見出し画像

「すばらしい人体 」山本健人 著 感想

この本を知ったのは”安住紳一郎の日曜天国“というラジオ。

ゲストで出ていたのを拝聴した。それからめっちゃ読みたいと。


読んでの感想は『”新しい概念は受け入れ難い“のが人間の性である。』
という悲しい真実である。
特に人体とは自分は勿論だが、人類の生死をも左右してしまうものである。
それに新説を発表、それの方が効果があると言われても、人間そうそう信用し、「さぁ今からそれでやっていきましょう!」なんてことにはならないのが、
人類の長年の弊害であるということだ。

例えると、スマートフォンに対しては、何の抵抗もなく、新型が出ると、並び予約に必死、剰え店頭に深夜から並ぶ始末…。

さぁこれが新薬が開発されました!明日からこれを!って謳われても、人間というのは、「え?効果あるの?アレルギーとか大丈夫?自分の体に合うかどうか」等々諸所問題を組み込むのである。
まぁ機械と薬を同等に並べられてもと言われても仕方ないのだが、その決定的な違いがやはり人間というのは、「体」に関わるものに対しては…。

そうか、これをお菓子に喩えよう。

新作のお菓子といえば、新しいもの好きな人は飛びつき、並んだり、ネット予約などもするであろう。
勿論、口にし、体内入り、自分の血となり、肉となるお菓子。主成分やら気にして購入する人なんて、わずか。まずはSNSにアップする為の物としての価値もある。

これが新薬となると、ほぼ予約もしないし、飛びつき医者に処方箋なんてものをもらいに行くのもそうそうない。
同じ体内に入り、血となり、肉となり、寧ろ病気に対しての改善の物なので嬉々とすべきではないのか?と思うのだが、そうは問屋が卸さないって話。

お菓子には抵抗なくても、薬となると話が違う?
自分のいい影響を与えるのに?と。

人間とは、不都合なものには目を逸らちがちである。不都合なもとは、「未知」である。
未知であるから、自分が知り得ないから、“恐怖”を生み、それを否定する。

その未知が正しいものだと何十年とかかるケースもある。発見した本人の死後などというのはザラであった。

いかに世に理解してもらうかというのは、難しいという事を改めてこの本を読んで思った。

人間なんでも最初は否定から入るものだ。未知であるものほど。
ではなぜ、スマートフォンやゲーム、お菓子などには抵抗なく喜んで並ぶのか?
自分の感情が上乗せされている?

この本を読んで、人間の自分都合というか、新薬に新技術、新発見は人類にとってとてつもなく良い事だとは思うのだが、それに対しては全否定から入るという事であり、実験が1回で成功しなければもうしない!はい終わり!って?
化学観測のロケット打ち上げ何度も失敗してますやん?何でですの?
バスケの神、マイケルジョーダンも毎回、毎回シュートが100%入るわけでもないし、外す事もあるはずですやん?それをたった1回の失敗で、はい!もうこの新発見は無理で〜す!なし〜!今までの用法でやりましょう!って、世紀の大発見そして、何十万、何百万の命を救うことができる事をそこで途絶えさすという人間の無知に対しての恐怖心というのは末恐ろしいもんだと。

人の概念って怖いね。

著者の言葉に驚愕し、深く納得した一文がある。
最後に”医学に関する読者案内“の欄である。

そう始まりにすぎないのだということに。

本を読む度、また疑問、また無知だった世界が無限に広がる。
自分の人生でそれを全て網羅することなんて皆無に等しい。
だけれども、またその無知を僅かながらでも博識に近づくためにまた新たな本という無限の無知に向き合う機会を湯水の様に与えてくれる本とはなんとも…。


本は自分の無知と出会う最大の人生の気づきであり、またそれにより新たな無知への冒険への道標となる。


こんな本を紡ぐ思考が生み出せる人間になりたいものだ。

追記;やはりこの本の活字を追いながら想いを馳せるのは、エジプト文明よ!
あの砂漠の砂の世界で、ミイラというものを作り出しまだこの2024年になっても新発見、そして成功な技術で保存するというものを考えた名もない先人達にノーベル賞を!まじあの時代ですら、手術やら治療してたのすごない!?人類の知識の底知れぬ力にぃ!ってノーベル賞数学ない理由が個人的すぎて笑える。なにそれ?まじ個人感情丸出しやんけ?小説も漫画もアニメも加えてほしいわ!このヤロー!


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?