアーティストの曲が流れた。聴きながら思った。太陽系の生命体は皆、空しさでダンスしていることが共通している。皆太陽によって生かされ、最終的には死んでいく。踊っている間だけはさようならが悲しくないから踊るけど、何がエネルギーかって、空しさなのかもしれない。

ヨガに参加し、クラムチャウダーを飲んで、フォレストエリアの後ろの方でライブを聴いていた。前方ではこんな雨なのに肩を組んで笑顔で揺れる人たちがいて、周りを見渡すと皆優しい表情をしていて、自然と心の濁りが少しずつ漂白されていくのを感じていた。

 ”体はいつか朽ちて消えゆく。こころはずっと美しいまま、変わらないまま。あなたの中に、私の姿を映してくれる ”

 塞いだ心にも音楽は届いてしまう。耳を塞がない限り、音は聴かなくても聴こえてしまう。いつどんな時でも変わらぬ音楽が、傷ついた心に染みて、涙が出た。
 この空間にこれ以上いたら、この時間を楽しんでしまう。私を律して、人気のない遊歩道を渡り金時山へ歩いて行った。

 しばらく無心に歩いていると、乾いた打撃音と、ソウシチョウが飛び交う声が聞こえる。目を向けると若い男性たちがバットや手斧でブナを叩き、傷つけ、怒号をあげている。

 恐怖と怒りと悲しみが同時に身体中の血液を巡り、その後放火魔とゴジアオイのニュースを思い出した。これ、私のせいだ。

 他の植物も同じような目に遭っているのだと思うと、強烈な怒りが湧いてきて、歯を強く食いしばりながら俯いた。いや、後悔している場合じゃないと、魂の抜けた表情で顔を上げる。遠くの方に人影が見えた。助けを乞うようにその方へ走って行った。

 輪郭が見えてくる。高身長で、パーマをかけた長髪、芥川のような端正な顔立ち、このフェスのサイトで見たことがある。フェスの関係者だ、と思った。同時にあのブナをなんとかしなきゃと思い出し、慌てて彼のもとへ駆け寄った。

 私は彼に事情を説明し、足早に現場に向かうと彼は冷静に青年たちを追い払った。ブナは既に手遅れだった。まだ何十年は生きるであろうものの、植物たちの時間からすればあと少しの命だ。一人ですぐに止めに行けば救えたかもしれない命。罪悪感と恐怖に負けた自分を嫌悪した。勇気が足りない。

 彼と別れたあと、私はもう帰ろうと山を降りて、最寄り駅に向かう下り坂を歩いた。正面からはなにかのパレードが行進してきていた。拡声器により荒々しく変換された声はこう叫んでいた。

 「すべての命に権利を! 森林伐採は悪魔の所業! 神花を守れー! 神花を守れー!」管楽器らしきものの音色も聞こえる。近くに寄るとダイアンサスの旗が見えた。そしてそのパレードの中に、先ほどまでブナを傷つけていた青年たちの姿が見えた。

 薄い酸で少しずつ心の形が溶かされていくようだった。
 「神花を守れー!」と叫ぶ青年の目に曇りはなく、正義の炎は身体に応えた。脳が揺れ、倒れるように近くの岩場に腰掛けた。私はぼんやりした意識の中で、最初にゴジアオイを見た時を思い出していた。
 

 二十日前──
 午前十一時半。いつものように山の入り口の鳥居の前で一礼し、職場のある森へ進む。
堆肥葬管理センター南足柄第一スフィアは、多様な堆肥葬のニーズに応えられるよう、熱帯雨林を模したエリアや寒冷地など世界中の植物が生育できる様々な環境がドーム状にゾーニングされていた。

センター内は間伐や伐採が禁止され、悠々自適に育つ植物たちの頭上に配置された合成樹脂の空中遊歩道を歩いて目的地に向かっていく。入り口から私が担当する温帯乾燥のエリアまで十五分ほどかけて森を抜ける。

 ドーム内の地面は粘土と砂を高い割合で含み、赤みがかっている。イチゴノキやローズマリーなど人気の常緑低木が並ぶ。どこからかやってきたイヌタデやタンポポを踏まぬように慎重に足を運び、オフィスへ向かっていると、アカマツの下に見知らぬ花が咲いていた。

