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〜潜水〜

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心のつぶやき
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#思索

「推」さないです。
私がその人やその作品を好きなだけ。
ただそれだけ。
私がそれを慈しんでいる様子が
あなたにとって不愉快でなければ
それで充分だと思うのです。

(「推し」という言い回しがずっとしっくりこないのです)

私は…やはり…Smileは必要だと思う。それを無理に声や表情に出さなくとも。ユーモアとは…何よりまず自分の内側から処方箋として用意されているものだと感じている。勿論、何かの引き換えに「笑い」があってはいけないと思っている。
卑屈さや駆け引きではない笑いがある。島に育まれた宝物だ。

一条ゆかり先生の、そして当時、少女まんがを描いていた女性達の大変さが「やっと」詳らかになり、私は溜飲が下がる思い。
いま放映されている「100分de名著」林芙美子さんについて知る度に、私は一条先生のエッセイ漫画を思い出していた。とても似ているのだ。他の先生方も本当に大変だった。。

キリスト教・宣教師たちの映画。
『ミッション』はモリコーネ音楽が降り注ぎ、圧倒的な世界観。
『沈黙/Silence』は徹底した自然音の「静けさ」で迫ってくる。(なので内心や湿度など五感が動く)
どちらも唸るばかり。凄い。

宮沢賢治が
『春と修羅』
という言葉を遺してくれたから
私は「此処にいてもいいんだ」
「生きてていいのだ」
と思える。葛藤したまま生きる。

さみしいなあ。私は少ない。持ってるものが。/いや充分ではないか。何を贅沢なことを。/(沢山持ってると管理しきれなくて不安になる、だから制限してるのに)/(でも少ないものに頼り切ってるのがわかるから)/おちついて/力いっぱいな蝉の静けさに身を委ねよう/好きな本の中に入ろう寂しさは友

考えてみれば「軟弱地盤」なんじゃない。何かの障害のように連呼したくない。元々そこが「柔らかくある理由」があるはずなんだ。自然の摂理として。そこに人間が勝手に夥しい杭を打ち込み、光と風を遮り、覆い固め、静かな時間を奪う。島を生かしてきた内臓と保水と皮膚と新陳代謝機能が病んでしまう。

負の連鎖を自分のところで止めてる人は、そのぶん見えない内側が蝕まれ続けているんだよ…(そこからもがこうと必死なんだ…)

私に夢があるように、この島々もきっと夢見ているだろう。からだに刺さり埋む武器を1つ残らず摘出し、身を挺し包み守っている亡き人々の血肉・骨々を待つ人の元へ。金網は祓われ塞がれた土と水を澄んだ空気へ解放したい。清々しい我が皮膚の上を人々が子どもたちと手を繋ぎ歩く幸せ…夢見てるはずだ。

「男だって生きづらいんだ」と気づけた事で、一方で同じようにつらいと悩み続けている女性たちと、少しでも生きやすい方法をつくりだす事こそ、最も身近な「弁証法」なのではないだろうか。
その為にまず対話がある。自らの問題を見つめ、相手の苦しみを想像し受け止める土壌を、根気強く耕し続ける。

追いかけているうちは追いつけない。それはそうだよね。。追いついたとしても。追い越したつもりでも。相手の眼中にないなら、併走する日は来ない。…だから、いずれ立ち止まる日が来るのだろう。。