しわの多い白い花弁に黄色い基部があり、中央に五芒星をあしらったような赤い模様が浮かんでいた。珍しい、何の花だろうと屈み、花に顔を近づけて観察しているとベビーパウダーの様な温かみのある複雑で独特な香りがした。どこかで嗅いだことがある香りだった。瞬間的に頭痛が走り、幼少の頃の微かな記憶を思い出す。

 家族とカプリ島へ旅行に行った時、私は一度死んでいる。運行中のバスが崖から墜落し、海へ放り出された。朧げな視界はあっという間に青一色となった。

これが死後の世界か、と思った。鉄の破片や人、鮮やかな小魚たちや海藻が影となり、浮いたり、落ちたりして、上下や生死が一緒くたになっていた。意識朦朧としながらも、私はそこで何かと繋がった感覚があった。それは今までもずっと側にいて、話したかったのに話せなかったものとの、念願の邂逅であったように思う。

 目覚めると見知らぬ病床だった。運転手の心臓発作による事故で、同乗していた五名が死亡したとのことだった。私の父もそのうちに含まれていた。
 事故の前日、島内の民家の庭で、当時の私の身長くらいまで伸びていたこの白い花を見ていた。かわいいねと花の香りを嗅いでいる私に、父はこれも葵の一種だよと教えてくれていた。

 悲しみの地層の深くに埋まっていた父の記憶が香りに誘われ、発掘された。悲しみはなかなか分解してくれない。石炭のように形を保ったまま、足元深くで物言わぬ存在感を示し続けている。父はもしかしたら、カプリ島でこの花になっているのかもしれないと、思いを馳せた。

 腰を上げてオフィスへ向かう。予定していた顧客との打ち合わせにパソコンを開く。白髪の七十歳女性が画面に映り、細々とした声で訪ねてきた。
 「私が輪廻する植物ですが、あまりお金もないもので、ローズマリーでいいかなと思っています。ほら、せっかくなら料理とかに使える方がいいじゃないですか。虫除けにもなりますしね。そちら様ですと五万円ほどですよね。あと、それから、ローズマリーはどれくらい生きるのでしょうか?」

 生前に自らの死後、輪廻する植物を予約しておきたいという相談だった。堆肥葬を選ぶ場合、死後に遺族が故人の総括として植物を選ぶこともあれば、生前に自ら決めておくこともあった。候補となる植物の寿命はよく聞かれる質問だった。
 「お値段はおっしゃる通りです。ローズマリーの寿命ですが、うまく生育できれば十年~二十年ほどでしょうか」と私は答えた。

 女性は少し切ない表情をして「そうなんですね」と答えた。「朽ちてしまったローズマリーは次にどこにいくのですか?」と尋ねた。
 「朽ちてしまった植物はすベて再び堆肥にして、ドーム内の他の植物に追肥しています。ですので火災などない限りは、半永久的に故人様の遺伝子情報が廻り続けることになります。堆肥を送る植物を指定することもできますが、その場合少しお値段が上がってしまいます」と私は言った。

 「それから堆肥は土の中や地表から風や微生物に運ばれて散逸するため、必ずしもご指定いただいた植物のみに量子サイクルできるわけではないこと、ご承知おきいただければと思います」と付け加えた。
 「そうなのですね。まぁ私は何に成ってもいいです。キリがないですもの」と女性は言った。
 

 夜、勤務が終わり、部屋の照明を落とすと辺りは真っ暗だった。帰路にもう一度あの白い花の様子を見にいく。懐中電灯で照らした白い花はすっかり萎れていた。少し残念な気持ちになった。
 ドームを出ると上弦の月と見渡す限りの星々が浮かんでいた。夜間の植物たちの睡眠を邪魔しないため、街灯の光量は最低限に調整されていた。ダウンライトの薄明かりと、手に持った懐中電灯を頼りに森を抜けていく。

 鳥居をくぐり街へ出て、地下鉄に乗り、暗い窓に反射する自分を見つめていた。父が死んでから二五年も経ってしまった。私はあの白い花のことを調べていた。

 白い花弁、五芒星、地中海、など思い当たる検索ワードを入力した。ロックローズというらしい。夕方には萎んでしまうので、和名は午時葵。花が葵に似ているので葵の一種と思われがちだが、ハンニチバナ科だった。父は勘違いしていたようだった。

 ”熱がある場所を好み、日当たりがある場所に咲く。火事や干ばつ、放牧などに適応した性質を持ち、菌類と共生的な関係を作ることで瘠せた土地でも繁殖しやすく、種は火災後に発芽しやすい。気温が三五度程度を超えると、自分を燃やすため発火しやすい分泌液を出す”

 適切な気温管理がされているスフィア内で気温が三五度を超えることはないにしても、もし発火したら燃えやすいマツに引火して、大変なことになる。万が一に備えて、今すぐ戻って対処しなくてはという思いと、誰かの神花として葬られている可能性と、管理センターのルールを天秤にかけて考えていた。最中、父と過ごした時間が断片的に思考に介入し、邪魔をした。

 考えていたら最寄り駅に到着してしまい、発火気温に達することはないし大丈夫だろうと考えた。取り急ぎ情報を社内のチャットに共有したところ、他の社員も同意した。しかし火災後に調べたところゴジアオイに量子サイクルする発注は入っていなかった。自然に芽生えるような種ではないので、誰かが意図的に植えたのだ。

 家に帰ると二人がけの茶色いソファーに腰掛け、スマホを手にとり途中まで見ていたゴジアオイについてのページを、最後までスクロールする。ゴジアオイの花言葉が出てきた。

 ”私は明日死ぬだろう”
 

 記者会見当日──
 光と音の津波に観念した私は「声を荒げてすみません。悪いのは私一人です。どんな人間の量子情報が移ろうとも、植物たちに罪はありません」と言って記者会見を終えた。

 控え室に戻り、椅子に腰掛け天井を仰ぐ。私の役目は果たした。指先は震え、右目の下が小さく痙攣していた。BMIから森林の音源を脳内に流し、深い呼吸に集中する。息を吐く際に生命の全てを手放し、息を吸う際に生命を身体に宿すイメージで。
 「トントン」
 ドアをノックする音と共に会社の後輩が入ってきた。

 「タクシー、来ましたよ」と泣きそうな顔で言った。
 「葵さん、なんで葵さんが罪を被らなきゃいけないんです。植えたのも、気温管理システムをハッキングしたのも葵さんじゃないのに。それに管理責任って言うなら私たちも同罪です……」
 私はうなだれた彼女の目線の先を見ながら言った。

 「最初に見つけてすぐに判断できなかったのは私だから。それにね、例えばあなたやうちの社長が矢面に立たされて咎められていたら、きっと私は耐えられない。だから自分のためなの」
 「そんなことないですよ」と彼女の目線の先に涙が落ちた。私は立ち上がって彼女の肩に触れる。

 「私がやりたくてしているのだから気にしなくていいんだよ。これで無意味に傷つけられている植物たちを少しでも守れるなら、それでいい。もう後悔したくないから」と言って控え室のドアを開けて裏口まで歩き、待っていたタクシーで警察署まで向かった。署内でも会見が中継されていたようで、話は早かった。三時間ほど取り調べを受け、後日来署する日程を伝えられ帰された。

 電車に乗り、大雄山駅で降りた。家に帰る前に、道路沿いの「橘」という古びた焼鳥屋に入った。精神が参った時に、逃げ込むように一人でこっそりと訪れていた店だった。いつものようにねぎまを三本だけ注文する。肉が焼ける煙が汚れた換気扇に吸い込まれていく様が、いつもよりグロテスクに見えた。

視線を下ろすと、網は黒く焦げ付き、肉片がゴミとなり、処理されていた。スマホに通知が鳴る。「明日、森と水の公園に行かない?」と彼からメッセージが来ていた。「いいよ」とすぐに返した。仕事がしばらく休業になったので、時間ならいくらでもあった。
 焦げ付いた網に目線を戻し、彼との関係と重ねた。新鮮な恋の輝きはとうに失われ、かといって洗浄する気も買い換える気もなかった。年季はものを変え難い特別なものにする。この網じゃなきゃだめなのだ。

 届いたねぎまを食べていると、店の神棚のような場所に置いてある小さなテレビから、私の記者会見の模様が流れ始めた。
 どきっとして、顔を伏せた。店主は気づいたか、気づかぬふりかをしてくれていたか、何が起こるわけでもなかったが「こういうことか」と思って、急いで食べて足早に店を出た。後で頼もうと思っていたアイスは頼めなかった。
 
 森と水の公園は相模沼田駅から徒歩二十分ほどの場所にある。彼、衣川歩《イカワアユム》はいつも私より早く着いている。白いロングシャツに灰色のチノパンを履き、髪はゆるくパーマがかかって茶色い。服も髪も黒い私と対照的な装い。公園の管理棟の前で待つ彼と目が合う。

 「歩」と彼の名前を呼んで、手を胸の辺りまであげ、軽い挨拶を交わす。言葉もなく、沢辺の方まで歩いていった。記者会見のニュースは見たのだろうかと思ったが、見ていたとしても彼はきっと触れてこない。当たり障りのない不干渉状態こそが長く関係を続けるコツであることを、私たちは過去に散々争った歴史から学んでいる。

 私たちは沢辺まで辿り着くと、古い木材で作られた屋根つきのベンチに腰掛け、タンブラーに入れた暖かい月桃茶を二つのコップに注ぎ、飲んだ。
 「どう、最近」と桜の方を見つめて彼は話す。
 「ぼちぼちかなぁ」と私は桜に返した。
 「そっか、ならいいか」と彼は言った。

 何気ない会話を交わせることが今は有り難かった。風も凪、静かに小川が流れる。彼は立ち上がって「奥の方に行こうよ」と森を指差し、歩き出した。
 水路の流れに沿って森の中まで入っていくと、人の顔が浮かんだようなクヌギが生えている。人面樹として地元ではちょっとした話題になっていた。幹の中央にシワだらけの老夫の顔が浮かんでいて、ぬらりひょんのようでもあり、何かを呪っているようにも見える。

 多くの人が樹木をRingNeで読み取るのだが、宮地さんという水道屋のおじさんと茅野さんという専業主婦のお婆さん、カラス、クロアリ、カラスノエンドウなどなどのよくある量子情報が表示されるので、期待外れだとレビューの評価は低い。

 「みんな、何か相当強い思念を遺して死んでいったに違いないって、ドラマを期待するんだろうね、この顔見ると」と彼は言った。
 「そうかもね」と私は足元の石を見ながら言った。
 表示された肩書だけで勝手に淡白な人生を想像してしまうのは違うよなぁと思ったけど、それは言わなかった。非業の死を遂げた水道屋さんだって、強い悔恨を遺して死んでゆく主婦だって当然いるだろうに。

 彼は切り株をRingNeで調べた後に腰掛けると、スマホを触り始めたので、私も大きな石に腰掛けて何も見ることがないスマホを触る。無目的に観察され続けるこの機械に意識があったなら、どんな思いでいるのだろうとふと思った。何も見ることがないので、昔やっていたSNSに久々にログインしてみた。
もう五年前の最新の投稿にコメントがついていた。

 「人殺し」
 「あなたの魂は地獄に行くでしょう」
 「私の父の魂はあなたに焼かれました。一生許しません」

 前世ごと食らいつくそうとするようなハングリーな暴力にゾッとした。地獄の番犬ケルベロスたち。私はもうとっくに地獄に落ちているよ。悲しみと無念を虚無が包んだ。
 彼はそんな私を察してか、近くにやってきて小包装のチョコレートを手渡した。包装には無神花認証済みと書かれていた。

 「大丈夫?」
 最近焼き鳥とチョコレートしか食べていなかった私の周期的な偏食を察して、チョコを用意してくれていたのだと思う。いつもなら喜んで受け取っていたものの、私は「大丈夫」とスマホに目線を向けたまま、淡白に受け取りを断った。

 夕暮れ時には公園を離れ、駅で彼と別れた。鯉が泳ぐ用水路を見ながら家まで帰るまでの間、彼の優しさをぞんざいにしてしまった後悔がじわじわと押し寄せてきた。どうして苦しいときほど閉じこもってしまうのだろう。ただ受け取るだけでよかったのに。私はきっと、もっと素直になった方がいい。そう思いながら家を通り過ぎて、コンビニに入り、最もカカオの配合率が高いチョコレートを買って帰った。
 
 無意識にテレビをつける。報道番組で私の事件が取り立たされていた。RingNeの開発者がコメンテーターとして語っていた。
 「意図的な犯行であれば許されることではないと思います。遺族の方々のお気持ちを考えると胸が痛みます」
 キャスターは切実な表情で大きく頷く。 

 「そうですよね。三田さん、葵田容疑者は会見で、植物に生前の罪や業は引き継がれないという話を再三していました。一方で火災に使われたゴジアオイからは放火魔の量子情報が検出されました。この点私たちはどう考えれば良いのでしょうか?」
 「この点については彼女の言う通りです。人から量子サイクルした植物に意識のような現象が創発されたことは一度も確認されていません」

 「なるほど。今後、このような犯罪を防ぐにはどうすればいいのでしょうか?」
 「昨今の森林葬需要の高まりに応じて、本来日本に生息しない植物の違法輸入が蔓延っています。その中で本来起こることのなかった自然現象による災害、生態系の異常が起きていることを私たちは今一度見つめ直すべきでしょう。また、犯人を擁護するわけではないですがゴジアオイの発火然り、森林火災自体は自然発生し得るものです。自然が自然に自然を燃やした罪と罰を裁く権利が我々にあるのだろうかという観点も、森林とより密接な関係になった現代、考えていく必要があると思います」

 三田さんがそう言った後、スタジオにはしばし沈黙が流れ、キャスターは次のニュースへ進行した。気づくと私の右目の痙攣は消えていた。
 

 それから五日ほどスマホも開かず、昼過ぎまで寝て、気が向いたら森へ行って一人で踊った。砂袋に空いた砂のように日々がこぼれ落ちていった。踊って、酸欠で倒れる時だけ、今ここに生きている感覚を得られた。踊っている最中には様々な思考が浮かぶ。いつまでこの生活を続けるのだろう、友達や彼から連絡は来ているだろうか、わざわざ私がやらなくてもよかったのではないか、過ぎるたびにそれを払うように回転した。

すると三半規管が狂い、それどころではなくなる。それを繰り返した。無心で身体をぼかし、森の中の一つの生命に近づいていく。一つになっていく。そして気づいたら倒れている。空は夕暮れ、時刻を告げるようにカラスが飛び交う。

マツムシソウの花を見ながら息を整えていると、火照った身体も冷めていき、頭が思考を許すように冴えてくる。求めている身体の状況を達成した私は腰を上げ、歩いて森を抜けて自転車を漕いで家に向かう。

 初秋の夜風が心地よく前髪を靡かせ、追い風に誘われるままに、私はアパートの前に群生したヒガンバナを風で揺らした。気の向くまま漕いでいると、職場の鳥居の前まで来ていた。
 七割ほど焼失してしまった森の暗い空には、天秤座が光を結び、新月が浮かんでいた。夜の帳が生々しい焼け跡を隠したが、森の影から立ち込める焦げた香りが、現実からの逃避を許さなかった。鳥居の奥に人影が見えた。

 そろりと近づいていくと、百八十センチは超えるがっしりとした男性のシルエットが浮かび、耳を澄ますと念仏を唱えているようだった。
 「一心頂礼万徳円満釈迦如来真身舎利本地法身法界塔婆……」

 私は男性と適切に距離を取り、後方で目を瞑り、手を合わせ、共に祈ってみた。焼失した無数の植物たち思い出せる限り一つ一つイメージして、せめて安らかであるようにと、祈った。立ち込める香りとお経が、見逃した罪の重さを重力に変換し、じわじわと肩に質量を感じていた。

 お経を唱え終わると、男性はすぐに振り返り、目が合ってしまった。男性は目を見開いて驚いた表情をしていたので、バレたと思った私はすぐに立ち去ろうとした。
 「あの、ちょっと待ってください。人違いでしたら申し訳ないのですが、葵田葵さんではないですか?」と男性が慌てて問いかける。

 私はその場から逃げ去ろうとしていたが、然るべき糾弾は聞き入れなければならないのではないかと責任を感じ、覚悟して足を止めた。
 「はい、そうです」と弱い声で返した。
 男性は少しずつ私に近いてきた。何をされても仕方がないと覚悟した。私は罪を犯したのだ。身体に力を込めて、強く目を瞑った。

 「葵田さん」
 男性の低い声が身体で感じられるほどの距離まで来た。心拍数は高まり、手が震えていた。

 「私は、あなたに謝らなければなりません」と男性は言った。
 「え」と反射的に返した。
 意外な台詞だった。恐る恐る振り返ると、坊主頭の男性の表情は萎れていた。
 「あのゴジアオイは私が植えたのです。まさか誰かが罪を被るようなことをするはずないと思っていたので、記者会見を見た時は衝撃でした。こんなつもりではなかったのです」と男性は大きな体躯に合わないか弱い声で、細やかに話した。

 「本当ですか?」と私が言うと男性は頷いた。なぜ私に自首するのか、本当に真犯人なのだろうか、訝しさと驚きでしばらく言葉が出なかった。
 「どうしてゴジアオイを植えたのは自分じゃないと言わなかったのですか」と男性は言った。
 私は問われたことに答えるよりも先に、目の前の不可思議な存在の正体を知りたかった。

 「あの、その前に、あなたは一体……」
 「あぁ、そうですよね、すみません。山岡陸寛と申します。普段は僧侶を勤めさせていただいております」
 「なぜ、お坊さんがこんなことを」
 男性は空を見上げ、静かに語り始めた。
 「私は仏の教えの通り、人の魂は出来るだけ早く六道へ渡るため、荼毘に付すべきだと考えます。現世に留まり続ける魂は、自然の炎により送って差し上げるのが、僧侶たるものの勤めだと信じています」

 私は下唇を噛んで聞いていた。決して納得したくないが、そう言う考え方があるのは仕方ないと思ってしまった。そのまま質問を続けた。
 「ゴジアオイはどこで? ハッキングもあなたが?」
 男性は少し考えた後で、決心したようにこちらを見つめて話した。

 「アルビジアというDAOをご存知ですか。現代の植物主義社会やダイアンサスに反対の立場をとる組織です。我々宗教者をはじめ、元々林業や農業を営んでいた方や氷河期の到来を防ごうとする方など、様々な方々で構成されています。先々月にお誘いいただいてから、このやり方をご教示いただきました。ハッキングも組織にお力添えいただきました」と言った。

 そのDAOの名は知っていた。ダイアンサスに比べ少数でありながら、経済界の大物が多数所属していると聞いたことがある。
 所属するDAOのことまで開示し、少なからずの誠意が見えたので、私は彼の問いに答えた。

 「そうでしたか……私はとにかく植物たちを守りたかっただけです。間違った情報が広がり、無闇に植物たちが傷つけられるのが我慢できませんでした。そんなに敵が欲しいなら私がなってやると思い、自首しました。植えたのも私の方が、世間は私一人だけを非難の対象にできるからそれで良かったと思っています。これ以上詮索が広がるとまた植物たちに危害が出る恐れがあったからです。それにゴジアオイが生えていることを知りながら見逃してしまった私に、確かに罪はあったから」

 ちらつく外灯に蜻蛉が集まっていた。海側から吹く風が前髪を靡かせ、顔を隠す。私は俯いた。
 山岡も俯いた。そして声を振り絞るようにして話した。

 「本当に申し訳なく思っています。言い訳がましいですが、私は人様に迷惑をかけるようなつもりはなかったのです……明日、私は警察に自首します。このすべてを話してきます。ここまで私の我欲故ご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ございませんでした」と深く頭を下げた。

 その潔さにも、彼自身の動機についても、私も戸惑った。人には人の信仰があり正義がある。理解できないことではなかったから。

 「もう少し早く自首してくれれば嬉しかったですが、伝えてくれてありがとうございます。それでは明日、よろしくお願いします」 そう言って振り返り、自転車に乗って帰路についた。

 少し漕いでから振り返ると山岡はまだ俯いて立ち竦んでいた。鳥は焦げた森の頭上を回遊し、嫌な匂いは風に流され、風下の私まで届いた。
 

 翌日、山岡は本当に自首をした。多くの報道番組がそれを扱った。
 「葵田さんは植物たちを庇うために身代わりになろうとした」と彼が供述したことを、ダイアンサスがこぞって美談としてシェアしたことをきっかけに、植物主義寄りの多くの人から礼賛のメッセージが届き、誹謗中傷のコメントは流れ去った。

 堆肥葬管理センターにも取材の問い合わせが多数来るようになり、職場の上長から至急記者会見を開いてほしいとのことで、私はまたあの光と音の波に立ち向かった。かまいたちのような悪意のある光の鋭さはなくなり、柔らかい光と賛美の言葉に包まれた。

 記者会見を終えると、報道番組は手のひらを返して私を「植物の女神」と喩えて持ち上げ始めた。
 堆肥葬管理センターの復旧は多くのボランティアが集ったことで加速度的に進み、黒い大地は八割ほど洗浄され、小さな芽が顔を出すまでになった。
 火災後に芽生えたゴジアオイは標本にされ、管理センターに飾られた。事件に関する一部始終のみが文章として添えられ、この教訓をどう捉えるかは観察者に委ねられた。

 報道番組で見たところによると、山岡は十年前に五歳の息子を火葬した後にRingNeのことを知り、もう少し早く知っていればと後悔していたらしかった。信仰や逆恨み、植物の世界では存在し得ない人間社会の伝統的な争いの種。いつの時代もその種は、ゴジアオイのように自然発火してしまう。温帯エリアで管理している、季節外れのアジサイを見つめながらそう思っていた。

 「葵田さん、お電話です」と管理センターの後輩から声がかかる。三田春さんが出ていた報道番組への出演オファーだった。春さんとの対談特集を組みたいとのことだった。彼に会いたい気持ちもあったので、出ることにした。
 

 後日、Sheep社で収録するとのことで、Sheep社前駅まで電車で向かった。合成樹脂の網を渡り、降りてすぐ聳え立つ巨大な白い建物の入り口を探した。背の低い植物たちが生い茂る歩道を、建物に沿って周回するように歩く。

 目の前に、黄色いレインコートに紺色のランドセルを背負った少年が、水色の上呂を持って群生する植物たちにくまなく水やりをしていた。雨は降っていない。見ていると道沿いに古い軽自動車が停まり、中から見覚えのある人が出てきた。
 私は「あっ」と口に出していた。

 彼はレインコートの少年に歩み寄り何やら話していた。やがて、少年の背後にいる私に目線が移り、彼も「あ」と言った。
 私は会釈をして彼のもとへ行き「渦位さん」と言うと彼は「えーと、葵田さん」と嬉しそうに言った。少年は訝しんだ目で私を見つめている。

 「どうも、先日は。まさかこんなところでまたお会いするなんて」
 「いや本当ですね。というかあの後びっくりしましたよ。テレビ見ました。何があったのか色々伺いたいところですが、今日はどんなご用事で?」
 「あそこでテレビの収録がありまして」と私は建物を指差した。
 「なんと、Sheep社で……すごいですね」と彼は言った。どことなく瞳が陰った気がした。

 「お子さんですか?」と私は少年に目を向けて口角を上げる。
 「そうです、一人息子で」
 「渦位円《ウズイエン》です」
 少年はあどけない声とまだ警戒の解けない眼差しで挨拶した。私は彼の目線までしゃがんでから「葵田葵です。はじめまして」と微笑んだ。
 「そっか、Sheep社に入るのですね、いいなぁ。なかなか入れないんですよ、ここのオフィス」
 渦位さんは白い建物を見上げながら話す。

 「そうなんですね。RingNeの開発者の方と対談を組んでいただいたそうで」
 「え、春さんとですか」
 「はい、ご存知なのですか?」 
 「僕が子どもの頃に、少し。もしできたら、渦位瞬があなたに会いたがっていると言伝えいただけないでしょうか?」
 彼は憂いを帯びた表情で、ガーデンのラベンダーを見つめてそう言った。

 「承りました」と私が微笑むと、渦位さんは少年と共に車に乗って、会釈をしてから去っていった。
 私はオフィスの入り口まで辿り着き、静脈認証でゲートを開け、人工音声と床に表示される羊のキャラクターのナビゲートに従って、社内に入っていった。
 社内は白すぎるほど真っ白で、廊下は足元から白い光が浮かんでいるような照明が施されていた。足元の羊は「もう少しです」と私を励まし、撮影場所への案内を続けた。

(続きは下記へ


RingNeは体験小説です。この物語は現実世界でイマーシブフェスティバルとして体験することができます。
詳細は下記へ。


#創作大賞2024

この記事が参加している募集

SF小説が好き

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

「こんな未来あったらどう?」という問いをフェスティバルを使ってつくってます。サポートいただけるとまた1つ未知の体験を、未踏の体感を、つくれる時間が生まれます。あとシンプルに嬉しいです。